こんにちは!
うさカンです。
私は読書が好きですが、娘が隣にいると、
「ママちょっと見て〜」
「ママ一緒にやろ〜」
などなど、いつも話しかけてくるのでしょっちゅう中断され、たまに意味が分からなくなって、同じところを何度も読んだり😅
それでも少しずつは読み進めることが出来るので、暇さえあれば読んでいます。
そして、今回読んだのはこちらの本です。
学校、行かなきゃいけないの?: これからの不登校ガイド (14歳の世渡り術)
- 作者:雨宮処凛
- 発売日: 2021/01/23
- メディア: 単行本
学校行かなきゃいけないの?
の答えとして、今の私は「子供が行けない、行きたくないと言うなら行かなくてもいいんじゃない?」と思います。
うちの子供も今、学校に通っていません。
でも、私がしつこく学校を変えたい!とこだわる理由は、この本にあります。
この著者の雨宮さんの本は何冊か読みましたが、貧困問題に熱心に取り組む人という印象です。
社会が分断されて、不正規雇用や、あれよあれよと職や家を失う人がいること、そのリアルを伝えてくれます。
正直言って、全くの他人事と思っている人が大多数でしょうが、実は誰にでもあり得ることです。
そして、貧困と不登校の問題は別なようですが、私はそうは思えません。
それは、自分が今までに働けないこと、病気を経験したことが理由です。
それまでの私は、不登校でも、家族が幸せで楽しく暮らせれば、まあいいじゃんという感覚でした。
でも、そこ(不登校)に、親の不自由さが加わると、どうしようもない問題が次々と出てくるという体験をしました。
学校というのは、教育だけではなく、社会福祉的な役割もあると痛感しました。
我が家は夫が元気で、仕事も家もあるので、まだよかったとは思いますが、本当に子供たちに何も出来なくて、情けない思いをたくさんしました。
もしこれが、シングルの家庭だったら、どうしたらいいのでしょうか。
不登校は、健康でお金で解決する能力がある家庭でなるとは限りません。親が病気だったり、安定した収入がなかったり、他にもいろんな状況があって、さらに学校も行けなかったら、どうしたらいいのでしょう。
学力も学歴もなく、稼ぐ手段が見つからないまま大人になってしまったら、どうやって生きていけばいいの?
うまく誰かに助けてもらえれば、いくらでも道はあるけど、そこに辿りつけなければ、どうなるのでしょう。
そう考えると、学校がもっとゆるくなって、みんなが居心地よい場所にする必要があるし、それぞれのペースで生活や勉強の支援を受けられるようになってほしい。(福祉の充実も必要)
我が家では、子供が一日中家にいて、私は起き上がれなくて、勉強を教えることも出来ないし、ごはんを作ることは出来ないし、夫は仕事に出掛けたら帰りは23時過ぎで、誰にも助けてもらえず、不安に過ごしていました。
それでも、水道の水は出るし、テレビもゲームもあるし、子供たちはメンタルはやられることなく過ごすことが出来ました。
私はこの経験から、自分が元気になったからってこのことを忘れられないと思っています。
やっぱりどうにかしなくちゃ…
*****
という訳で、
この本の話に戻ります。
子供が不登校になっても、親の理解とある程度の経済力があれば、立派に大人になると書いてあります。ほんと、そうなんだよね〜。
だから、不登校は問題じゃないと言われるけど、それは上の条件付きなんだよね。
どちらも揃っている親、どれくらいいるのだろう。
この本ではインタビュー形式で、不登校に関係のある方のお話がいろいろと出ています。
印象に残っているのは、東京シューレの奥地さん。息子さんが拒食症で食べれなかったのが、治ったら学校に行かされると思って治らなかったというエピソードです。
心身症にはよく聞く話です。
そして、戦後すぐの頃は学校で最先端のことが習えて楽しかったということ。
確かに今の時代は情報が充分あるし、学校は禁止されてることが多くて、全然最先端じゃないから魅力的ではない面もあるかもですね。
桜丘中学の元校長の西郷さん、いろいろ共感することが多くて、もう少し詳しくこの方の著書を読んでみたいと思いました。
学習支援の土屋さんの話を読んで、私も将来、学習支援をやってみたいと思いました。最低限の学力があれば貧困から脱出できるかもしれないし、親を責めない支援も理想的だと考えます。
ある程度勉強と生きる知恵があれば、選択肢が広がる、そういう手助けを私もしたい。
元引きこもり芸人の山田ルイさん、不登校でも可能性は無限にあるみたいなことは言いたくない、ほんと私もそう思います。
精神科医の松本さん、学校が刑務所と軍隊をモデルにした収容所…
私も実際に何度も学校に入り、日常生活や授業を見ましたが、このように感じたこと、ありました。
最後の不登校経験者の座談会では、コロナ禍における不登校についても語られていて、最新の話かな、と思いました。
以上、ざっくり印象に残ったことを書いてみましたが、一番印象に残ったことは、雨宮さんの書いた「はじめに」の中で、
クラス、同級生に、「とにかく落ち着いてほしかったし、もう少し静かにしてほしかった」という一文です。
娘も全く同じタイプなので、そこにいるだけで、落ち着かない感じが伝わってきました。
子供って、みんなが元気で無邪気って訳じゃなく、子供のころから大人っぽい子もいるんですよね^_^
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とにかく、学校という場が、もう少しどんなタイプの子も苦痛に感じない、居心地がよい場所になることは、親にとってもすごく安心に生きていけるんじゃないかな?って思います。
もちろん、学校以外の居場所もたくさんあるといいのですが。
でも、誰でも行ける学校という前提がある上で、自由に学びを選ぶこともできるということが必須ではないかな。
私は昔、アメリカの学校にいたことがあるのですが、そこは校則もなく、みんな自由な服装で自分なりのライフスタイルでした。
文化も宗教も違う人が集まって、学校生活や学びを共有するためには、いろんなタイプの人を尊重することが大事で、あまり他人を構わない感じでした。
だから、他人の目を気にして生きる必要もないし、自分の目標は自分で決める自由さがありました。
そこには本当にいろんな人がいて、自分の人生、やり方がいいと思える環境だったと思います。
(今のアメリカは差別のニュースが多いから、学校の様子も違うのかな?)
日本の教育でも、多様性こそが自由への道だし、自由がたくさんあれば、学校の息苦しさからも開放されるかな、と思います。
そして自分に必要な学びをしっかり身につけることもできるのではないでしょうか。
私は、やっぱり学校の改革にこだわりたいと思います。
娘が楽しいと思えるような学校があればいいな〜と思っています。
我慢して通う場所ではなく…