usagi-company-lab’s blog

我が家の不登校日記です。最近は教育と社会問題に興味があります。どうぞよろしくおねがいします♪

斜めの関係を大切にしたい

こんにちは!
うさカンです。

毎日連続更新365日になりました〜👏

こんなに毎日休まず続けることは、もう一生ないと思います😅
毎日読みに来てくださった皆様、本当にありがとうございました。

おかげさまで、私の考え、思い、体験など、全てお伝えできたと思って満足しています!!

私が子育てする前に知っておきたかったことなど、子育て目線の様々な情報を書いてきたつもりです。これからも、ゆっくり書き足していきたいと思っていますので、よろしくおねがいします。


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自分の子育てを振り返ってみて、一番大変だったのは、自分が長女で子育ての情報が入ってこなかったことなのかも、相談する相手がいなかったことなのかも、と思います。

自分が育ってきた時代(自分の親が子育てした時代)とは随分世の中が変わってしまっていて、どうしたらいいんだろう…と悩むことがいっぱいあったような気がします。それを一人で抱えてきたことは、常にスタートラインにいるような感じで大変だったな〜疲れたな〜っていうのが素直な気持ちです。

だからこそ、自分の体験をこのブログに書いてきたんだと思います。

だけど、子育て中のお母さんはすごく忙しくて、きっとブログをゆっくり読む暇なんてないだろうな〜とずっと思っていました。

届けたい人に情報を伝えられなかったら意味がないと思って悩んできました。

それで、私は音声配信に挑戦してみようと思い付きました。

初めての経験なのでどうなるか分かりません。
おしゃべりも得意ではないので、誰かと電話しているような感覚で録音してみようと思います。

私が始めてみたのは、スタンドエフエムというラジオです。

stand.fm


素人でも誰でも配信できるなんて面白いですよね。音声だけなら、授乳中でも、家事をやりながらでも、好きな時に聞いてもらえるかな?と思っています。

子育てに役立つ情報共有やお悩み質問などをいただいたり、小さな子育てコミュニティとして存在できたらいいな、と考えています。

若いお母さん方には、先輩の体験を知ってもらったり、そして先輩ママには小さな子供の頃を思い出して初心にかえったり、斜めの関係を大切に、みんなで励まし合える優しい場を作りたいと思います。

コロナ以前は場作りといえばリアルな会場でやる方法を学んできましたが、せっかくの今の時期、新しい方法で手探りですが挑戦してみようと思います。

せっかくの子育て期間、少しでも楽しくできたらいいなと思っています。

みんないろいろ事情はあるけれど、みんなで子育てしてる気持ちになれたら嬉しいなって思っています。

若いママに斜めの関係から応援できたりしたらいいな〜なんて思っています。

そんな訳で、興味のある方は、是非アプリをダウンロードして無料で聞いてみてください☺️

お待ちしてまーす!!

stand.fm

ボランティア活動と社会貢献

こんにちは!
うさカンです。

今日はボランティア活動と社会貢献について書いていきますね。

このブログでも何度か書いていますが、娘たちにはボランティア活動をする機会がありました。

はじめは軽い気持ちでお願いしたのですが、その効果にはとてもびっくりしました、

それで、娘たちとボランティア活動をしながら、人の役に立つ喜びを一緒に感じさせてもらいました。

仕事をするってなると、やっぱり責任感やプレッシャーがすごいと思います。でも、ボランティア活動なら自分のペースで出来るところまでやれたら大丈夫。自分がやったことで「ありがとう」と言われるのは、とても自信になります。


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今はコロナ禍で、困っている人が沢山います。

特に、3食食べるのが困難な方を助けたい。

正直言って、私には金銭的な支援をする余裕はありません。大抵の子育て家庭はそうだと思います。でも、もし少しでも余裕がある方がいらっしゃったら、是非寄付をお願いします。

