usagi-company-lab’s blog

最近は教育や社会の問題に興味があります。どうぞよろしくお願いいたします。

脳の多様性

こんにちは!
うさカンです。

先日、私は心療内科に行ってきました。
私のドクターは女医さんで、いつも更年期世代の私の心身を診てくれています。

私は得体の知れない体の変化には不安になってしまうタイプで、きちんと理由を解説してもらえると落ち着くことが出来ます。

この先生のことはとても信頼しているので、出逢えてよかったです。

今回は、娘(次女)の話をしてきました。

娘は、緊急事態宣言が解除されても、どこへも行く様子がありません。相変わらずコロナウイルスが怖くて、人と会いたくないそうです。

私は、娘の気持ちに寄り添いたいと思っているし、家庭にいても充分成長が分かるし、この状態が永遠に続くわけはないと思っています。

ところが、緊急事態宣言が解除されるきっかけで、やっぱり学校とかカウンセラーさんは、何か変わるかな?一歩踏み出せそうかな?と思っていることを感じます。

そのように直接言われた訳ではなく、大きなプレッシャーをかけてくる感じは全くないけれど、私はどうしても、そういう空気を感じてしまうのです。これはHSPの特徴だと思います。

相手の返事のトーンや、細かい言葉遣いが、相手も何気なく言ってるだけだし、悪気もないのに、何故かテレパシーのように感じてしまいます。

きっと普通の人が聞いたら、考えすぎとか、被害妄想とか言われるかもしれません。

でも、知りたくもないこういう情報をキャッチしてしまう、それを気にしてしまう自分がいます。

それをそのままドクターに伝えたら、なんと全ての気持ちを分かってくれました。心療内科や精神科のドクターは、傾聴するのが当たり前だと思うかもしれませんが、ここでもHSPの人間は、そのドクターの裏側が見えてしまいます。ちょっとした相槌や、笑うタイミングなど、たぶん普通の人がスルーするようなことが、気になってしまいます。

でも、私の主治医には、そういった違和感を感じたことが一度もありません。もしかしたらこのドクターもHSPなのかもしれません。

そしてドクターは、娘はきっと本当に怖いんだと思いますよ、無理に動かしてトラウマになっても困るから、もう少しゆっくり見守ってあげてくださいね、とおっしゃいました。

学校の先生に、そんなにサービスしなくてもいいですよって😃💦

どうしても、先生が一生懸命なのが分かると、何か応えたいと思って、でも娘が期待に添えないと、板挟み感があるのです。

そういう親としての複雑な気持ちを分かってくださるので、ここに通う意味があるな〜と思っています。

私の場合は、自分がこれでイイと思ってやっていることでも、こうやって「それでいいよ」とはっきり言ってくれる人がいると、とても安心します。味方が一人いれば、とても安心だし自信を持って生きられます。

きっと我が家の娘たちも同じタイプだと思います。だから私は全力で、その味方の一人になりたい!と思っています。

たぶん、私もHSPだから、気持ちはよく分かるんだと思います。(だからといって、いつも共感ばかり出来ませんが💦)


*****

さて、最近、私はシンガーソングライターの祐日さんの17ライブをよく聴いています。家事をしながらとか、娘と話しながら聴いていることも多く、トークをゆっくり聴けないことも多いのですが、

でも祐日さんはトークも魅力的です。

すごく話題が豊富で、おしゃべりも上手だし、話し方もとても落ち着いていて心地よいです。

私は、祐日さんのいろんなエピソードを聴いていると、なんとなく娘の将来が大丈夫って思えます。祐日さんは立派な大人だけど、年齢で言えば私と娘の間。

そういう人の話を聴く機会って、子育て中にはなかなかないと思うので、出逢えてラッキーだったな、と思います🎶

祐日さんが大人になっても頑張っている姿を見ると、とても安心出来ます。娘の将来もゆっくり見てあげようと思えます。


祐日さんは、不登校起立性調節障害を経験されて大人になりました。そういう方が、こうして人を感動させる音楽を作り、人を励ましている、こんな素敵な社会貢献をされている事実があります。

不登校というと、学校に通うことが嫌だからドロップアウトした、というイメージがあると思います。子供が嫌だと言うから、親が子供の言うことを聴く、というと、親が甘やかしているという感覚になるかもしれません。

やりたくないことは、全部子供の言いなりでやらせなくてもいいのか?と言われてしまうと思います。

結局、不登校を経験したことがない人には分からないのですね。

不登校は、学校から逃げて、楽で簡単で、楽しい人生だと思いますか?

不登校の子供はデメリットがなにもない中で好きなように生きて勝手きままだと思いますか?

実はそんなことはないんですよ。

それは祐日さんを見ればよく分かります。

いろいろと葛藤してきた中で、自分の人生の目標を決めて、「好きな道」で行こう!としても、それは平坦で楽チンではありません!!

好きなことだからこそ、必死に頑張ることも沢山あるし、トントン拍子ではなかったと思います。

好きなことしかしない人生に、努力も我慢もない、なんて、知らない人が言うことです。

不登校という道を選んでも、登校という道を選んでも、人生にはいろいろあって、甘いだけの道なんてありません。

それを大抵の大人は知りません。


体が不自由な人は、見た目で分かりやすいですが、脳の多様性は全く見ることが出来ません。

ですから、ただ努力や我慢が足りないと言われてしまいます。

でも、体が不自由な方の為に配慮や支援があるように、脳の多様性にも対応が出来ればいいのに…と思います。

大多数の人が考えること、感じることが当たり前、普通だから、と社会や学校のシステムは出来ています。

当たり前、普通と違う考え方、感じ方をする人は、切り捨てられていいのかなあ?

手足が不自由な方を切り捨てて、または自助努力のみに頼っていいのかなあ。

みんな同じ人間だし、命の重さ。そして誰しもそんな不自由を経験する可能性はあります。

今の社会や学校には、そういう方を思う余裕はないかもしれないけれど、せめて否定はせず、見守ってほしいと思います。

いろんな事情がある人も、きっとそれなりに一生懸命頑張っていて、やっと生きているかもしれません。


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