こんにちは!
うさカンです。
昨日、こんな動画を見ました。
我が家の娘も、咀嚼音が苦手と言っていたので、この動画を見せようと思ったら、
「要約して教えて」と言うので、二人で少し話しました。
娘は、一緒に食卓で食事をする時は、大抵イヤホンをしています。それは、咀嚼音を聞きたくないんだ、と教えてくれたので、もう家族の中では当たり前です。
そして、常に足が重くてだるいので、足を空いてる椅子に乗せて座っています。
具合が悪い時や疲労感がひどい時には動けないと言うので、部屋に飲み物や食べ物を運び届けます。
そして睡眠時間がバラバラなので、食事の時間も合わないことがあり、みんなとずれて「お腹すいた」とか、「それは食べる気がしない」とか言います。
普通の人が聞いたら、しつけがなってないとか、行儀が悪いとか、ワガママだとか言われて当然なのだと思います。
でも私はもうとっくに慣れちゃいました。
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娘と話していたのですが、
本当に人間がこれだけいると、脳のバリエーションもすごいんだなあ、と思います。
現代は、原始時代にはなかった音がいろいろあるし、きっと人間の体の進化が追いつかないこともあるでしょう。
電磁波のように、便利だと思ってできた物が、実は副反応が出てくることもあるでしょう。
人によって聴覚や視覚の感覚が違ったり、とても敏感だったりすることもあると思います。
私は、それらの全てを把握して当事者の気持ちにはなれないとは思うけど、そう知っておくことがとても大切なのではないかと思います。
頑張れば寄り添えると思っていると、自分が知らないことに思いを馳せることが出来ないと思うからです。
自分には限界がある、と知っているからこそ、自分が知らないことも受け入れて、
「そういうこともあるかもね〜」と思えるのではないでしょうか。
日本の社会は、とても礼儀と行儀に厳しい国だと思います。
私はよく子供たちに、アメリカの学校の様子を話しますが、姿勢良くピシッと座っている子供のほうがレアです。
教師は態度よりも、きちんと内容を聞いているのかということを重視しているように思いました。
見えない内部障害があるかもしれない、ということを考える前に、日本の社会では弾かれてしまいます。それほど日本はみんな一緒で多様性がない育て方をしているんだと思います。
どんな病気もそうですが、メンタルによって病気の進行を遅らせたり、自然治癒したりすることがあります。私たちの体はまだまだ未知のことが沢山あります。
たとえ何か人と違う感覚を持って困っていたとしても、社会が全てのことに寛容で、
ワガママと理解するとか否定することから入らずに、困りごとをそのまま受け入れてくれたら、その症状について全てを理解出来なくても、当事者は安心して暮らせるのではないでしょうか。
またそういう安心感がある社会なら、症状も少し緩和されるかもしれません。
特に精神的なことも関わる病気(結局どんな病気でもそうだと思うけど)の場合は、助かるんですよね。
環境ってとっても大事だと思います。
そして環境というのは、社会、学校、家庭ですよね。
そういう場所に関わる全ての人に、
世間体よりも目の前の一人の人の存在を大切に思ってほしいな、と思います。
うちの娘は、けっこう外ではちゃんとするので頑張ってるな〜と思うけど、
やっぱり、しつけが出来てない、甘い親に育てられた子という風に思われることもあるかもしれません。
でも、私はそこを気にするよりも、娘の家での居心地の良さを優先して考えたいと思っています。
行儀が悪くても、ニコニコ食事が出来ればそれでいいじゃない。
それがワガママだって特性だって、そんなの親にだって100%理解することなんて不可能だもん。
きっと何か理由があって、苦手なこと、出来ないことがあるんでしょう。
と、マイノリティになると、なんでもアリになっていく…😅
でも、それが多様性のはじまりだと思っています。
きっと数年経ったら、もっといろんな事が解明されて、その時に「差別してごめん」と思っても、もう充分相手を傷つけた後かもしれない。
そんなこと、恐ろしくないですか?
人間はみんな一緒じゃないんだろうな〜
その知識さえあれば充分な気がします。