usagi-company-lab’s blog

我が家の不登校日記です。最近は教育と社会問題に興味があります。どうぞよろしくおねがいします♪

なんか虚しくなる時ありませんか?

こんにちは。
うさカンです。

コロナとの生活も長くなってきて、
そのせいなのかは分からないけど、たまにふと立ち止まることがあります。そして、なんか虚しさを感じることがあるのですが、みなさんはどうですか?そういうことありますか??

全ての人が虚しさを感じるものなのかどうか、私には分かりませんが、けっこうノー天気に生きてる私でも、たまに考える時があるんですよね。

例えば、このブログ。
私は何故か仕事のように日課になっていますが、

大抵は伝えたいことがあり、自分の頭の整理にもなり、楽しく更新しています。
そもそもノルマとか頑張るとかは意識しないようにしているので、やりたくない時にはストップするようにしています。

だから普段は楽しい時間なのですが、
ふと、私は有名人でもないし、トップブロガーでもないのに、なんでこんなことしてるんだろう…と考えはじめることがあります。

一番考えることは、私はこんなことしている暇があるのだろうか?ってことです。

お金にならない仕事って世の中にたくさんあるし、特に今のコロナ時代には、お金を稼げない職種の人、就職できない人が沢山いると思うのですが、そういう人たちの虚しさって、普段はなんとか前向きに生きようと思っていても、ふと考え込むことがありますよね。

お金を基準に考えると、自分が役に立っているのかどうかがとても分かりやすいので、稼げていない自分に自信を持つことは、時に難しいと思います。


でも、私の場合は、今は無理して外には出られないかな、と思っています。

娘がコロナが怖くて、家庭にしか居場所がないので、いかに毎日を楽しく過ごすか、それによってメンタルを守るか、そこが私の重要な仕事かな、と思います。

一日中かまっているわけではないけど、なんとなく私が家にいることに価値があるような気がしています。

だから、暇つぶしというか、日々の記録としてブログを書くことは、今の私にできる事だし、

お金は貯められないけど、ブログの記事を書き貯めることも私の財産になるかな、なんて思っています。


*****

それから、もうひとつの虚しさは、
人と直接交流出来ないことかな、と思います。

インターネットはとても便利だけど、やっぱり直接反応が見れないので、このブログに価値があるのだろうか?と疑問になってくるのです。

もちろん、たまにコメントを頂いたり、PV数やスター、ブックマークなどが大きな支えとなっているので、普段は嬉しくて更新し続けています。

私のような小さな力だと、ひとりの人が何か「読んでよかった」と感じてくだされば、もうそれだけで大きな存在意義かなって思います。

でも、もし同じことを直接交流した中で話せたら、きっと相手の笑顔を見ることができたり、一緒に頑張ろうねって握手できるかもしれない😉

そういう反応や交流が直接的に分からないことって、不安になったり虚しくなったり感じるんじゃないかな、と思いました。

オリパラの無観客試合、私はコロナのことを思えば、よかったって思います。

お家でテレビ観戦もいいと思います。
でも、選手たちに、直接の応援が見えないとなると、ふと、なんの為に頑張っているんだろう、と考えてしまう選手もいるんじゃないかしら。

いくら好きなことでも、夢中になっている間はいいんだけど、あれ?と立ち止まり、冷静になる瞬間があったりしないかなあ。

そんな風に思いました。


*****


私は自分のことを考えて、なんだかなあ〜と思う時には、だいたい寝ることに逃げます💦

たまに、他の何か好きなことや夢中になれることで元気になることもあるのですが、

睡眠時間を取ると、だいたい気持ちがリセットされて、また新たに頑張ろうって気持ちになれるんです。

脳を休めると、少し前向きになるみたい。
嫌なことは忘れて、またノー天気に戻ってきます。細かいことを考えても、もうなるようにしかならないし、しょうがないよね、と全てを受け入れた上で、「何しよっかな?」って考えると、また好きなことをやろう、とか、家族のために家事しちゃおうとか、やることが見えてきます。

もちろん、ブログに自分の気持ちを書き出すことも、とってもスッキリとする作業です。

すごく生産性の高い人とか、いっぱい稼げる人と自分を比べると疲れちゃうから、それはやめようと考え直します。

きっとリア充に見えるいろんな人も、実は虚しくなることもあるかもしれないし、いろんな問題を抱えているかもしれないですよね。

「虚しい」という人間の感情は、あって当たり前なのかもしれません。(だからそういう言葉があるんでしょう)


それにしても、私のような人間は、家族の為に何かをすると、すぐに「ありがとう」って反応が返ってくるので、一番恵まれているんじゃないかな、なんて思います。

根拠のない自信を育てる

こんにちは!
うさカンです。

昔、川崎のフリースペースたまりばの西野さんの講演を聴いた時から、ずっと印象に残っていることがあるのでご紹介します。

www.tamariba.org

それは、引きこもりの方が、親が亡くなったことをきっかけに、行政に相談して様々な手続きを行い、それがきっかけで引きこもりを脱出したって話でした。

詳しい内容は忘れてしまったのですが、
私はその話を聴いた時に、うちの子もきっとそうなるだろうな〜と思いました。

親は、子供のことが心配で、自分が亡くなった後に子供がちゃんと生きていけるように、と、
様々なことを自分で出来るように教えていくと思います。

でも、私は、うちの子供達が、もし私がいなくなっても、そのまま何もせずに餓死しないだろう、いざという時には誰かに助けて!と伝えるとか、自分なりに頑張って何かをするだろう、と思いました。

