こんにちは!
うさカンです。
私は歴史も社会も全く興味がなく、苦手な人間です。
でも考えてみたら、中高の授業、特に歴史は政治史ばかりで、人々の生活や文化などはあまりやらなかった気がするな。そういうのは、古典の授業だったのかな。
私が昔の人に興味なかったのは、今の自分に精一杯で、他のことを考える余裕がなかったのかもしれないなんて思います。
さて、歴史から学ぶことっていろいろあると思うのですが、私はざっくりと、
「正しいことは分からないよね」
ってことだと思います。
歴史の中で、政権が変わったり、価値観が変わったり、流行が変わったり、その都度「いい」と言われるものが変わってきたから今があるのだと思います。
(変わり過ぎで私にはちっとも覚えられませんが😅)
人々が、今の「これ」が駄目だから、より良く変えていこう!という気持ちが繋がって、ここまで来たのだと思います。
これが駄目だからこっちにして、やっぱりあっちがいいから変えてみて、
結局、普遍的ないいところは無いのかもしれません。もし見つかれば、一生このままの社会が続くはずです。
そう考えると、時の移ろいとともに、常識が変わっていくのも当たり前で、周りの意見に流される必要は全くなく、自由に自分の人生を生きることに夢中になればいいのではないか、と思います。
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私は新しいものには飛びつけないタイプです。
疑い深いのだと思います。
医療現場でのワクチンや新薬など、本当に大丈夫なの〜?と思ってしまうタイプです。
でも、今の自分に必要ならば、先の不安があっても選択するしかないこともあると思います。
結果は数十年経ってみないと分からないこともあると思います。
例えばこの先に、理論上では予想もつかなかった副作用があるかもしれない。それを覚悟で自分の選択をしていくしかないのかな、と思います。
その選択を、イエスの人もいれば、ノーの人もいる。正しいと思うことが違う、それにより、極端な話、どちらかが生き残るということもあるのかもしれません。
きっと歴史の中で、そうやって人類が違う選択をしたり、違うタイプの人がいたからこそ、ここまで命が繋がってきた、ということもあるかもしれませんね。
高台に住む人も、低地に住む人も、マンションに住む人も、一軒家に住む人もいるから、何があっても命が助かる人がいるのかもしれません。
人間の特性も同じではないでしょうか?
こういう人間は駄目、ああいう人間はいい、と線引きする必要はないと思うのです。
目指しているのは、どんな人も住みやすい、過ごしやすい社会なのかな、と思います。
歴史はずっとそこを目指してきたんじゃないかな?
きっと、その時代には、「これが最高」と思う選択をしてきたんじゃないのかな?
でも結局絶対なんてないのかな。
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そういう意味で、私は漢方薬が好きで安心だと思います。
長い歴史の中で、淘汰されずに残ってきたものは、信頼できるんじゃないかと思うんです。
そして、人類にいろんなタイプの人間がいることも、多数派も少数派も大事だったのではないでしょうか。
そうでなければ、きっととっくに淘汰されていたのではないでしょうか。
きっと人間みんなに生きてる意味がある、生まれてきた価値がある、
そういうことなんじゃないかな〜。
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先日、次女と話していたことなんですが、
もしワクチンや治療薬、あとは例えば家電(空気清浄機)とか、コロナに対するいろんな物が充実してきたら、もしかしたらステイホームの真逆になるかもしれないね、と話しました。
例えば子供がワクチンを打てなくても、無症状や軽症(風邪レベル)なら、なるべく集団免疫を得たほうがいい、となるかもしれない。
そうなったら、学校もかなり魅力的で、それ以外にも外での楽しいイベントが盛りだくさんになって、なるべく外出してください、人と積極的に交流してください、なんてなったりして?!
これは私が勝手に考えたことですが、子供たちの将来なんて、ほんとどうなるか分からないと思うんです。
歴史から学ぶことも沢山あるけれど、これからはもっと短いスパンで世の中は変化していくでしょう。
そうすると、「みんな一緒」なんて不可能で、価値観もごちゃまぜになり、もうなんでもアリだよね、なんてことになるかもしれないね〜。
それもまた面白いんじゃないかな、と私は思います。
ただ、堂々と生きればいいんだよ、
そう娘には伝えておきました。