こんにちは☺
うさカンです🌸
今年ご卒業の皆さま、おめでとうございます。
今年の中学三年生は、義務教育(小学校)に入学の年に震災があり、義務教育(中学)卒業の年にコロナ騒動で、イレギュラーだらけでした。
今までに経験したことがないような出来事の中で育ってきた子供たち、大人になったら、今までの常識にとらわれず、みんなが住みやすい世界を作っていってくれることを期待したいと思います😊
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先日、卒業式に関して 新聞に紹介されていた校長先生の言葉がありました。
「練習できなかったが 心のこもった式になった」
今年は卒業式が中止や縮小されて、悲しい思いをする親子もいらっしゃいます。
私は正直言って、自分が若い頃の卒業式をほとんど覚えていなくて、あまり重要視してこなかったのですが、子供たちにとっては、とても重要な区切りなんですね。
あると思っていた卒業式、突然ないと言われた喪失感は、しばらく癒えないのかもしれません。
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我が家の娘も、小学校五年生の時に、同じような経験をしました。
娘の学校では、五年生は在校生代表として出席できるはずだったのに、練習に出席できなかったために席を用意してもらえませんでした。
娘は一学年上の六年生のお友達が何人かいたので、とても楽しみにしていました。
学校は、式の形式ばかりにとらわれて、娘が純粋にお友達をお祝いしたいという気持ちに添ってもらうことができませんでした。
娘も私も存在を否定されたようで、とても残念でした。
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そこで今年の新聞で紹介されていた校長先生の言葉を思い出してみると、
今年こそ、少し卒業式について見直すことができるんじゃないかと思うのです。
私が小学生の頃は、卒業式に兄弟を連れて行くことができました。
私の妹は年が離れていたので、私の卒業式に一緒に出席したのをはっきり覚えています。(これだけは何故か覚えているんです!)
今は、弟や妹は出席できない学校が多いと思います。毎年新聞の何故?という投書をみます。
私も同じように思いました。
きっと子供が騒ぐと式の雰囲気が壊れるってことなんじゃないかと思います。
その一糸乱れぬ式って一体誰の為に作っているのでしょうか…。
先生の満足のため?来賓にすばらしいものを見せるため?親が感動するため?
もちろん練習してきた子供たちも達成感を味わうのかもしれません。
でも、本当に軍隊のように揃える必要があるのかなあ?と私は疑問に思ってしまいました。
それよりも、子供たちの感謝と感動の気持ちを大切にした、温かい式になればいいのにって思います。
不登校の子供たちが、式に出たいと思えば出られるようにして欲しいと思います。
(もちろん出たくない子の意志も尊重されるべきだと思います)
今まで、六年間なり三年間なりを、自分なりに頑張ってきたことを、祝福される方法はいろいろあっていいと思うけど、自分の人生が自分で選択できることこそ大切なんじゃないかと思います。
卒業式のハードルが高ければ高いほど、出席したくても出来ずに影で泣いてきた子供たちがいるかもしれません。
来年度からの教育改革で授業時間が増えるのを確保するために、子供たちの行事が削られています。
学校では、勉強だけじゃなく、遠足なども楽しい学びの場だと思います。家庭では経験できないことも沢山あります。
立派な卒業式を作るために練習時間を確保するより、子供たちの思い出作りの時間を大切にしてもいいのではないか?と思いました。
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娘が六年生になった時、
私は卒業式に出席するかしないかで、人生が決まる訳じゃないよ、と話ました。
出席してもしなくても、幸せになれるから大丈夫だよって言いました。
そしたら、娘は (先生方の協力のもと) 出席すると決めました。
自分の人生を自分で決めることができたことが、私は嬉しかったです。
最後に…
ヒカキンさんの動画がとてもよかったな~って思いました。
今年の卒業生だけじゃなく、今まで卒業式について傷ついてきた子供たちにも、是非ぜひ みてほしいなと思いました。