そこには、はっきり言ってなんの根拠もないのですが、ただ子供達を見ていると、信頼できる気がするのです。

だから私は、今急いで子供達に何かを教えるというよりも、
子供達に今できる限りの愛情を注ぐ、それだけを一生懸命やっている感じです。

きっと私に万が一の事があったら、
「今までいっぱいお世話になったんだから、今度は自分の力で頑張ろう!」と決意できるんじゃないかな、と思うんです。

もちろん、私は100才まで生きるつもりなので、いつかは子供達の出世払いも見届けることができると思ってはいるんですけどね😅


*****


根拠のないことを信じるって、実はなかなか難しいことです。

その人をよーく観察して、
まあ大丈夫だろう、と思える点をたくさん見つけて、そして本当にその人に愛情がなければ、信じることはできないと思うのです。

条件として、○○してくれるから信用するとか、○○できるから信じるとか、そういうことだと、

○○じゃない面が見えた時に崩れてしまいます。

条件つきの愛情ってそういうものだから、やっぱり相手にそこは読まれちゃいますよね。

そうなると、相手に対しての要求が止まらなくなります。なかなか信用することが出来なくなってしまいます。


そういう時におすすめなのは、
相手に要求するんじゃなくて、少し手を引いてみることです。

この人をほっといてみると、どんな行動するのかしら?

最初は試すようなことになるかもしれないけれど、「あれ?意外とこんなことができるんだ」と発見できることがあると思うんです。

それを見たら、ちょっと見直しちゃいますよね。その繰り返し、積み重ねで、だんだん信頼できるようになってくるんです。

何でもかんでも、指示して、失敗しないように心配ばかりしていたら、そういう一面を見ることが出来なくて、ますます不安になるだけ💦


*****

それから、親が根拠のないことを信じている姿を見ると、子供は「なんでそんなに信用できるの?」と疑問に思ってきます。

それでも、あなたを見ていれば自然に大丈夫だと思えるんだよね、と伝えると、

それがいい見本になって、だんだん子供も根拠のない自信を持つようになってくると思います。

親がこんなに信頼してくれる自分なんだから、たぶん自分は大丈夫だろう…

と、自己肯定感が上がってくると思います。

○○できない自分、
みんなと同じじゃない自分でも、まあいいじゃない?と思えるようになったら強いです。

あとは自分がいいと思うことを頑張るだけ。

何度挫折しても、自分なりに自分を信じて生きていくことができると思います。

でも、こんな自分じゃ駄目だと思っていたら、何事にも集中できないし、常に不安でいいパフォーマンスは発揮出来ません。

ラクな子育て、いざという時にできればいい

こんにちは!
うさカンです。

子育てって、どうやったらいいのか、なかなか習う機会がないので難しいと思いませんか?

時代の変化が激しくて、自分が子供の頃とは随分環境も違うし、親の子育てを真似しても、時代に合わないこともあるし。

私は子育てのまだ途中ですが、これから18才成人らしいので、少しゴールが見えてきたような気がします。

私がこれまでに発見してきたことで、
疲れない、辛くならない、少し楽になりそうなことを書いておきたいと思います。

もし何か参考になることがあれば嬉しく思います。

読みながら考えてみてください^_^


*****

先日、こんな記事を読みました。

news.yahoo.co.jp


これ、一生懸命子育てして、うまく子育て卒業できた〜って思っているお母さんに対して、

実は子供から見たら、「毒親」だった…
という結果だったら、とてもショックで立ち直れませんよね。

こうならない為に、いったいどうしたらよいのか、考えてみたいと思います。

私が子育てしてきて一番思ったことは、

「子供は思い通りにはならない」ということです。そもそも人生は思い通りにはならないですが、親と子供は別々なので、親の思う通りに育つわけがない!

そういう前提で子育てしなくてはいけないと思います。
って言うより、それを知ってるとラク

お母さんになると、「きちんとした子」に育てなきゃいけない、という思いになると思います。

学校では、「一生懸命やるのがいい子」だった訳だから、子育ても一生懸命やらなきゃならない、と思いますよね。

でも、実は子供って、自分で伸びる力を持って生まれてくるんです。だから、必要以上に一生懸命やらなくても大丈夫なんです!!