私は長女が食事を思うように取れない経験をしてきました。病気の子供が、お腹が空いてるのに、吐き気で何も食べれない〜と言っているのは切ないものです。

元気なのに空腹に耐える子を見るのは尚更辛いことと思います。

食べれないことは、生きる楽しみがなくなるし、いろんな意欲が低下してしまうと思います。

心まで元気がなくなってしまいます。
お腹はただ満たせばいいのではなくて、食べたいもの、美味しいものを食べる喜びは、心の栄養にもなります。

だから、私は娘が食べたいと思うものばっかり食べさせてきました。

そしたらだんだん食べれるものが増えてきて、そしてメンタルも元気になってきました。

私たちは普通に生きてるとなかなか気が付きませんが、明日は何を食べようかなって考えられることは、当たり前ではなく、とても幸せなことなんですよね。

今、パンやカップラーメンで、一日一食で済ませている人もいます。このパンデミックで、そうなってしまったご家庭に、とにかくまずは希望の食糧支援が届きますように…

私にできない事なので、みなさまにお願いです。

よろしくおねがいします。


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そして、じゃあ私にできる事はなんだろう?と考えると、お金や物の支援は出来ないけれど、時間と体験(経験)のシェアなら出来るな、と思いました。

実は、このブログで子育てママたちに伝えたかったいろんな事は、私が子育てする前に知っていたかったことも沢山あります。

みんないろんな経験をしながら成長するものですが、最初から知ってたら、もう少し楽だったのに、楽しめたのにってことが山ほどありました。

だから、私はそんなことを次の世代に伝えていきたい、そう思っていました。

ところが、私もそうだったのですが、子育てママは時間がありません。常に家事に追われて寝不足。それなのに、きっとブログ読む暇なんてないよな〜って思ってジレンマでした。

一番助けたい人に情報が届かない…

それでどうしたら良いのか、いろいろ考えてみました。

その結果、音声配信に挑戦してみよう!と思いました。

音声なら、聞きながら家事、育児出来るんじゃないかな?そして必要な知識をいいとこ取りしてもらえたら、私の経験が役立つかも、そう思いました。

孤独な育児、ワンオペで頑張るママはたくさんいると思うから、せめてエールを贈れたらいいなあ。そして、無料で相談や質問を受けたり、人の悩みを聞くことで励まされたり、そんな優しい場を作りたいなあ、そう思いました。


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ボランティア活動とか社会貢献活動は、本当に小さなことでも、なにか自分に出来そうなことを見つけて、小さな行動をしてみることだと思います。

よく、自分のことも出来ないのに、人のお世話なんて無理って思うかもしれません。

でも、私はそんなことはないって思っています。

病気とかなにか不自由なことがあっても、人の役に立つことは出来ると思っています。

そして、実はそれは人のためではなく、自分の自信や成長につながる、助けてもらっていることなんですよね。

人は助け合って生きるもの。自分がどう役に立つのか、試行錯誤しながら生きていくのは、人生の喜びだと思います。

こんな私でも生きていていいんだな、と思える体験は素晴らしいです。

もちろん、そこから仕事につながって、自立出来れば、今度はまた違った社会貢献ができる幅が広がっていくかもしれません。

とにかく、いろんな人の小さな一歩が集まれば、世の中は変わっていくんじゃないかな。
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中卒はヤバイ??

こんにちは!
うさカンです。

そろそろ受験の準備の季節になってきました。

私はよく、子供が高校に進学しない道は考えられなかったと言われます。私にとっては自然な成り行きだったので、何故高校に行かなきゃいけないと思うの?と考えてしまうのですが、子供たちにも「こんな親は稀だ」とか、「ママそれでいいの?」なんて言われてしまうことも多いので、今日は私のこれまでの人生と照らし合わせて、私の独特な(?)考え方の背景を考えてみたいと思います。


まず、娘が中学三年生だった時、私は進学してもしなくてもどちらでもいいよ、と初めから伝えていました。

それは、今の高校ってとてもシビアなので、単位が足りないと退学になっちゃうと知ったことが大きいかもしれません。

親が、せめて高校だけは進学してほしい、と決めて受験させて、結局退学になってしまったら、「駄目な自分」感がますます増えてしまうと思いました。
自分で決めたことなら、万が一進級出来なくても諦めがつくと思ったのです。(時間は少しかかるかもしれないけど)

自分の意志がないと乗り越えられないことって多いんじゃないかな〜と思います。
逆に自分で決めたからこそ、なんとか頑張れることも多いと思います。


そして、自分で決めていいのなら、とりあえず見るだけ見てみたら?と見学に行くことが出来ました。今後の生活を考えても、とりあえず見たことがある、というのは安心だと思いました。

