こんにちは!
うさカンです。
今日も勝手に必要ですか?シリーズ、とりあえずラストです。
よかったら一緒に考えてみてくださいね!
今日はまず「診断」について考えてみたいのですが、
私は診断は本当はそんなに気にしないほうがいいとは思うのですが、今の社会ではできるだけ診断は受けるほうがいいと思っています。
どういうことかと言うと、社会の対応や人間の態度が変わるからです。
我が家の娘が体調が悪くなってから、散々いろんなことを言われて落ち込んだ話は書いてきましたが、数年後にやっと「起立性調節障害」と診断が出たら、優しくなる人が増えたんです。
当たり前と言えば当たり前。病気や障害の人には優しく親切に、というのは道徳的です。
でもね、本人や家族は何も変わっていないのに、相手の態度が変わるって、けっこう人間不信になりますよ…
もちろん、良く変わってくれるのは嬉しいけど、今までの否定的な対応は何だったの?と思ってしまいます。
という訳で、当事者のメンタルを守るお守り(印籠?)として、診断は有効だと思っています。
もちろん、そういう病気がある、と知ってもらい、どういう状態になるのか知ってもらわないと、理解までは難しいと思いますが、「自分のペースを貫く」ことができるのは「診断」の役割かな~と思います。
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ただし、実は「診断」ってとても難しいと思うんです。
今現在、病名がある病気なら簡単に診断を受けれるか、というと、そうでもありません。
まず最初にかかった医師に、その知識がないとだめだし、どの科にかかるかによっても正しい診断にたどり着けるかわかりません。
特に専門病院などは数が少ないので、診断を受けるための旅が必要だったり💧
そもそも周りの人が、病気や障害かも?と気が付かないと、子供なんかは病院にかかることも出来ませんし。
また、診断も基準があるので、そこに満たないとグレーゾーンと言われたり、問題ありませんと言われたりするので、
結局自分の困りごとを解決出来ないこともあります。
今の時点では解明されていない病気や障害もあるでしょう。
それに様々な指定(難病指定、障害手帳、障害年金)なども一部の疾患ですから、そこから漏れるとなんの支援もなかったり…
「診断」ってとても難しい問題だと思います。診断によってほっとする人もいれば、傷つく人もいると思うし。
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私はこれらのことを踏まえて、
本当は「診断」があってもなくても、自分らしく自分のペースで生きられる社会が必要だと思います。
治療が必要な人は安心して治療に専念できる、休みが必要な人は休める、働くことが難しい人も否定されないなど、
今、自分にとって必要な選択をしても責められず、金銭的にも不安なく過ごせる社会になるといいな。
誰にでも、そういう時が来るかもしれないんだから、社会保障は必要だと私は思います。生まれつきの能力差、体力差など、本人のせいではないことも沢山あります。
そうやって無理し過ぎず暮らすことが出来れば、もう少し社会が健全で挑戦しやすくなり、リトライもしやすくなると思うんですよね。
診断があってもなくても、差別されない社会になりますように。
なんでも自己責任論にならないように。
社会全体が温かい目で見守るようになるには、そんな教育が必要だと思います。
病気や障害の人には優しくしましょう、
ではなく、人間はみんな違うから一律にはならないことを教えてほしいです。
あなたの得意、好きなことを尊重されて、そして私の得意、好きなことも尊重される。
苦手なことばかり指摘されて「普通」になることばかりにならないように、
誰にでも苦手があっていいんじゃないかな?
それをフォローしあえることが「幸せ」だと思うんですよね。
「診断」がないと考慮しあえない社会を作っているのは私たちではないでしょうか。