というか、一生懸命が子供にとっては「やりすぎ」に思っちゃうこともあるんです😖

そこがたぶん一番難しいところなんですよね。


でも、子育ては盆栽じゃなくて、雑草みたいなもの、と思っておけば、全てきちっとしてなくても、のびのびと自由に育てることができます。

社会的には、いろいろと規制のある世の中ですから、親にお叱りを受けることもありますが、

でも、心の中では、雑草魂みたいなものは忘れず、子供は自然に育つのが一番いいんだ、って信じていてもいいと私は思います。

子供にとって一番幸せなことは、自分の意志で自分の人生を生きることができること、

親の言うとおりに、親のシナリオで、親の人生を生きさせないように気をつけなければいけません。

失敗は人生勉強だし、人に迷惑をかけたり、紆余曲折しながら進むのが人生だよ、と教えてあげれば、だんだん強い子になると思います♪


*****

親はどうしても、子供の成績が高いほど、自分の成功のように思い込んでしまいがちだと思います。

社会的地位、学歴、世間体、などなど、
目に見える分かりやすいことが上位になると、
自分の価値まで上がるような気がしてきます。

でも、本当はその子の価値は親が一番わかるはずだし、子供が頑張ったことは親のご褒美ではありません。

だから、子供をより良くしようと頑張らなくても、親は子供がやりたい事を応援していればいいのだと思います。

子供は親が思う通りには育たない、そう知ってないと、親の為に子供を頑張らせすぎてトラウマになってしまいます。
また、押し付けられた子供は、外で必ず発散するので、誰かをいじめる子に育ってしまいます。

子供は親の装飾品ではありません。気をつけて。


*****

子供にきちんと躾をしなきゃ、と頑張りすぎるのも、どうなんだろう?と思います。

昔、娘が小さい時、数人で一緒に遊んで、一人だけ保育園に通っていたので、早くから自分で靴を履ける子がいました。

他の子は自分で出来ないので、お母さんに履かせてもらっていましたが、その子は「自分でできるでしょ」と言われていました。

いろいろな考え方があると思うけど、
まだ小さい子が、甘えたい時に甘えられるのは、とても大事だと私は思います。

みんなが履かせてもらっているから、あなたもやってほしいのね、と認めてくれたら、子供は嬉しいと思うんです。

自分で出来ることは自分でしなさい、と頑なにならなくてもいい、と思います。

私だったら、本当は自分で出来るなら、たまには助けてあげてもオッケーで、
まだ自分で出来ないことは自分で出来るように教えてあげる…

そんな方向で育てていきたいと思ってきました。

いざという時に、自分のことが自分で出来たら本人もラクです。
だから、出来ることを少しずつ増やしていけばいいんじゃないかな。

でも、出来ると知っているならば、たまには助けてあげても問題ないと思うんです。

大人だって、頑張れば自分で出来ることを助けてもらったり分担してくれたら嬉しいじゃないですか、愛情を感じるでしょ?


*****


私が一生懸命子育てをしてきて、考え方が変わった転機は、自分が病気になったことでした。

子育てを一生懸命やりたくても、自分のことで精一杯になってしまったんです💦

でも、私が子育てから手を抜くことで、
子ども達は少しずつ成長してきました。

なーんだ、一生懸命やらなくても、子どもって育つんだ、

と実感しました。


家族にとっては、お家はホーム。
外の疲れを癒やす、ゆっくりくつろぎたいところだと思います。

「ゆっくりくつろげる」環境って、家族によっても違うかもしれない。
でも、親の価値観を押し付けないで。

お家でもいつも「きちんと立派」じゃなくてもいいじゃない。いざという時、外でしっかりできれば大丈夫。
もちろん、外でだって、出来ないことや失敗があってもいいんだよ。

そんな心構えで子育てしていたら、
随分とラクです。

いつも怒って子育てをしなくてもいい、
いつも立派な子を目指さなくてもいい、
子どもの性格や考え方、行動は親のせいではない。
子どもは自分なりに育つ、

そう思って、少し自由に育ててみたら、
案外親のやることは少なくて、
親が手を離せば離すほど、
子供は自分で考えて、
しっかり育っていく…


こんなことってある?
なかなかないですよね。
なぞなぞみたい😅

普通は、一生懸命やればやるほど、いい結果に結びつくと思うけど、

子育てにおいては、「いい塩梅」が一番いいんですよね。

それが一番難しいけれど。

でも、頑張りすぎのお母さんは、是非ラクしてしっかりした子を育ててください。


そういう気持ちを忘れなければ、
親に支配されたとか、洗脳されたとか、愛情がなかったとは思われないと思います。

子供のやることを尊重して、気持ちをよく聴きましょう♪
(どうせ親の思う通りには育たないのでね。)



子供の命を守ること、
毎日の食事、ある程度の清潔、

そこだけは、少し大変だけど、
虐待、放置、ネグレクトにならない程度に頑張ろう。

でも逆に言えば、それ以外の手を抜けるところは沢山あるはず。全然きちんとしてなくても大丈夫だよ。

夫婦は離婚できるけど、子供を捨てることはできないから、

気負いすぎると疲れちゃうから、

親も子も、自分のペースを大切に!


以上、子育て16年のまとめでした。



最後に、ちょっと関係ないのですが、私はこちらの記事を読んで驚きました。

news.yahoo.co.jp

なんで、ヤマブドウの果汁と肺がんが結びついたんだろう??