その上で、物事には「タイミング」があるので、自分のタイミングで動けばいいと思います。

っていうか、やっぱり動けない子は動けないですよ。

私も転職した時に、1年間動けなかったことがありました。(かなり昔の話💦)
自分の体に自信がなかったのが原因なのですが、結局、自分で「このままじゃまずいな」と思った時に、自分で行動をはじめました。

別に、今動かないからって、永遠に動けない訳じゃない。私はそう思います。


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そういう意味で、今の時代は何才でも高校に入学できます。たぶん年齢制限はないと思います。
本当に学びたいと思ったら、夜間中学とかもありますよね。定時制高校との違いがよく分からないけれど、子供が必要だと思えば、自分で調べて手続きするでしょう。

もちろん、高卒認定もあるし、何才になっても道はけっこうあると思うのです。

また、一番大きいのは、今はインターネットビジネスができる時代だということです。

私もブログやインスタをはじめた時、そして今でも学歴を聞かれたことはありません。

誰でも参入できるのですから、別に中卒だろうとチャレンジはいろいろできます。

将来的に一生、高校の学力がなくても、自立出来る道はあるでしょう。

そう考えると、今も将来も、進学してもしなくても自由です。義務教育じゃないんだから、好きなようにすればいいと思うのです。

ちなみにインターネット社会だからこそ、学歴がなくてもタダで学ぶ方法も山ほどあります。

私は一銭もかけずに学ぶことをモットーにしていますが、それでも学びきれないほど情報がたっぷりです。

学歴や資格はお金をかけないと取れないけれど、自分の実力をつける、ということが目的ならば、進学しなくてもできると思います。
そして、うまくやれば、それで充分生きていけると思っています。

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「可愛い子には旅をさせよ」

これが私の中では一番大きいんだと思います。

私は高校生の時に、1年間学校を抜けて、違う文化へ行きました。たいした勉強もしてないのに、何故か当時の単位は甘くて、米国の単位認定する前に進級してました😅

そして受験勉強もできず、内申点もないまま進学しました。

学校の選びようもなく、ただ入れるところに行ったって感じでした。

そこには、帰国子女が多くて、英語ペラペラな人も多かったし、逆に海外経験が全くないのにペラペラな人もいました。

そして、おじさんと呼んでいいくらいの年齢の人も一緒に学んでいました。

本当に世の中にはいろんな人がいるなあ、と思いました。


私は英語ペラペラじゃないけど、英語以外にできることもないし、とりあえずホテルに就職が決まりました。入社試験の漢字がボロボロだったことは今でも覚えています。(漢字超苦手…)

なのに何故か合格したと思ったら、英語とは全く関係のない婚礼部署に配属になりました。

人生は計画通りになんてなることはなく、わけわかんないなあ、と思いました。

ホテルは24時間営業なので、どれだけでも残業ができてしまいます。私は公私の切り替えの仕方を知らずに体を壊してしまいました。

それでも、今考えると、留学したことも、ホテルで働いたことも、知らない世界を知ることが出来て、今になってみるとよかったんだと思います。

当時は役立ってる気はしていませんでしたけど。

経験ってお金で買えるものじゃない、

だから、「可愛い子には旅をさせよ」なんだと思います。どの経験がどこで役立つか分からないから、回り道のように見えることも財産なんだと思います。

先生と呼ばれる人とか、子育てする親には、幅広い視野が必要なのに、けっこう欠けていたりすることがあると思います。

やっぱり回り道の経験がある人は、いろいろ知ってていい仕事ができると思います。トントン拍子の人生は視野が狭くなってしまいます。

私もきっと、体調が悪くて棒に振った人生の何年かも、きっと子育てには役立ってるんじゃないかな。当時は「苦しい」しか思わなかったけど。

そういう「人とは少し違う経験」があるからこそ、「別に中卒だって大丈夫でしょ」なんて思えるんでしょうね。

だからきっと「人とは違う経験」をしてる我が子たちも、きっとどこかでこの経験が役立ち、その苦しい経験が財産になると思います。

人生100年時代に、どうして成人年齢が引下げられるのか、よく分からないけれど、

これからは健康なら70代でも働く時代になっていくのだから、少しくらいデビューが遅くても、何も問題ないと思うんだけど…
90才でノーベル賞、自由な国に生きるなど、先輩にもいろんな生き方の人がいるのですね。

