こんにちは☺
うさカンです。
先日、Eテレの番組を見ました。
社会の勉強として、ゴミについていろいろ紹介されていました。
ゴミについて学べるのですが、ゴミを例にして、
「社会科とはなんでしょう」というところも学べて、私も興味深く見ました。
教科として学校で習う社会科について、深く考えたことはなかったけど、ゴミを題材に、地域や決まりや歩みなどを学ぶことができて、
社会、公民、歴史などのつながりや、何故学ぶのか、どんな面白さがあるのか、など、とてもよく分かりました。
私は自分が高校生まで社会なんて大嫌い、ただの暗記科目と思っていたんですが、世の中の仕組みを考えることは面白いですね💦💦
娘はそのテレビを見たあと、早速まとめを紙に書いていました。
娘にとっては、社会の面白さが自然とわかっているようです。
学校だったら、
学んで、ノートにまとめて、発表して…
などのカリキュラムが決まっていて、先生から教えられて進めていくのだと思うのですが、
娘の場合は、一年間ほとんど学校に行けなかったので、そういう経験がありません。
きっと、ゴミのことは勉強とは思っていなくて、遊びの延長で、知りたいと思ったことをまとめようって思ったのではないか、と思います。
私は「紙にまとめる」なんて発想もなかったので、我が娘ながら、すごいなあと思いました。
これぞ、アクティブラーニングじゃないの。
我が家の壁には、紙がベタベタとあちこちに貼ってあります。
最初は、枠を作って、「この中だけに貼っていいよ」としたり、自分の部屋だけに貼っていいよ、としていました。
でも、量産スピードに追いつかないし、私が病気になってしまったことで人が訪ねてくることもなくなり、インテリアにこだわりがなくなりました😅
もう、どうでもいいや~、好きにしておくれ!
と思ったら、廊下にも、トイレにも、もちろんリビングや寝室も、張り紙だらけになってしまいました💧
最近気がついたのは、この「自由さ」が娘を育てたのかも、ということです。
頭の中も自由に考えるし、時間も自由に使うし、そして、自由に書いたり(描いたり)貼ったり…
クリエイティブな頭を作るには、ちょっと雑然としてるほうが、いろんな発想につながるのかも。
あーしてみよう、こーしてみよう、と思い付くのは、キレイすぎないほうがいいのかも。整理され過ぎていないこと、そして、誰かがやってあげないこと?
そういう発想力が、真の勉強、知の好奇心につながるのかな?と思いました。
狙って不登校にした訳ではなく、たまたま心因性頻尿により登校できない日々だっただけですが、思いがけない能力を育てることができたのかも!?なんて思いました。
また、娘は1つ苦しいことを乗り越えた経験から、強くなったように感じられます。
今のコロナ休校も、そういう意味ではビッグチャンスかもしれません。
我が家も引き続き、そんな生活になっております。
自粛生活は不自由だけど、学校がないというのは拘束されない「自由な時間」がたくさんあるということだから…
そして、これを乗り越えたら、少したくましく成長しているかもしれません。