私、このことについては無知なので、もしかしたら全然突拍子もないことではないのかもしれないけれど、とりあえず私は驚きました。

このことに限らず、人類の発見とか進化って、
常識の中では考えつかないような発想を組み合わせると、すごい結果に結びつく、とかあるんでしょうね。

凡人が考える範疇なんて、誰でも考えることで、何も新しいことはないけど、

何かに夢中になって過ごす人とか、他人におかしいと思われるくらい独特な人が、実はすごいことを見つけるとかね。(この記事から思いついたことで、直接関係ありませんが)


だから、そう考えると、
子供って、独特で人と違って、みんなと同じじゃなくても、いいような気がします。
世の中に、いろんな視点で考える人がいることって大切なんじゃないかな。

子育ては、とにかく大変なことには違いない。

でも、親も子供も正しさだけを求めると疲れちゃうから、
楽しく充実した人生になるように、お互いに過ごしたいですね。

数字(成績)にこだわるタイプ

こんにちは、
うさカンです!

私は子供の頃、とにかく暗記が苦手でした。
覚えることが苦手なのは今も一緒で、人の顔や名前を覚えるのも苦手、漢字を書くのも苦手で、いまだに困っています💦

そんな私なので、もちろん成績はたいして良くなかったのですが、意外とテストは好きでした。(漢字テスト以外)
返却されるテスト、点数が良くなくても、「何点取れたかな〜?」って感じで見るのが楽しみでした😅

宝くじ感覚っちゃそうなんだけど、
でも自分がやったことが何割出来たのか知りたい気持ちがあったのですね。


*****

私は高校生の時、1年間アメリカの現地校に通いました。
そこで選択した国語はもちろんEnglish。
担当の先生は、いつも私にPass(可)かFail(不可)で成績をつけてくれていました。
外国人の私に配慮してくれたんだと思います。

でも、私はそれではせっかく頑張ったのにつまらない、と思って、あるエッセイの宿題をきっかけに、ABCで成績をつけてほしい、とお願いしました。

別に成績が悪くても気にしない、それよりもどれくらい自分の評価がもらえるのか知りたい、と思ったんです。


こういう数字とか成績は、プレッシャーになる人もいると思うのですが、私にとってはいいモチベーションになりました。

そういうタイプの子供なら、学校はぴったりです。
あまり細かいことは気にしないし、なんとなく楽しめちゃうタイプなんだと思います。

少しでも数字が上がったら、ラッキー♪くらいに思ってました。


*****

今の私は、あまり数字の評価はありません。
専業主婦なので、成績とか給料、ボーナスもないし、頑張っても頑張らなくても同じといえば同じです。

でも、今度はそういう生活もとても楽しいと気が付きました。

実は今、私、とても忙しいんです。

自宅にステイホームなのは変わらないけど、
図書館の予約の本がどんどん来てしまうし、
You Tubeもいっぱい見てるのに、更新がいっぱいでなかなか追いつけないし、
ブログの更新もしなきゃいけないし(笑)

全部、自分で決めて、勝手に自分でやっていることですけど、なんだかとても充実しております😄
娘が勉強しなくなったから、代わりに私が勉強中です♪

でも、自分がこういう生活をしてみて、改めて思ったことがあります。

少し前、私は子供たちの子育てが終わって、もしお金があったら、また学生に戻って学び直したいなあ、なんて少し思ったことがあるのですが、

今のように、タダでこんなに学ぶことができるなら、もうすごい満足。学校にわざわざ行かなくてもけっこう充分だと思いました。

昔は、何かを真剣に学ぼうと思ったら、学校しかなかったと思うけど、

今はインターネットを駆使すれば、外国の論文だっていろいろ読めちゃう時代。
探せばあちこちにいいコンテンツがいっぱい✨

もちろん、学校では実際の実験とか体験とか、人間関係とか、いろんな事が学べるけど、

いわゆる知識に限って考えたら、学校に行かなくても学べることは沢山あるんだなーと思いました。忙しくなるほど、手段はいろいろ!