ちなみに、我が子の場合は、どうにか自立しなきゃという思いが強すぎて、それがプレッシャーで体調が良くならないんじゃないかというほど真面目。

なので、一生働かなくても生きれるから、そんなに真剣に考えるな〜!と声をかけてます。

それでも自分なりにいろいろ考えてるようですよ。

社会の仕事というのは、家庭の中でやらなければいけない、子育てや介護や家事などの仕事もあります。

もし娘がそういうことを引き受けてくれるなら、ママが働きに出るよ!って言ったら、娘は家事は嫌い!と言ってます。

家事するくらいなら、働くほうがマシなんでしょうかね。お金もらえるしね😆

でもそういう分業の仕方だってあると思います。


まあでも、それくらい、ゆるーく考えていても大丈夫な年齢なんじゃないかなと私は思っています。大学行って、大学院行って、研究室に残って、いつまでも自立するほど稼げない人だっているじゃないですか?
それくらいの年齢までは、自由に将来を考える時間として与えられても私はいいと思います。

これから新しい学年、新しい学校に移るとなると、またプレッシャーを感じる人もいるかもしれないけれど、人間の心と体はそんなに簡単じゃなくて、カレンダー通りにならないこともあると思います。

焦ると余計に空回りしてしまうと思うので、是非長い目で見てほしいなと思います。

人間は必ず成長していくから、人生なんとかなるものです。

いろんな人がいて、いろんな生き方があるから大丈夫だよ、人と違う育ち方でも大丈夫だよ、と声をかけてあげると、安心してすくすくと伸びていくと思います♪

スポーツ選手と同じで、リラックスしてる状態が一番いいパフォーマンスができると思います!!

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さて、長くなってしまいましたが、私の話だけでは説得力がないので、いろんな人生の人の記事を集めてみました。

15才の時点で、将来の事なんて、ほんと分からないですよね。

計画通りに行かないのが人生だし、波があるのも人生だと思うし。









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起立性調節障害と学校改革

こんにちは!
うさカンです。

我が家の長女は、起立性調節障害で、夏は吐き気がひどかったのですが、最近はだいたい食事が出来ています。

まだいろんな不調があり、私は気になる症状について、何か治るヒントはないかと思って勉強を続けています。

そんな中、今回はこちらの本を読みました。

こちらは高校生向けの本ですが、難しかったです。半分くらいは理解できたでしょうか。

なによりも、時計遺伝子というのは、発見されて2017年にノーベル賞を取ったようですが、それ以降何かすごい研究結果が出てきてないようです。

体内時計を整えるには、早寝早起きの規則正しい生活、朝ごはん、運動が大事だということは痛いほど知っています。

体内時計がずれると、病気の発生率が上がることも分かっています。

それでも、じゃあどうやって治すの?というところが分かりません。

どうやら脳内の時計遺伝子の一部分に異常があり、違うタンパク質に入れ代わってしまっているらしい、という研究結果まではあるようですが、原因も分かりません。

人間の体は、宇宙のリズム、太陽や月の影響などがあるようです。潮の満ち引きにも関係があるようです。

だけど、そうなってくると、占いなのか、スピリチュアルな話なのか、訳が分からなくなってきます。

きっと、今現在、エビデンスがないことでも、もしかしたらこの先研究により明確に何か出てくるかもしれません。

今、目に見えない何かを、だからといって全否定も出来ません。とにかく研究に期待するしかありません。

今回の本で確実に分かったことは、長女が産まれた時刻(午後3時前)が全体的に一番出産の少ない時間帯だということでした。

これが娘の病気に関係あるのか、ないのか分かりませんが、娘は産まれた時から少数派だったんだなあ、ということです。


そしてこの本を読んだあと、養老孟司さんの動画をたまたま見ました。

いつ撮影されたのか分かりませんが、養老先生も25時間周期で動く人間がいて、理由が分からないとおっしゃるんだから、いくら私が勉強したって、何も分からないよな〜と悲しくなりました。

