こんにちは☺
うさカンです!
ここ数日、起立性調節障害のお子さんを育てるお母さんたちのブログを読んでいました。
過去のブログまで読ませてもらいました。
まだまだ読み途中です。これからも読むつもりです。
我が家の長女は、起立性調節障害と診断されています。完治までのステップが何歩必要なのか分かりませんが、とりあえず、一番悪い時からは一歩抜け出したように思っています。
昔は体調に波もなく、ただひたすら寝ていました。目に力がなくて、食事も取れず、生きてる?って心配になる感じが続きました。
今は、自分では「死ぬ死ぬ詐欺」って言ってて、
もう死にたい、こんな体捨てたい、などを連発して次女を怖がらせているときもありますが、その言葉に力がある発声なので、一番悪い時からは一歩脱出したように思っています。
生活に波が出来てきて、いいときも悪い日もあるということが、前よりは良くなった証拠だと思っています。
寝たきり状態のときは、ひたすら休ませることに専念していましたが、一歩ステップアップした時、どのように過ごしたらいいのか…
そう思って、先輩方のブログを読んで参考にさせてもらっていました。
そして、どのブログも、本当にすばらしい体験記、どのお母さんも、ものすごい調べて勉強されていて知識や情報も豊富!!
時にはカウンセラー、時にはドクターや看護士、薬剤師、栄養士、など…
専門家のよう!
これだけのスキルは資格なんかなくても、社会の様々なシーンで活躍できるんじゃないかとびっくりしました。
たくさん書き貯めてくれているから、こちらもとても参考になります。
それぞれにいろんなパターンがあるから、本当に参考になります。
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夏休みに入って、やっぱり我が家の子供たちの生活はそれほど変わりありません。
いつ何時に学校へ行くか (行かないか)など考えなくてよいのは、私の気持ちは楽だけど、子供たちに家庭以外の居場所がなく、お友達と遊べないのは変わらなくて…
本当は私がアレンジしてあげたいけど、今年の夏は無理そう。
それで、長女は落ち込んでいるし、次女はママ遊ぼうと言ってくるし💧
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長女と少し話しました。
長女には、何度かこれまでも真面目な話をしたことがあります。
反応はありませんが、よく話を聞いてくれます。
今回 話したことのメインは、
昔の友達関係が切れてしまったのにも関わらず、新しい友達関係を構築できないことに関して、私の気持ちを話ました。
私は、娘がドクターストップとなった時、娘の体調にかなり無理があって学校に普通に通うのが難しい状態だったので、とてもホッとしました。
その時は、こんなに長引くとは思っていなかったし、この先に娘の居場所がなくて苦しむとは想像出来ませんでした。
なので、その部分を謝りました。
本当に娘が苦しむ姿に申し訳ないと思ったので、そのことを伝えました。
また、今は様々なパワハラの事件がクローズアップされているけど、当時の私は、
パワハラはされたほうに苦痛があったらパワハラと認定される、いじめと同じく、被害者に認識があったらアウト❗ということが、きちんと理解できていなかったという勉強不足について謝りました。
納得がいかないことは伝えて、最終的に現場レベルでは謝ってもらいました。
でも、私は相手の気持ちに悪意がなく、良かれと思って進んでしまった指導に、相手の思いも考えて、深く追及できていませんでした。
今後、二度とないようにしてください、わかりました、というやり取りは、結局その場だけの話になってしまったように思います。
私がもう少し「大ごと」にすればよかったと思ったこともあります。
過去のパワハラ事件の報道で、親が弁護士で、
訴えた時、世論もマスコミも動いたからこそ、パワハラの認識が私たちに定着したという功績があると思います。
その時に、私は同じ親という立場で、娘のためにきちんと対処する能力がなかったな、と思いました。
でも、親の職業によって、やり方もいろんな手段があるけれど、私にはそんなことは出来ない。
ほとんどの親は出来ないんじゃないかしら。
一方、その事件の被害者である子供は、
訴えることに、「そこまでしなきゃいけないの?」
と言っていたという報道もありました。
