こんにちは!
うさカンです。
夫婦の関係は十人十色で、本人たちがこれでいい、と思っていれば、周りからとやかく言われる筋合いはないし、
うまくいっている夫婦から何かアドバイスを受けても、それがそのままうまくいくとも思えません。
人間二人の個性があり、価値観がある中で、みんなが同じカタチになることはなくて、幸せだと思う理想もいろいろなんじゃないかなと思います。
普通に暮らしていく中では、喧嘩しながらもなんとか過ごしてきた夫婦が、子供の不登校をきっかけにどうにも合わなくなって離婚されるご夫婦がいらっしゃいます。
離婚までいかなくても、なかなか夫婦が理解しあえないとか、特に夫が子供のことを受け入れられない、妻に(子供の状態を)文句言ってくる、など、とても平和に話し合うことができないことが多いみたいです。
そんなこともあって、私はこの「カサンドラ」についてとても興味がありました。
夫婦がうまくいかない時って、どんな感じになるんだろう?だいたいの言葉の意味は知っていましたが、実際の体験記を読んでみたいと思いました。
(別に不登校の両親が理解しあえないからと言ってカサンドラとは限りませんし、この本のお子さんたちは不登校ではありませんが、参考に読ませてもらいました)
*****
カサンドラ症候群とは、パートナーが発達障害もしくはグレーゾーンで、意思疎通がうまくいかない、ちょっと普通の感覚とは違って気持ちを分かち合うのが難しい、その為にもう一方が「自分が悪いのではないか?」と頑張りすぎてしまう、そして心身に不調が出てくるようなことだそうです。
今回の本では、妻側が著者でカサンドラ症候群だということだったので、ここでも妻がカサンドラ、夫が発達障害という前提で書いていきたいと思います。
まず、この本に書かれていた内容の半分くらいは、「うちでもそういうことあるよ」と思いました。
すごく細かい日常生活の描写の中で、
著者はけっこう真面目できちっとしている印象でした。
でも、私はけっこうズボラなので、夫の細かいことにはそれほど気にならないのだと思います。
そういうところで、ベースのストレスを感じる度合いが違うな〜という印象でした。
もちろん、著者としては百歩もニ百歩も譲ってもうまくいかなかったんだと思います。
それは、著者のほうにも理想があり、良いと思う価値基準があり、そういう中で試行錯誤されたんじゃないかな〜と思います。
発達障害の中で一番難しいのは、勉強ができるタイプだと聞いたことがあります。発達障害児の中でも知能的に問題のない子供は、学校という場が過ごしやすい場合もあるのです。
先生やお母さんなどが、毎日勉強の指示を具体的にしてくれれば、何の問題もなく勉強できて、しかもテストは点数がいい、提出物も完璧、となると、成績も優秀で本人も楽しいでしょう。
多少、人付き合いに違和感があっても、成績優秀なら、みんなから一目置かれて、いじめられることもないでしょう。
先生にも高評価、親からも自慢の子供、学歴も優秀、そうやって育ってくると、まさか自分が発達障害だと気付くこともありません。
親は指示通りに動くいい子、子供はいつも親が助けてくれる、お互いに何の不自由もありません。
そうやって育った子供が、最初につまづくのは、会社員になった時でしょう。自慢の自分が一流企業に入って、順風満帆だったはずなのに、何故かちっとも仕事がうまくいかない、人間関係もトラブルになる、そこで初めて生きづらさを感じることになる訳です。
子供の時に、発達障害だと分かって、療育などで学んでくれば、もう少し生きやすさ、自分らしさが身に付いたはずなのに、そのチャンスがなかったことは残念だと思います。
具体的な指示がないと動けない、一を聞いて十を知ることは難しい、思ったことをそのまま口にしてしまう…などなど、特性からくるその人の常識についていけず、周りの人も振り回されてしまいます。
結婚してうまくいかない発達障害の方の振る舞いは、著者も書いているように、本当は愛情がないから来るのではなく、その方が相手の気持ちを慮る力が足りないということだと思います。
たぶん、配慮とか、気配りとか、察することを期待しても、発達障害で療育を受けていない場合は難しいのかもしれません。
そうなると、当事者もとても不幸です。
発達障害の方は、自分が歩んできた道が一番正しいと思ったら、他を受け入れるということが難しいのかもしれません。多様性を理解することは難しいのかもしれません。
そういった訳で、子供が不登校という道を選んだ時に、否定するばかりで子供の気持ちに寄り添えない、ということがあるのかもしれません。
*****
妻のほうは、必ずしもカサンドラになるとは限らないと思います。
もし相手の特性、苦手なことが分かれば、直接分かりやすく「こうしてほしい」と伝えたり、様々な工夫で乗り越えられるかもしれません。
それから、夫婦だと相手に求めすぎたり、価値観を押し付け過ぎたりしてしまうこともありますが、所詮違う人間だから、と割り切ることも必要かもしれません。
いくら愛していても、出来ないものは出来ないってこともあるでしょう。
それでも厳しいのは、大人になるまで発達障害だと分からなかったということは、子供を育て直すようなことで、妻にお母さんの役割を期待されてしまうところだと思います。
ある意味、今まで先生やお母さんに指示されて生きてきた訳だから、今度はその役割を妻に求めてしまう…ということがあるかもしれません。
それをどんな気持ちで受け止めるかは、人によって違うのかもしれませんね。
ただ、結婚したからには、永遠に面倒を見なければいけない、と考える必要はないと思います。
この著者が選んだように、離婚をする自由は誰にでもあります。
妻側が、あまりにも相手のペースになってしまい、顔色を伺いながら生きていくのは、とても辛いし、病気になっちゃうと思います。(=カサンドラ症候群)
ただ、もしかしたら、妻側も自分の主体性がない育ちをしてきた場合は、言いなりになってしまうことで、相手の特性を悪い方向に育ててしまうこともあると思います。
相手が「これでいいんだ」と思い続けてしまうからです。
それでも、著者は何度も話し合いをしようと思ったし、相手は自分の話ばっかりしゃべり続けるということで、打破するのは難しいのかもしれないですね。著者は元夫はわがままで自分勝手だと散々に言っていましたが、私はそこも特性なんじゃないかな〜と思ったりしました。
*****
これからの学校での学習は、意見を交換しあい、相手を認めながら自分の主張もできるような人間を育てていきます。
そして自分で課題や問題を見つけて解決方法を考えていく、とても応用力が必要になってきます。
そういう形の勉強は、発達障害がある子供にとっては、とても難しいかもしれません。
今までのように、答えをなんでも教えてもらえないからです。
そうなると、勉強以外のソーシャルスキルを磨く必要がある子供を発見しやすくなり、将来に役に立つと思います。
こういう時にはこういうことを言うと、行動すると相手は嬉しいんだよ、そういうことを知ってたら、少し生きやすくなると思うし、周りの人との幸せな人間関係を保てると思います。
特性は特性として、あるのは消せないけれど、人間には誰だって得意不得意はある。
好みの違いや相性もいろいろ。
ただ、無意識に人を傷つけない方法、それを理解出来ていれば、きっとハッピーな家族は作れると思います。
妻側も、これは傷付くからやめてほしい、とハッキリ伝えられたらいいと思います。
(あれもこれも人格否定にならないように)
勉強が普通にできてきたからこそ、プライドもあるでしょうし、難しいんでしょうね。
必ずしも妻側が我慢する必要はないと思います。
妻だけど、お母さんじゃないもんね。