そりゃあ一般的に(専門家だけだとしても)原因も治療法も知られていれば、病院に行けば治る病気なはずです。

それがないのに、いくら私が調べたって意味ないよね。

でも、目の前で溺れている人を、浮輪がないから放置する、ようなことは私には出来なくて、ついペットボトルでも投げてみる?ロープなら使えるかな?と試すこときりがない。

こんなに日常生活に影響する病気なら、難病指定とか、手帳とか、年金とか、何かサポートがあってもいいのでは?と思うものの、きっとこういう原因がはっきり分からない病気と闘っている人は、山ほどいるのでしょうね。


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まあ、そうなってくると、やっぱり学校だけはどうにかならないかしら…と思います。

私の娘は、毎日早起きして登校出来ていたし、ラジオ体操も毎夏行っていました。

スマホタブレットも持っていなかったので、そういう理由で発症したわけではありません。

学校からのストレス(行き過ぎた指導)以外、考えようがありません。

きっと体質としては、もともと持っていたのかもしれませんが。

だとしたら、結局、学校に変わってもらうしかないと私は思います。

なるべく発症しても軽症で済むように、学校の中に、多様な選択肢を採用してもらいたいです。

よく障害の人に、配慮することを求めることがあると思いますが、自分一人だけ特別扱いされるのは、いい気持ちではありません。

人目を気にして、ますます行けなくなってしまう子も多いです。

そうじゃなくて、みんなに平等に選択できる環境を作ってほしいと思います。

居心地の良さ、悪さは人によって違うので、窮屈であればあるほど、そこに居られなくなる人が出てきてしまいます。


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ただし、多様性を受け入れるとなると、今の教室の人数では無理です。先生が子供たちに対応しきれません。子供たちが一律であるからこそ、一人でこの人数をなんとか把握できているのだと思います。効率よくコスパよく、公教育が行われている訳ですよね。個別対応は不可で、全員バラバラなんてあり得ない。(でも人間はみんな一人一人違うのに)


教育にもっとお金をかけてほしいですが、先生がやらなくても出来る作業は全てデジタル化して、働き方をもっと簡素化していかないと、先生を増やすだけでは対応しきれないかな、と思います。

出欠の確認から、家庭への連絡(欠席連絡がない家庭に確認を取るなど)は、全てオンライン一本でいいと思うし、宿題やテストを出題、回収、採点なども、一瞬でやり、AIがそれぞれの子供が苦手だと分析したところを先生が丁寧に教えてくだされば、子供も満足ではないかしら。

塾に行かなくても、東大の異才発掘プロジェクトに行かなくても、せめて自治体の中で多様なレベルの教育を選択できれば、親も楽です。

rocket.tokyo


自分に合った教育環境があれば、一番嬉しいのは子供たちではないでしょうか。

学校が楽しく居心地よい場所でなくてはいけないのは、強制収容所ではないからです。大人の邪魔にならないように子供を預かる場所ではないからです。(詳しくは、小説モモを読んでみてください)

そして先生方には、なるべく仕事量を減らしてもらい、多様なタイプの子供たちの対応の仕方や、授業のすすめ方など、勉強できる時間をしっかり確保して、よりよい教育を目指してほしいな〜と思います。

目の前の子供が自分のペースでみんな伸びていけば、きっと先生方のやり甲斐も増えて、なり手も増えるのではないでしょうか?

子供たちが学校で楽しくいい思いをすればするほど、教師になりたい子供も増えるのではないかな〜。

誰でも理由なく、休んだり遅刻欠席したりできれば、起立性調節障害などの病気の子供だって、遠慮せず、嫌な思いもせず自分の体調に合わせて登校できるでしょう。

またオンラインで一斉にテストをすれば、自宅からでも受けられるので、不登校でも受験に不利にならないかもしれません。

本当に、いろんなパターンを研究して、学校改革を早く進めてほしいです。

せめて原因や治療法が分からない病気なら、学校(環境)だけでも変えることは簡単ではないでしょうか?