しかも、昔は学歴が自分が学んだことの証明みたいな感じだったけど、

今は、学歴とは関係なく学べるし、それをSNSやブログなど、発表する場所があって、それが名刺代わりになります。

この人が何を学んできて、得意が何で、何をどういう風にできる人なのか、ということが、

学歴を聞かなくても判断できます。

そして、話してみれば、その人の知識や能力が分かるんですよね。

本当に時代は変わったと思います。


そんな訳で、
私のやり甲斐も、数字にこだわっていたのが、

より幅広く、興味を持ったことに自由に手を出す楽しみに変わりました。

こんな学び方は、はっきり言って子供達に教えてもらったようなもんです。

現代人だ・・・😅

更年期と心療内科

こんにちは!
うさカンです。

先週末は私の心療内科の日でした。
4週間に一度くらいのペースで通っているのですが、なんだかいつも1ヶ月があっという間に感じます。

私が心療内科に通いだしたのは、子宮筋腫の摘出手術をしてから。

手術後に、いつまで経っても元気になれなくて、婦人科のドクターには、

「手術も成功してるし、もう体は治っているんだから、しっかりしてください」というようなことを言われ、

「しっかりしたいのに出来ないから、とても困っているのに…」と途方に暮れた時、心療内科に転院しました。

そして、ここでもらった薬がよく合ったことと、私の体調不良の原因をひとつずつ紐解いて説明してもらえた安心感で、私は通うたびに心をスッキリさせることが出来ています。

本当に転院してよかったと思っています。


*****

体調のほうは、完璧には元気になりません。

たぶん更年期の自律神経の乱れから、
様々な症状があったりなかったり…

それはしばらく続く予定。
人によって更年期の期間は違うと思うけど、
簡単に「治す」とはならなくて、
体が「慣れる」までなんとかうまく付き合うようなイメージかな。

という知識が私には最初は全くなくて、
突然、体力がガクッと落ちてしまったので、
私自身理由が分からなくて、とても混乱してしまいました。

子供が不登校になったことで、ママ友とのおしゃべりもなくなっていたので、周りの同年代の情報も全く入らず、

みんな疲れやすくなっているんだ、とは知りませんでした。

(だからみんなに知っといてほしくて今、私はここで言いふらしているわけ)


*****

まあ、そんなことを今回の受診でもお話してきました。

そしたら、先生が、

「○○さん(私のこと)が理解できる人だから、よかったんですよ」とおっしゃってくれて、私も褒められて嬉しくなってしまいました😆

私は、娘の体調不良から、とにかくいろんな事を学んできたので、先生の話が理解しやすかったのかもしれません。

いろんな事が無駄じゃなかったんだな、と思いました。

特に不定愁訴は、いろんな事が関係してるので、難しいですよね。

そして、先生が、
「私もお役に立てて、とても嬉しいです」とおっしゃってました。

病院の先生は、人に貢献できることが分かりやすい仕事で、患者が元気になると嬉しいでしょうね。

それを言われる私もまた嬉しいわけで、信頼関係が出来ているのだと思います。

私も、誰かをサポートする時には、
ただ奉仕しているのではなく、自分も喜びを得られるんだよ、と伝えていきたいなあ、と先生の言葉を聴いて思いました。

誰かを支えるという仕事にも、向き不向きはあると思います。
誰かの役に立つのは誰でも嬉しいと思いますが、それよりも嬉しいことが他にある人にとっては、あまりやり甲斐を感じられないかもしれません。

病気のサポートとか介護や子育てなど、不向きだと思う人も悩まずにできるように、

「個人の責任に押し付けず、社会全体でサポートできる仕組み」を作らなければいけませんね。


*****


この心療内科の先生は女性で、年齢は若く見えるけど、私と同じくらいなのかな??

先生も、40才過ぎてから体がガクンと疲れやすくなったとおっしゃっていました。

もちろん個人差はあると思いますが、特に体が敏感な人は、日々の体調に悩まされたり振り回される可能性もあると思います。

そんな時に、そんな日常を受け入れて生きていくのは、メンタル的に辛いかもしれません。

でも、最終的には、全ての人に理解されなくても、分かってくれる人とか気持ちが理解できる人、同じ体験をしてる人などがいれば、支えてもらって意外と前に進めるものです。

自分ってこんなもんよね、と受け入れて、できることをできる時に進めていくしかありません。

結局、誰も分かってくれないと悲観的になっていたり、投げやりになったり、八つ当たりしていても、人生の時間がもったいないだけ💦

だから、まずは自分が楽なように、楽しくなるようにしてみよう。
そしたら周りの家族にも嫌な思いをさせないで暮らせるし…

そういうことを、娘の病気の受容と共に理解するようになり、

私の生活にも生きています😄

なかなか嫌な環境を受け入れるのは難しいですが、できる限りは改善して、逃げて、休んで、また動く、みたいな。

柔軟にいきましょう!!


(そんな私の気持ちを先生に伝えたら、とてもいいと褒められました〜👍 みなさんも、更年期の際には、そんな風に過ごしてね!いつかは体調も落ち着き、子育ても一段落して、また元気になるそうでーす✨素直に信じたいと思います!)

私は具合が悪い時には、
とりあえずソファーに座ったり横になって、
ボーッとこの景色を眺めて、時間が経つのを待っています🙂

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私の子育てバイブル

こんにちは!
うさカンです。

上の子が5年生か6年生くらいだったと思うのですが、体調が悪くてだんだん学校に行けなくなってしまった頃に、HSC(ひといちばい敏感な子)という概念を知り、

そしてそれを一番最初に紹介された明橋大二先生のこちらの本に出逢いました。

今となっては少し古い本になりますが、私はもう一度この本を読み返してみたくなりました。

それで感じたことは、

「この本の内容が私の中に染み渡っていて、考え方のベースになっていたんだ」ということでした。

とにかく、どのページを読んでも
私の考え方と同じで(笑)

