はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
こんにちは!
うさカンです。
私は1本の電話をきっかけに、インクルーシブってなんだろう?と考えはじめることになりました。
たぶんその頃は、インクルーシブって言葉は知らなかったと思います。
多様性という言葉を使ったこともなかったような気がします。
ある3月初旬の夕方、学校から電話がかかってきました。
私の長女は5年生で、とても体調が悪くなっていました。当時は病名は分からなかったけど、児童精神科のドクターから、ドクターストップがかかって、「完全不登校」をはじめたばかりでした。
娘は小学校4年生までは、楽しく学校に通っていました。(もちろん日によって、毎日楽しいだけじゃなかったとは思いますが💦)
5年生になり、給食の完食指導がきっかけで、体調が悪くなったり、良くなったりを繰り返していました。
元気な日は、1学年上のお友達と登校し、朝の時間に6年生のお友達と鬼ごっこをして遊んでいたと聞いていました。
娘には6年生の仲良しのお友達が数人いたので、「卒業式には出席したい!」と言いました。
娘の学校では、5年生が在校生代表として全員卒業式に出ることになっていて、娘はずっと楽しみにしていました。
それまで、学校に行けたり行けなかったりしていた娘が、自分で出席したいと決めたことに、私は驚いたけど、とても嬉しかったです。
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それで、その学校からの電話で、私は娘の意志を伝えました。
すると、学校からのお返事は、出席させられません、というものでした。
理由は、
5年生が笛の演奏で卒業式を飾るため、みんな必死で練習していて、笛を吹けない子は出席させられない、ということでした。
また、娘は卒業式での呼びかけを覚えていない為、マスクをして出席したいと言いました。(コロナ以前の話です)
すると、マスクは禁止です、マスクをするほど具合が悪い人は出席出来ません、ということでした。
小学校の卒業式は、幼稚園や保育園のレベルじゃないんですよ、来賓も来るし厳かなんです、と言われました。
私は、せっかくの機会なので、保護者席でもいいので出席出来ませんか?と聞いてみました。
保護者は、卒業生の弟妹を連れてきてはいけない決まりなので、子供の席は用意出来ませんと言われました。
じゃあ、ドアの影から覗いて見ることは出来ませんか?と聞いてみましたが駄目でした。
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私はもちろんふざけていたのではなく、
娘がお友達の卒業をお祝いしたいという気持ちを大切にしたかっただけです。
こうなったら、トップの校長先生に直談判するしかないかな、とも思ったのですが、
直接現場を指導する先生にウェルカムな雰囲気がないのなら、娘が行っても傷つくだけだろう、と思って諦める選択をしました。
その代わりに、6年生の仲良しのお友達をうちに呼んで、お祝いパーティーをしようよ、と娘に提案し、娘も喜んで部屋の飾り付けをしました。
結局10人くらいのお友達が集まって楽しんでくれましたが、私立に進学するお友達はどうしても都合がつかなくて、会えないまま終わったし、思い出の学校で写真を撮ったり、晴れ姿をみることが出来なかったので、残念だったと思います。
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私が、この電話をきっかけに思ったことは、
うちの娘は、学校に行くことを喜ばれていないんだな、ということでした。
卒業式は、来賓から見て、立派な式を作ることが重要なのでしょうか。
たったひとりの子供の思いなんて、どうでもいいことなのでしょうか。
誰の為の、何の為の卒業式なんだろう?と考えました。
そして、選抜ではないのに、出来ないからと言って排除していいのだろうか?と思いました。
学年全員が出席できる式に席を用意してもらえなかった子の絶望感を考えてみたことはあるのでしょうか。
自分の存在そのものを否定されたような気がしてしまうのが分からないでしょうか。
税金で作った、入学試験もない、公立の小学校です。
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きっと私は、はじめからこの地域の学校に入れてもらえなかったら、気付かなかったと思います。
でも、4年生までは楽しく通っていた学校に、子供の具合が悪くなって出来ないことが出たら、入れてもらえなくなってしまったという事実に、とてもショックを受けました。
そして、これをきっかけに、差別について考えはじめました。
いくら親でも、教師でも、出来る子と出来ない子に優劣をつけてもいいのだろうか。
同じ人間同士で、命の選別に繋がるようなことをしてもいいのだろうか?
これは、された側の人にしか、なかなか理解出来ないかもしれません。
この先生が、悪気があったとか、性格に問題があった、とかではなく、
学校全体が、地域全体が、こういうことが当たり前でここまで進んできた、ということです。
それは、この学校には支援級がなかったことも要因のひとつかもしれません。
たぶんこの地域で支援級を選びたいお子さんは、支援級のある近くの別の学校に通われているんだと思います。
娘の学校には、普通級の子供しかいません。
運動会でも様々な学校行事でも、はみ出す子はいません。
先生も子供も、頑張れば一定ラインまで出来るはずだと信じて、出来ない子は努力が足りないと言われる環境なわけです。
そんな訳で、出来る子しかいないのが当たり前だと、みんなが思っていますから、ママ友の反応も、うちの娘が卒業式に出られないのはしょうがないんじゃない?先生方が一生懸命作っている式なんだから…
そういう認識でした。
学校は地域のカラーを育てるんだなあ、と実感した出来事でした。
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もし、当時の主役の6年生の先生や子供達に、
「具合が悪くて練習出来なかった子がいるんだけど、卒業式に出席したら迷惑?」と聞いてみたら、みんな何と答えたのかしら。
私の娘ひとりの力で、式を台無しにすることなんて出来ないと思うし、そんなに重要なことだったのでしょうか?
私は、娘が主役として出席した、翌年の卒業式に出席して、よく観察してきました。
保護者は6年生の親しか出席していないので、みんな我が子に夢中です。
5年生をよく見ている親なんていませんでした。
去年、あそこまで娘を否定する必要があったのか?5年生は遠くてよく見えないし、全体的に笛の演奏は素晴らしかったけど、ひとりひとりの音色は分かりませんでした。
このことをきっかけに、娘のメンタルは大きく崩れました。体調もどん底になりました。
たぶんストレスから起立性調節障害の症状が悪化したのだと思います。
私にとっては、流産したあとに授かった大事な命の娘なので、とにかく存在を大事に大事に育てました。
社会から受けた傷は深かったけど、随分自己肯定感も育ってきました。本当に時間がかかりました。
こんなことは、もう誰にも経験させたくない!と思って、私は随分学んできました。
インクルーシブを全く知らなかった私が、インクルーシブの効果を訴えています。
もしあの時、子供達が
「自分の意志とは関係なく、出来ない人は排除されますよ」という教育を知っていたら、
社会って恐ろしいところだな、と思って卒業していったと思いませんか?
怪我も病気も障害も自己責任、出来ないんだから楽しめなくて当然でしょ、
みんな老人になって出来ないことが増えたら、誰にも認められないんだよ、
そういう社会を作っていきましょう、と小学校のメッセージがあったら、世の中は緊張感でいっぱいになるでしょう。
それよりも、困ったことは助け合う、出来ないことには手を貸す、全ての人間は完璧ではない、誰にでも得手不得手はあり、努力しても難しいことはあるんだよ、
それと同時に、何かが不自由な人にも魅力や特技があるんだよ、社会の大切な一員だよ、
と知っていたら、大人になるのも怖くないし、自分のやりたいこと、出来ることを出来る範囲で頑張って成長していく応援になると思いませんか?
いろんな人がいることが当たり前の社会と誰もが認識する為に、インクルーシブ教育はとても大事だ、と私は思っています。
平等な選択肢がある上で、あなたが何を選ぶのか、そういう自由も保証されていて欲しいと思っています。