たぶん全国には、不登校になっちゃうかも、と心配している親子がたくさんいるんじゃないかしら。だってみんな、得意不得意は違うんだから。

ict-enews.net

usagi-company-lab.hatenablog.com

多様性について考える、水族館に行くためには

こんにちは!
うさカンです。

次女の幼稚園のお別れ遠足は、水族館でした。
その頃の娘は、心因性頻尿で、幼稚園の年長の夏休みあとから幼稚園に行けなくなり、病院にも行ってみたけど治らず、とても遠足にも行けない〜😖という状態でした。

みんなと過ごした幼稚園の集大成の部分が全部参加できなくなり、可哀想だったけど、精神的に外出が不安で仕方がない時期だったので、しょうがなかったですね。

もし、みんなと行けてたら、子供は子供料金(団体割引)でした。先生方の付き添いは、お金はかかるのでしょうか?どこから出るお金なんでしょうか?

長女は小学校の遠足で水族館へ行きました。その時も、子供料金プラス団体割引です。

水族館ってけっこう高いので、困窮家庭では連れて行くのが難しい場所です。

子供だけで行かせる訳にはいかず、親の付き添い料金は大人料金。けっこうかかります。

だから、遠足って、子供が楽しめるありがたい行事です。

家庭の都合に振り回されずに、楽しい経験が出来ることは、子供の喜びで、大袈裟に言えば「生きる希望」ですよね。


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ところが、子供が不登校になると、その恩恵までなくなってしまいます。不登校でも遠足だけは行ける子もいるようだけど、行けない場合は親が連れて行く能力がなければ無理です。

私はいつも、不登校の問題と貧困の問題はつなげて考えないといけない、と思っています。

お金がある家庭なら、家族で遊びに行ったり、フリースクールを楽しんだり、選択肢はいっぱいあるでしょう。

でも、そうじゃない家庭の子供は、学びだけでなく様々なチャンスまで失ってしまうこともあるので、

「学校に行きなくないならいかなくていいよ」って支援だけでは、救えない子もいるんじゃないかしら?と思います。

その子その子に合った環境の学ぶ場所、経験できる居場所が、無償であるといいのになあ、と思います。


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今、我が家の長女は水族館に行きたいそうです。けっこう前から言ってます。

旅行にも行きたいそうです。観光はせずに、窓からのんびり景色を堪能できるような場所へ泊まりに行きたいそうです。

コロナということもあるし、娘の体調のこともあるし、金銭的なこともあるし、いつ実現できるのか分かりません💧

娘は起立性調節障害という病気療養中です。
なかなか外出も難しいので、プロジェクターを買おうかなあ、と悩んでいました。

大きい画面でいろんな映像を見て、行った気分を味わいたいってことで、いいんじゃない?と思います。

私は、VRのほうが臨場感出るんじゃない?と思うのですが、それだと具合が悪くなりそうだそうです。

大人も子供も、お金を使わないように生きようと思うと、なかなか行動に移すことができなかったりするし、

自分の心身に病気や不自由があると外出しにくかったりするし、

でも何も経験しないのは、次のアイデアが思いつきにくくて、引きこもりとかニートから抜け出せなかったり、と。

何かをやってみることで、「もっとあれしてみたい、こうしてみたい」という意欲が出てくるものだと思います。

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貧困家庭なら、お金も余裕がないし、自分が引きこもる部屋もないから、早く稼いで独立したい!というモチベーションになるかもしれません。

下手に親に余裕があると、子供も自立を考えなくて済むのかもしれません。

そういう訳で、なんでも物質的に満たされる必要もないのですが、

でも希望へ続くきっかけって大事ですよね。

いろんな人が、いろんな体験ができるように、いろんなツールやシステムが開発されていくと、

きっと励まされる人がいると思うんですよね。

バリアフリーであれば、車椅子の方でも水族館に入れる、楽しめるように、ひとつの施設の使い方、楽しみ方も人それぞれでできるように、

サービスの多様化は、いろんな人の人生の何かの楽しみやきっかけになるかもしれません。

あなたはどんな方法で、なんの体験をしたいですか??