うちの娘に置き換えてみても、「大ごとに」してほしくない、その時はそっとしておいて欲しいと思ったと思います。
ではどうすればよかったのか、
それは、娘のために、学校の受け入れ環境を整えることを、もっと要求すればよかった、だと思います。
学校から完全に引き離すのではなく、娘の体調でどう学校とうまく関わることができるのか、もっと話し合うべきでした。
そういう訳で、その点についても娘に謝りました。
学校に行かず、友達との関係が壊れてしまわないように、配慮と理解をお願いすればよかったです。
もちろん、言ったんですけどね。
でも、知識不足で、全然変えることができていませんでした。今考えると💦
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ずっと思っていることは、
あの時に、「起立性調節障害」という診断が欲しかったな…ということです。
そして、親を含めて、周りの大人(学校の先生方、カウンセラー、ドクターなど)がきちんと病気を理解して、偏見なくサポートする体制を作ってあげられたらよかったな。
そうしたら、子供たちの間でも、助けてくれたりしたかもしれない。娘がこんなに孤立しなくてもよかったかもしれないと思います。
私が今、娘に謝っていること、そういう気持ちがあるからこそ、私はこの病気の知識を広めていきたいと思っています。
「もしかしたら起立性調節障害じゃない?」って、どこかから、一言出てくるだけで、その後の歩みは全然違うと思うのです。
たぶんあの頃の体調では、いったんお休みが必要だったし、コンスタントに学校には通えなかったですけどね。
でも、待っててくれる人がいるって気持ちを作れたらよかったな。
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私は自分だけじゃなくて、関わった大人みんなが、病気に気付いてあげられなかったから、ごめんね、と言いました。
でも、私はその時は自分が出来ることは精一杯やったし、娘のことを一生懸命考えていたことは伝えました。
そして、その時に自分が全く不勉強で、パワハラも病気もわかっていなかったからこそ、それから学んできた様々なことを生かして活動しているんだよ、と伝えました。
でも、もし私の活動が、娘にとって嫌なことがあれば、やる意味がないので、毎回娘の気持ちを確認しています。
いくら正義感をもった正しい活動でも、娘の気持ちが嫌だと思った時にはストップするよって約束しました。
この私のやり方は、とても個人的になってしまいます。
自分の子供のためにやる活動、自分の子供ファーストということは、社会活動として認めてもらうのは、とても難しいのです。
みんなのために、社会のために自分の利益を優先しない、というのは、病気の子供を持つ親としては、とても難しいのです。
でも、子供たちが成長して、もう手助けする必要がなくなったら、もっと違う形で社会貢献できるかもしれません😊
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最後に、
私は本当は、一番いいと思っていることは、
病気の診断があってもなくても、子供たちみんなが居心地よく過ごせる学校を作ることだと思います。
確かに、「起立性調節障害」だから出来ないこと、いろいろあるから理解して欲しいですが、
じゃあ、そうじゃない子はどうなるの?
やっぱり同じように、何に困っているのか、何が出来ないのか、何が苦手なのか…
まずは、そこに寄り添う大人がいて、
その子が学校で楽しく、苦しくなく過ごせる方法はなんなのか、きちんと考える必要があると思います。
それが平等ということだと思う。
今の学校制度では、とても難しいことです。
でも、どうしたらそう出来るのか、と、 今 考えていかないと。
クラスの半分が不登校です、なんて状態になってしまったら困りますよね。
不登校の子供や、起立性調節障害の子供の話を聞くと、HSC (ひといちばい敏感な子)ばっかりです。
学校や先生が、もっとHSCのことを知り、上手に指導して輝かせて欲しいな~と思います。
専門家が、
知らなかった から…
ではプロじゃないし、良かれと思ってやったことでも、パワハラと認定される時代ですからね。
子供のことを思って一生懸命、でも、その方向性が合っているのか、よく考えてもらいたいです。
受け取る側が苦痛を感じるほどのことは、冗談でもアウト❗という世論ですよね?