私のオリジナルの考えだと思っていた部分も、
実はこの本から学んでいたことだったんだ〜、

と、数年振りに思い出しました。


*****

この本では、こどもの様々な「問題行動」と言われるようなことが、実はこどもの心のSOSなんだよ、ということが分かり、その原因は何なのか、子供が考えていることがどんなことなのか、ということが手に取るように理解できます。

本当の子供の気持ちを理解できれば、親子関係がとても良好になっていくと思うので、私にとってはすごく必要な知識でした。

娘の不登校初期にこの本を読んでいてよかった。


私が一番印象に残っていることは、

子どもを自立させるには、どうしたらいいかー。甘えない人が自立するのではなく、甘えた人が自立するのです

という言葉です。

私は当時、周りの人から、「私が甘やかせるから不登校になるんだ」と思われていました。

でも、一緒にいると、できる限り甘やかせてあげたい、と思うほどの心と体の状態だったのです。

そんな時にこの本を読んで、やっと「これでいいんだ」と覚悟することができました。

いくら周りの人に否定されても、私は自分が正しいと思うことをしよう、そう思えました。

当時の娘は、体調に波があり、学校に行ければ「元気」でした。本当に元気だったのか、元気を装っていたのかは分かりませんが、

そういうところから、「とにかく学校に来させちゃえば大丈夫なのに、お母さんが簡単に休ませるから…」そんな風に思われていたと思います。

でも、朝は本当に具合が悪くて、どう考えても登校できないだろう、と思う日も多くて、休むと「あれ?」というほど元気になっちゃうこともありました。

当時は本人もその理由が分かっていませんでしたが、それが起立性調節障害の特徴だったんです。


*****

また、今だからもう時効かな、と思って書いちゃいますが、娘の体調の誤解がいろいろとあり、本当に傷つくことを言われたこともあります。

例えば、娘が欠席した日の連絡帳に、

「あなたが欠席したせいで、同じグループの友達があなたの分まで仕事をして大変でした。明日は来てください」

というようなことが書いてあったことがあります。

先生としては、発破をかけたら来れるかな?という気持ちで悪気はなかったのかもしれません。

でも、私は娘の体調不良を信じてもらえなかったのかな、私が連絡したことを信じてもらえなかったのかな、体調不良でも心配してもらえないんだ…と、とてもショックでした。

今でもその時の気持ちは忘れられなくて、当時は娘が可哀想で泣きました。

そういうことが重なっていたので、私は先生を信頼することが難しくなっていきました。


そんな経験をしていたので、
私は娘の心のほうも心配で、とにかく私ができる限りのことをしました。

私は娘の為に、お水一杯でも汲んであげて、小間使いのようだったかもしれません。

でも、私はとにかく丁寧に、
「私にとっては大切な存在だよ」ということを一生懸命伝えました。
言葉でも伝えたけれど、とにかく態度で自分の価値を信用できるように、と思って、できることはなるべくやりました。

体調不良な時はもちろんですが、
元気そうに見える時にも、なるべく尽くすようにしていました。

学校で存在を否定されるということは、
ものすごくショックなことだと思います。

そこから立ち直る為には、いくらワガママを言っても受け入れてくれる人がいるんだ、と思えるようにならないといけないと思いました。

そんな私を見て、「やりすぎ、いつまで経っても自立できないじゃない」と思われていたと思います💦


*****

それから、もうひとつこの本から学んだことは、お金のことです。

当時から、我が家は一馬力だったので、節約が「正しいこと」だと思っていました。

でも、この本を読んで、

思春期というのは、精神的には自立していくけど、経済的にはまだ自立できない時期だ、と理解しました。

ある程度必要な物は、買ってあげるべきだと思いました。

学校に通っていれば、友達付き合いの中で必要な物や欲しい物が出てきます。
それは子供の価値観での必要な物で、親の価値観とは違うかもしれない。
でも子供にはまだ、経済的に自立することはできない為、何も買ってあげないと、子供の価値観を否定することにつながることが分かりました。

そして、不登校の場合はさらに、金銭的に少し頑張ってあげなければならないと思いました。

それは、子供の為にお金を使うという行為が、子供を大切に思っているということをわかりやすく伝えやすいと気付いたのです。

思春期前だったら、お金以外で解決できることはいろいろあると思います。
お金をかけないレジャーとか、子供の為に時間を使うようなこととか。

でも、思春期になると、自分の世界が出来てきて、親と過ごすより楽しいことが見つかってくる時期。自分がいいと思うこと、好きなことに親がお金を使ってくれるというのは、子供にとってはただ嬉しいだけではなく、尊重する気持ちも伝わることだと思いました。

もし学校に通っていたら、友達関係とか部活とか、物を買う以外のことで満たされる可能性もあると思います。
でも、不登校で居場所がなくなってしまうと、我慢ばかりで楽しいことが何もなくなってしまいます。それで自分の価値、自己肯定感を上げていくことは難しいと思います。
何でもかんでも否定されているような気持ちになると思います。