給食の完食指導について

こんにちは!
うさカンです。

まず、こちらの記事をご覧ください。

news.yahoo.co.jp


現代でもまだ完食指導が行われているということに驚く方も多いと思いますが、日本には、頑張りや根性を評価する文化があるので、学校教育全体に「出来ないのは努力が足りないからだ」という思想がはびこっています。

子供はみんな一律ではない、ということが、何十年経っても理解出来ない人がいるということは、本当に残念で、私はこういう記事を読むと涙が止まりません。

私の娘も少食と低身長に悩んでいた時に、完食指導を受けて、とてもとても苦しみました。
「なにを余計なことしてくれるんだ!!」と、めっちゃ悲しかったです。

細かいやり方は、辛すぎてここには書けません。でも全ての発端はここからでした。

何年経っても、娘の傷は癒えないと思うし、私自身も胸が張り裂けそうな気持ちになるので、これだけは何度か書こうと思っても書けずにきました。

でも、やっぱり同じ思いをする子供が未だにいると思うと、なにかアドバイス出来る事はないのだろうか?と考えました。


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とにかく、完食指導から子供を守ってください。恐怖症になる前に。

食べることは生きることに直結することです。

食べる楽しみがない人生を生きるのは辛すぎます。

何でもかんでも食べれなくても、大丈夫。生きていけるんだから。絶対に強制はしないでください。私も子供の頃から少食だったので、食べたくないものを飲み込む辛さはよく分かります。

何でも食べられる子は無条件に褒められるけど、それはただ特性として食べ物に敏感な舌を持たないで生まれただけ。

たくさん飲み込める喉、たくさん食べられる胃袋を持って生まれただけ。

それは運であって、努力では解決出来ないことがたくさんあるんです。

なのに、それを悪い子、悪い人みたいに言われたら、子供たちはどんなに傷つくでしょうか。

さらに学校という場は、連帯責任にしてくるから、ほんと厄介。

クラスで残飯調べなんてただのプレッシャーです。


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私は、あまり面談とか得意じゃないし、怒ることも怒りをぶつけることも得意ではありません。

でも、このことだけはどうしても許せなくて、当時の担任の先生と、養護の先生と、栄養士の先生を呼び出して、場をセッティングしてもらい、訴えました。

そのあと、今度は教育委員会にも行って、全てを話して改善を求めました。

そして、学校から残飯調べの順位付けがなくなりました。少しだけ緩くなったと言えるかもしれないです。

もちろん、成長のために、私だってたくさん食べて欲しい。親もそんな思いで苦労されてる偏食少食さんの親もいます。

だけど、目の前の子供がまず元気に自分のペースで頑張っていたら、ハナマルじゃないかな?

少しずつ個人的なペースで伸びていけばいいんじゃないかな?

偏食少食な子は、食べる時に褒められることがなくて、とても悲しい思いをしています。

さらに、親はみんなと同じ給食費を支払っているんだから、堂々と食べさせて欲しいです。

外食で、今は環境問題から「食べ残しを自己責任でお持ち帰りできる」ように、だんだん世の中が変わってきました。アメリカのドギーバッグのようなものです。

給食は持ち帰ることは難しいとは思いますが、お金を払っているんだから、もっと自由に食べさせて欲しいです。苦手なものばかり食べるのではなく、デザートも食べて栄誉を少しでも取って欲しいです。

問題解決を子供たちに押し付けるだけではなく、例えば食品ロスの問題として捉えるならば、地域の皆様に食べに来てもらうとか、貧困家庭に寄付するとか、大人の知恵を使って解決できないでしょうか?

もしかしたら子供たちのほうが、よいアイデアを持っているかもしれません。

食べ物を大切にすること、感謝することは、個人的な食の能力や栄養のことなど、成長の個人差とは別に考える必要があると思います。


*****

そして最後に保護者の皆様へ。

現在でも完食指導があるかもしれないと知っておいてください。

私も事前に知っていたら、こんな指導をされなかったかもしれないと後悔しています。

特に低学年のときは、初めから少食です、と担任の先生に毎年伝えていたのに、高学年になったら「もう大丈夫かな?」と思ってしまいました。

でも、学校のあらゆる指導は、高学年のほうが先生方は熱が入ります。もう高学年なんだから、これくらいできるだろう、これくらい出来なければ自分が困るだろうと親心的な心配からかもしれませんが、とにかく頑張ることを強制されるかもしれません。

