こんにちは!
うさカンです。
こちらの動画を見て、突然思い出したことがありました。
数年前、娘が中学生だった頃、私はカウンセラーの先生と面談する為に、たまに中学に通っていました。
お約束の時間に、カウンセラー室に誰もいなくて、職員室に先生を探しに行った時の話です。
現在の職員室には、生徒が中まで入室することはできないと思います。
職員室には個人情報が溢れているので、情報流出を防ぐ為だと聞いたことがあります。
それで、子供たちが先生に用事がある場合、
「失礼します。何年何組の○○ですが、○○先生いらっしゃいますか」
みたいなことを入口で言って、対応してもらわなければなりません。
私がその職員室に行った時には、先生は数人しかいらっしゃらなくて、入口付近には誰もいない。
しかもみなさん入口に背中を向けて仕事されていました。
しばらく入口に立っていても、誰も気付いてくれないので、しょうがなく私は、「すいませーん」と大声で言いました。
そしたら気付いてくださった先生が入口のほうに歩いて来て、対応してくださいました。
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この時、私はいろんな事を思ったのですが、
とにかく職員室に人が来たことに誰も気付かないなんて、そんなシステムおかしくない?と思いました。(もし泥棒が侵入してたらどうすんの!)
先生の部屋なんだから、訪ねる側はお客さんなのに、それに気付かずいるなんて、少し失礼ではないか、と思いました。
昔は先生が上級の人間だったから、こちら側がへりくだる必要があったのでしょうか。
私の考えとしては、先生も生徒も同じ人間で対等だと思うので、先生と話すために来てくれた子供たちに、ウェルカムの思いが通じる場所であってほしいな、と思いました。
大袈裟かもしれないけど、もしかしたら子供がこれから自殺しようか迷うくらいに悩んでいたとして、最後に先生に相談してみようかな、と思った時、入口に自分が立っていることを誰にも気付かれずにいたら、無視されているように思わないかなあ、やっぱり相談するのやめよう、って思わないかなあ?
そんな心配をしてしまいました。
ルールよりも、子供たちの存在をもっと大切に扱ったらどうだろう?
先生ってそんなに偉いの?
そう感じました。
もちろん先生方はそんな余裕もないくらいに忙しいのかもしれないけれど、
でも先生の一番の仕事は、子供たちを支えることだと思っている私にとっては、けっこう衝撃的な出来事でした。
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そもそも、入口で大きな声を出さなきゃいけないシステムは、人間の多様性を無視していると思います。
声が小さい人、大声を張り上げるのが苦手な人は、職員室に入れないんじゃないかなあ。
私も正直言って、大声出すのは得意じゃないです。うちの子供たちだったら永遠に職員室行けないんじゃない?って思いました💦
でも、例えば芸能人とかでも、囁くように話す人、ボソボソとした感じで歌う人など、
そういう個性がある人も売れていたりカッコイイと言われたりすることありますよねえ。
別にみんながみんな、明るく楽しく元気よく!みたいな、よくあるスローガンのように育たなくてもいいじゃないの?と私は思うんです。
職員室に大きな声ではっきりと話すのが「いいこと」とされたら、
そうじゃないタイプの人の人格を傷つけませんか?
そうじゃなくて、どんな人にも入りやすい職員室、学校を目指したほうが良くないですか?
そんな風に私は思いました。
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しかも、この中学のルールには、
保健室に行く際には、まず職員室で許可を得ること、というのもありました。
私はこれにもビックリしたのですが、
具合が悪い人が、わざわざそんなことをするなんて、手順が多すぎ、いじわるじゃないの?と思いました。
本当に生徒を思って作った決まりとは思えません。
私から見ると、変なルールだなあ、と思いました。
私はまさか、大人になってから、こんなに学校に行くとは思いませんでした。
それは参観日じゃなくて、学校の日常を見ることになったので、けっこう「?」なこともありました。
きっと現場の先生は、ずっとその中にいるから、それが普通、当たり前だと思っているでしょうし、子供たちは前に習ってルールを守っていくのが常識なんでしょう。
でも、外から見たら、学校の姿って、とても画一的で、なんか合理的でない、誰のため?みたいなルールが存在していたりします。
もちろん先生方を尊敬するのはいいのですが、ルールで押さえつけるとか、先生の格付けがはじめから高いとかっていうことは、なにか同じ人間として違和感があります。
(年上の人を敬うのは、自然発生であるべきだと思います)
私は保護者も同じだと思っていて、
子供を養うから偉いのではなく、
ただ偶然先に生まれただけで、できることをやっているだけだと思います。
子育てで子供から学ぶことだって沢山あるのだから、やっぱり人間としては対等だと思うのです。
でも、戦後の日本は、経済発展に忙しくて、親が子供の権利とか教育について深く考えることは少なかったかもしれませんね。
それは私たち親の世代が、学校の在り方を鵜呑みにして育ってきたから、子供たちを学校に合うように育てるようになってしまったのかな、と思います。
私が変だな、と思うことを、他の保護者の方がおかしいと思わないことが不思議でした。
そんな学校の詳しいことは知らないかもしれないけど、私が話してみても、
「しょうがないんじゃない?」
って感じで、なかなか共感を得ることはありませんでした。
でも、これからの時代は、多様性が当たり前だと思うので、
どんなタイプの子でも受け入れて居心地の良い学校を税金で作ってほしいと思うし、
保護者も子供の個性に合わせて子育て出来るように学ばないといけないと思います。
いつまでも学校に都合のいい子供に仕立てるべく育てるのではなく、
子供が自分のままで活躍できるんだ、と自信を持って暮らせることが、沢山活躍して実力を発揮できる社会の宝を育てていくことにつながるのではないかな〜
そんな風に思いました。
(ってことを思い出しました。)
私も、子供が不登校にならなくて学校に通うことがなかったら、なかなか知らない世界、気付かなかったことなんですけどね💦