そうは言っても、お金は無限にある訳ではないので、そんなに言う通りになんでも買える訳ではありません。

子供は子供なりに、親がどうお金を使っているのか、よく見ていると思います。

うちの経済状況で、できる限りのことはやってくれてるんだな、とか。

今の子供が欲しいものは、
スマホ、ゲーム、パソコンなど、単価が高いものばかりで、正直言って困ってしまいます💧

でも、よりスペックの高い物を欲しがるというのは、成長の証。レベルが上がっているからこそ、もっといい物が欲しくなる、今までの物では物足りなくなるのですよね。

それがワガママではない、という気持ちだけでも理解してあげたいな〜と思います。


我が家では、そういう部分で期待に添えないことも多々ありましたが、小さな要望(食べ物とか文房具とか)には、なるべくダメと言わないようにしてきました。

親が自分の物を我慢して、子供にばかりお金を使っていたら、子供もとてもよく分かるものです。
親に感謝もしてるし、尊敬もしているようです。


*****

この本を読んで、
世間一般で言われている子育てとは少し違うかもしれないことを知ることが出来ました。

私は明橋大二先生の言葉の選び方、書き方が好きです。とても安心できるのです。

私の繊細な気持ちも分かってくれるし、子供の真の気持ちも丁寧に教えてくださるような気がします。

もし、子供のことで悩んでいたら、この本はおすすめだと思います。

人と同じようにできない子供に優しくする方法

こんにちは!
うさカンです。

私、最近気がついたことがあります。
これ、個人的な意見になりますが、私のこれまでの体験の受け止め方の歴史(?)になりますので、よかったら読んでみてください😄

まず最初に、例えばなんですが、
片足がない方がいるとします。その人に、無理矢理「走れ!」という人はいないと思います。

でも、もし両足がある人に走らせようと思ったら、どうするでしょうか。

「走れ走れ!」と何度言っても走らないとします。それで、

「あれ?もしかしたらこの人には足の指が一本ないのかも」と感じ取ったとします。

靴下と靴を履いているから、本当のところは分からない…でも、なんかそんな気がする…

私は、こんな状態が、グレーゾーンとか、軽度とか、または内部障害的なものかな、と思うんです。外から見る限り分からないけど、何か違う気がする、

さて、そんな時に、気がする気持ちをなかったことにして「走れ!」と言うでしょうか?

私は、指が一本ないことで、走れるのか走れないのか、経験がないし情報も聞いたことがないので分かりません。

また、同じ指が一本ないと言っても、親指がないと走れないとか、小指がなくても走れるとか、そういう違いがあるのか?も分かりません。

でも、もしかしたら頑張っても走れない可能性があるのかな、ということは分かります。


*****

私の長女の体調が悪くなった時は5年生でした。その時には、原因は分からなかったけど、何故かみんなと同じことができなくなりました。

できる時もあったので、なんでだろう?と思っていたけど、でも娘の様子をよく観察して、言葉を聞いていると、どうしてもサボりとか、怠けとかのようには見えませんでした。

どんどん だらしなくなっていって、できることが減って、最終的には学校へ通えなくなりました。

起立性調節障害のせいだと分かったのは中2になってからでした。

その時は、「やっぱりね」という気持ちしかありませんでした。

私は最初は起立性調節障害の知識は全くなくて、まさかそういう病気だとは思っていませんでした。

でも、なにか理由があるんだろう、と思って、そのまま自由に過ごさせていました。そういう風にしかできないんだ、と思っていました。

考え方によっては、ただ だらしないから、夜は寝ないし、朝は起きれないし、普通の人と同じことができない人、という感じです。

でも、きちんとしたいと思ってもできない、と本人が思っていることを読み取ることができたので、必要以上に娘を責めなくてすんだと思います。

(本人は、ママには分からない、と何度も八つ当たり?してたけどね😅)


*****


そして次女のほうは、心因性頻尿は治り、今はHSCというだけです。コロナが怖くて学校や小集団生活に参加出来ません。みんなと同じことができていない子供です。

私は、次女がどう思うか、どう考えるのかというところに自由があってほしいと思っています。

自分が思うことを人に否定されないように、守ってあげたいと思っています。

だから、娘は特に悪いことをしているとか、人より劣っているとは思っていないようです。

その上で、私がわかる限りのコロナの情報は伝えています。もちろん本人もニュースなどで知っていますが、「こういう風に考えたら大丈夫じゃない?」というところがあれば、アドバイスはしています。


*****


人と同じことができない子と一緒にいて、一番イライラするというか困ることは、他人に迷惑をかけることではないでしょうか。

私もHSPなので、その点はひといちばい気にしていました。
そうなると、どうしても子供を急かしたり怒ったりして、なんとか他人に迷惑をかけないように、となると思います。

でも、私は理不尽に子供たちに怒りたくなかったので、

とにかく守れそうな約束しかしない、と決めていました。
また事前に、守れない可能性があると伝えて、それでも受け入れてくれる人とのみ付き合うように、少し人員整理しました。

