usagi-company-lab’s blog

我が家の不登校日記です。最近は教育と社会問題に興味があります。どうぞよろしくおねがいします♪

ディベートと論破は違う

こんにちは。
うさカンです。

ウクライナの情勢を見ていると、何故か昔の自分が走馬灯のように、いろいろ思い出します。

ウクライナの選択は何が正解なのか分からないし、反戦デモをしているロシアの人々も辛い気持ちでしょうし、世界中が何が正しいのか、どうすべきか分からないまま判断しなければならない。

どうしてこうなっちゃったんだろうと思っても後戻りできません。

一人の命の重さは同じはずなのに。


*****

私は子供が不登校になってから(というより体調不良がはじまってから)、ずっと戦ってきたんだなーと、なんだかボーッと考えていました。

何に対して戦って生きていたのか明確には分からないけど、とにかく必死でした。

よく言われたことは、お母さんが甘やかすから子供の体調が悪化する(敏感になる)とか、
親の(不登校)対応が悪いから具合が悪くなる。
元気な不登校の子は、親の対応がいいからなのだろうか…

目の前の子供はとにかく具合が悪くて、
それが母親である私のせいなのか?と必死で学びました。
私の何が悪いのか、子供を元気にしてあげたい、


社会でいいと言われている道から外れると、
とにかくあちこちに敵がいるようで、ひっそり隠れて暮らしたくなりました。

でも事実は事実としてあるし、
きちんと言わなきゃいけないことや、
伝えるべきこと、
理不尽なことにはおかしいと言いたいし、
でも子供の気持ちを最優先にしたいから。

随分言わずに我慢したこともあったし、
言ったことで相手を傷つけてしまったこともあると思います。

それがまた辛かった。

少ーしずつ社会が変わってきて、
学校に行かなくても生きていけるんだ、
起立性調節障害という病気があるんだ、
自分の人生を自分で選んでもいいんだ、
自由に学ぶ方法もあるんだ、

と知られるようになってきて、

不登校は犯罪者ではない、
娘の体調は私のせいではない、

と社会の理解が追いついてきたような気がします。


*****

私は自分の体験や考えてきたことを伝えなくちゃ、という使命感があり、

子供たちが許す範囲で何かしていこうと思っています。

少しでも子供たちが生きやすい世の中にしたい。

でも体験だけでは自信がなくて、
「チャイルドカウンセラー」と
「家族療法カウンセラー」の資格を取りました。

私の発言で誰も傷つけたくないと思って注意してきました。

でも、発信するということは、時として理解されないこともあります。

意図せず人を嫌な気持ちにさせてしまうことがあります。

そんな時には、もうやめよう、と思ったりします。

私が動かなければ、誰も傷つけないし。

人間関係が辛く思う瞬間です。

私の子供たちも、家族でさえ傷つけないように気をつけて生きています。
人を傷つける自分を考えただけで悲しくなってしまうんだと思います。

でも、人は迷惑をかけずには生きられないし、
誤解や傷つけてしまうことも避けられないんですよね。

こんな私を救ってくれたのは、やっぱり人の力でした。
人を避ければトラブルは減るけれど、助けてもらうこともできないのかも。

この年になっても学ぶことは沢山です😅
きっとまた忘れちゃって落ち込み、
また誰かに助けてもらうんだろうな・・・

発信は怖いけど、私にしか言えないこともあるのかもしれない。
誰かの役に立つかもしれないし、応援してくれる人もいるかもしれないですね。


*****

私が昔、アメリカ留学する前の一年間、
日本でディベートの講義をうけました。

私はこのディベートということを初めて知って、衝撃的でした。

私が当時習ったことで今でも覚えていることは、

ディベートは相手を傷つけることではない。
相手の存在価値を否定するものでもない。

お互いに違う立場に立って、様々なデータ等を用いて論理的に意見を伝え合うことだということだと思いました。

自分が賛成なのか反対なのかに関係なく、
そして正しい答えがあるのかないのかに関係なく、

「そういう意見もあるんだね」
と発見する場所、見直す場所だと思いました。

こんなに素晴らしい体験は、ほんと初めてだなと思って、ずーっと印象に残っています。

目的が「相手を論破すること」
になってしまうと、一方は快感でしょうが、相手には伝わらないこともあると思います。

世の中には正論だけでは片付かないことが沢山あります。

国同士の対話でも、親子の会話でも、

「そういう意見もあるんだね」と聞くことが大事なんだと思います。

ディベートゲームには勝ち負けがありますが、
でもそこに出てくる議論はどちらもとても意味があり、尊重しあえたら、自分の身になるものだと思います。

お互いに成長しあえるのではないでしょうか。

自分の意見を言うことが大切だから、
相手の意見も否定せずに聞くことができたらいいのかな、と思います。

そういうスタンスで、
全ての人に理解してもらうことは難しいけれど、できることを一歩ずつ、と思っています。

思いやりのある対話で、市民の命を守って欲しいと思います。