個人のペースを大切にしてくれる先生ばかりではありません。

だからこそ、食べることに苦労している子供は、前もって毎年毎年先生に伝えてほしいと思います。

それで学校が苦痛になったり、体調を壊したり、成績が下がったり、自己肯定感が下がってしまっては、本当に可哀想です。

「なんの為の学校なの?」と思ってしまいます。

子供たちを傷つけるために学校はある訳ではありませんよね。

もちろん、給食に限らず、子供の特性、気になることは、前もって知らせておいてください。


本当は、先生だって、間違った指導はしたくないはず。良かれと思ってしていることばかりで、先生も頑張っているんだと思います。

自分の生徒が自分の指導のせいで不登校になるなんて、誰も望んでいないし、本当に悲しいことだと思います。

だから、もしあの時に私が先生に前もって「完食指導は絶対にしないでください」と言えていたら、先生も娘も傷つけなかったかも…と思います。

だけど、私も初めての子供だったし、まさかそんなにひどい指導をされるとは予想出来ませんでした。

だから、このことは、言わないつもりだったけど、言えないと思っていたけど、

やっぱり言わなきゃいけないな〜と思って、ここに書き残しました。

是非、子育て中の保護者の方、これから子育てするかもしれない方に、役立ててほしいです。

情報の共有は大切です。

環境問題ってどう学ぶ?

こんにちは!
うさカンです。

コロナ対策に夢中になっているうちに、どんどん環境問題が意識の外になってきていませんか?

私は正直言って、環境問題に詳しくないので、難しいことは分かりません。

ただ、ここ数年、インドアで運動苦手な私が、朝顔を育てて自然観察(?)するようになり、そしてお散歩で外の景色を堪能するようになり、そのうち娘も一緒にお散歩するようになり、なんとなくこの自然を壊したくないなあ、という気持ちになりました。

また、私が更年期世代になり、娘も自律神経系が乱れていて、気象に左右される体になっています。気象病が増えているのは、やっぱり異常気象が増えていて、環境問題とも関係しているんだろうなあ、と思います。

とにかく、私の時代はいいかもしれないけど、

これからの子供たちや孫たち、人類の後輩たちのために、何かをしなければ、環境を守らなければ…

そういう気持ちに真剣になることが多くなってきました。

*****

学校では、どのように環境問題を学んで取り組んでいるのか私は分からないのですが、家庭の中での子育てについて、少し思ったことがあります。

うちの子のように、のんびりとお散歩して暮らす生活は、自然の良さに気がついて、その心地よさをキープしたい、と自然な自分の感覚として捉えることができると思います。

子供たちは、登下校で、そのような自然とか季節の移ろいを満喫しているでしょうか?

夜、塾などに行って勉強することは偉いと思って頑張っていると思いますが、ちょっと嫌な言い方をすると、電気をたくさん使う生活です。
本当にいいことなのでしょうか。

学校でも家庭でも、少しでも成績アップのために頑張る、いつも数字とにらめっこの生活は、常にずーっと上へ上へと目指していて、どこで満足できるのでしょうか。

物事にはいい面、悪い面、いろいろあるので、頑張っている子供たちに水を差すような言い方は申し訳ありませんが、

環境問題を考える時には、理想のライフスタイルを考えることが先決だと思うのです。

私たちは、どれくらいのエネルギーを使って、どんな生活をすることが幸せなんだろう?

そういう意識を持って生活してみると、案外高望みしなくても、「あるものでけっこう満足できる」と発見するかもしれません。

人の幸せも多様だと思うので、考え方も当然いろいろあっていいと思いますが、

我が家のように、時間をゆっくり使い、お金は最小限、教育費ほぼゼロ、そんな生活でも、何故か心豊かに工夫も楽しんで、幸せに暮らす道もあります。

子供たちには、まずは自然の恩恵をたくさん感じて、そして将来の地球をどのような環境にしたいのか、どんな生活をしていきたいのか、そういうことを具体的に考えることが出来れば、自然と環境活動に繋がっていくのではないかと思いました。

知識ばかり詰め込んでも、ビジョンがなければ、楽しくないし、行き詰まるような気がします。