お付き合い程度の人だと気を使うので、そこはもうお付き合いを遠慮して、
本当に理解してくれる人にだけ甘えて頼る生活に切り替えました。
もちろん、そういう関係を手に入れる為に、何度も何度も「できない理由」を説明して、理解してもらいました。


本当は、人に迷惑はかけてもいいんです。一人で生きれる人なんていないです。

もし理解されなかったら、それは社会がそういう人を受け入れるレベルに成熟していない、ということだから。

いろいろな人が、ワガママではなく、できることを自分らしく生きていいのです。

日本は特に時間に正確で、時刻表通りに世の中が動くけど、そうじゃない国もあるようですし、

自分の都合を優先するような文化もあるんだと思います。

どちらがいいというより、ほどほどがいいと思いますけど。私は。

まあでも、とにかく、頑張ってもできない子にイライラと怒らないように、自分なりのルールを作ってうまく暮らせたら、親のストレスもなくなるし、家族全体が平和になるかなーと思います。


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冒頭の話に戻りますが、

私は、「走れない」人でも、歩けたり、松葉杖、義足、車椅子など…

いろんな人がいていいと思います。(当たり前)
それはたぶん、自分が望んでそうなった訳ではないのに、いちいち遠慮する必要があるでしょうか?

どんな人でも、楽しく暮らせること、自分の希望を叶えたり挑戦できる環境があることが大事だと思います。

足の指がない人でも、走ることに挑戦したいと思えばやってみればいいし、

もしできなくても、周りにとやかく言われないでほしいし、どちらにしても幸せって思える社会を作っていきたいと思います。それはハード面もソフト面も両方です。

外から見えないことは、私も理解できないことも多いと思うけど、

「もしかしたら無理なのかも」という可能性は常に考えておきたい。
できないことが本人の努力不足だと決めつけないでほしいです。

発達障害起立性調節障害、HSCなどの概念が昔は一般的に知られていなかったように、

今現在は誰も知らないような不自由なことが実はあるかもしれないし、
これからまたいろんな事が発見されるかも、と思うと、

とにかく人を決めつけることはできないと思うんです。
周りから見て、「もっとできる、頑張れる」と思っても、
実は本人はもう「かなり頑張っているけどできない」のかもしれません。


でも、この人の為と思って親切心から教育などを押し付けてしまうこともあると思うのですが、それは弱い立場の人も勇気を出して、

「それは私には苦しいからやめてください」とはっきりと伝えられたら…と思います。

そういう人は、苦しめようと思ってやっているわけではないので、きっと愛情が沢山あるんだと思います。ただ知らないだけ、気付いてないだけ。

でも、やられる側は苦しいですよね。

自分の為にやってくれてると思っても、辛いことには「やめて」と言っていいのだよ。

もし弱い者いじめをする人がいたら、
「何様なの?」と言ってください。

私たちにはみんな長所も短所もあり、短所ばかりをなじる資格なんて誰にもないと思います。

私はそう思います。

たとえ年長者が相手でも、違うことは違う!というのが当たり前の価値観になると、苦しい人が減ると思います。


本当は親も先生もみんな子供のことを思っているんだと思うんですよね、

でも、詳しい知識がないと、間違った方向に行ってしまうかもしれません。

もし、私の文章を読んで、何か気付いてもらえたら嬉しいな、と思います。




社会も学校も家庭も、インクルーシブ(多様性)を目指して、優しく受け入れられるようになっていくといいな、と思います。

子供たちが、みんなと同じようにできなくても、

もし子供が学校に行きたいと言ったら、うちの娘だって「楽しい」と思えるような環境を作ってほしいと思います。

それが私が子供を通して作れる小さなインクルーシブだと思います。

そして私は、みんなと同じようにできない子供でも、堂々と子育てしていきたいし、それでいいと思って毎日子供たちに接しています。

子供達を、
「みんなと同じことができるように育てる」ことを目標にするのではなく、

与えられた自分のスキルの中で、積極的に何かに挑戦する心、人生をより楽しむ術を自分で見つけていくこと、

そういうところを育てていけたらいいな、と私は思っています。

その為には、強制ではなく、自発的に思う気持ちを根気強く育てる必要があるのかな、と感じています。

人生は親のためでなく、自分のためですから。



ちなみに、私は自分が完璧じゃないから、できないことが多いからこそ、子供たちの気持ちがわかります。
今は更年期かな?って感じだけど、正確な理由は他にある可能性もあるし、分かりませんね。

でも、自分が人並みにできないことがあるからこそ、このインクルーシブが理解できるし大切だと思う。

そういう意味では、私の子供たちもそういうことを理解できる子になると思うし、いろんな人に優しくできる人になると思います。

だから、「できない事」は悪じゃないと思います。

みんな年を取ったり、何かの病気になったり、不自由になる時が来るかもしれない、
一生懸命頑張ってもできないことが出てくるかも。

その時に、どういう社会であってほしいのか、自分はどうされたら嬉しいのか、どう生きれたらいいと思うのか、

想像してみましょう😊

生きているのに、「人生終わった」なんて思わないように・・・