こんにちは☺
うさカンです。
人間は常に動いていることも、常に止まっていることも出来ないと思います。
ある時は動いていて、ある時はじっと静かに過ごす・・・
そのバランスは人によって違うと思います。
もちろん公共の場所にはルールがありますが、人生の歩み方にはルールに関係なく、頑張って動いたり、楽しくて止まれなかったり、疲れて立ち止まったり、体調が悪くてしばらくお休みしたりと、いろんな時間が誰にでもあるものです。
でも、日本では、平均とか普通っていうのが基準になりがちで、何歳なら何をするべきとか、平日ならこうするべきとか、いろんなステレオタイプに縛られがちです。
私もそんなところがあって、
学校をお休みして外でうろうろしていることに、いろいろ思うことがあるんです。
子供の体力作りのために、運動は欠かせないので、ウォーキングや外遊びは沢山してほしいと思います。
学校を休んでいることには理由があって、別に悪いことをしている訳じゃないと思います。
でも、たとえばご近所さんや知り合いに会ったら、なんと説明しようかと思うと面倒くさいと思ってしまいます。
別に説明を求められるようなことはないけれど、
「あれ?学校は?」
と聞かれたり、聞かれなくても多少は話したほうがいいかな?と思ったり。
学校のある時間に、外で会ったら不思議ですよね。
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今日も娘はウォーキングをしたいと言いました。
じゃあ小学校まで歩こう、週末だからお手紙をもらいに行こうと話したけど、今日は小学校へは絶対に行きたくないと言います。
それで、また少人数の学校まで行ってみたいと言います。行っても中には入れないので、入口まで見に行くだけです。
時間は小学校へ行くよりちょっと短いかな?というくらいで、どちらも坂を登り下り。あんまり変わらない感じの運動量です。
途中で駅に向かう高校生と何人かすれ違いました。
コロナ以前だったら、お昼前に学生さんを見かけることはなかったと思いますが、今は時差登校なのでしょうか?
朝じゃない時間に登校していても、不思議に思わない時代が来たもんだ!と思いました。
もし、コロナのおかげで、時差登校や分散登校、リモート授業で登校しないとか、いろんなパターンが出てきて、それが定着していけば、我が子のようにはみ出した子も堂々と生きていけることになるかな?一定の枠を気にせず、みんなが自由に選択することが当たり前になれば、マイノリティなんていなくなりますね。
まあ、我が家では、いつも私が堂々とするように心がけているので、子供はあまり気にせず外に出ていきますけどね。
そういう親の姿勢が、自己否定につながらないことかな、と思っているんです。
学校を休んでも、学校に行けなくても、キミは生きてる価値がある。大袈裟だけど、あなたの存在にありがとうの気持ち。
自己肯定感を育てるために大切なことです。
それは自分にも当てはまる。
親らしいことは何も出来ていない自分でも、
私の存在が子供たちを支えていると信じて、
元気でも体調がイマイチでも自分を同じように愛してあげることが、幸せの源です。
いろんな人がいるけれど、コロナでさらに多様化したかな?
コロナ休校から、そのまま休校を続ける選択をしている方もいます。
自分の思う通りの人生を選んで、
休校してても、外で発散することも大切と、分かりあえる社会、お互いに否定しあうことのないように、と願います。
昨日、娘が見つけた動画、私は気に入ってしまいました。
「えらいね~」という言葉は、ちょっと上から目線のような気もするけど、ここは素直に、
「生きてるだけでありがとう」の気持ちとして受け入れたいなあ、と思いました。
そして、私がこの動画が面白いなあと繰り返し見ていたら、なんと外は再びの雨が降っていて、洗濯物が濡れてしまった~😱
慌てて洗濯物を取り入れ、
「洗濯物を取り入れてえらいね~」
と、自分に声をかけました😅