usagi-company-lab’s blog

我が家の不登校日記です。最近は教育と社会問題に興味があります。どうぞよろしくおねがいします♪

連帯責任反対!!

 こんにちは!

うさカンです。

まずはこちらをご覧ください。

今日はこの動画から感じた私の気持ちを書いていきます。

 

 


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さて、この動画の感想、みなさんはどう思いましたか?

私は、新米先生が成長していく姿、応援したいと思います。先生を志す方が減っている中で、こうやって子供たちの為に頑張ろうとしている若者と、その先生を見守る先輩先生方、コロナで沢山の工夫が必要だと思います。

 

でもね、子供たちの教育という観点で考えてみると、私はとても息苦しくなり、悲しくて、ずっと心が痛かったです。

なので、過去の私の気持ちに寄り添いながら、私の主張を書いていきますね。

 

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特に運動会のシーン、先生が演目を決めて、先生がお手本を練習して、鳴子を持たせることにして、そして合格するまで練習させる…

日本の教育のトップダウン形式そのものです。自発性が何もないし、子供たちの選択も何もできません。

先生は一生懸命頑張って、最後は感動するでしょう。達成感でいっぱいになるでしょう。でも、この行事は誰の為なんでしょうか?

クラスメートの大半は、楽しくできると思います。ダンスが不得意でなければ、楽しいと思います。そして、クラスメートは一致団結できて、いい思い出になるでしょう。

でも、こういう時に、HSCの視点から見ると、けっこう恐怖だと思います。

鳴子をもらうことがビリの子供だったら、いじめのように思うかも。

毎日休み時間に練習して、おうちでも練習してきてね、と言われ、ダンスが苦手だったとしても逃げることができません。

誰でも得意不得意はあるものだと思いますが、自分の苦手のせいでクラスみんなが待っているとなれば、練習するしかない。しかも努力だけじゃなくて、合格しないと認められない。自分が合格しなければ、クラスみんなで運動会が出来ないなんて、プレッシャーです。

そして、ビリにならなかった子が、「自分じゃなくてよかった 」と思うだけでなく、HSCの子は共感力が高いので、そういう子を見ているだけで、だんだん辛く苦しい場所に感じられてくるのはよくあることです。

それで不登校になる子もいます。

だって逃げるには不登校しか手段がないんですから。

自分の嫌だという気持ちを犠牲にした上で、みんなの感動が成り立っている?

(そしてビリの人が抜けたら、また誰かがビリになるの?)

 

これを見た時に、少し違うかもしれないけど、障害者の感動ポルノという言葉を思い出しました。

 

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不登校になれるなら、まだいいのですが、もしビリの子がおうちで貧困や虐待などの問題を抱えていて、心安らぐことが出来ない家庭だったらどうでしょうか。

家庭でも居場所がなく、学校に行っても苦しい子の逃げ場はどこでしょう。

私は学校が福祉的な意味で、誰でも居心地よく、楽しく過ごせる場所であってほしいといつも思っています。

超マイノリティの子を想定して運営されてほしい。だって公共施設なんだから。

 

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学校の先生は、だいたい苦手なことが少ない人が多いと思います。もしかしたらビリになった経験がないまま大人になっているかもしれません。

一方で、ずっとこういう教育を受けてきたので、当たり前の教育方法だと思っているでしょう。

学校の先生は、大卒じゃないとなれないし、障害がある人、病気や病弱な人は現場ではやっていけないのでしょう。

学校現場にいらっしゃる大人には多様性がありません。だから、多様な子供たちを理解することは難しいかもしれません。

 

そして、私は子供の頃、体育全般が苦手なのに、運動会、ドッチボール大会、持久走大会、大縄大会など、個人競技なら自分がビリになればいいだけだけど、団体のものはクラスに迷惑をかけることがとても苦痛でした。(いや、自分がビリになるだけでも苦しかったけど)

本の学校行事は、ただのフェスティバルではなく、必ず教育目標みたいなものがあって、ただ楽しいことには価値がないように思われていると思います。

 

それから私は食べることが苦手で、給食は少食&遅い為、ほんと苦痛でした。

みんなが食べ終えて、掃除してる中でまだ食べ続ける…今考えると衛生的にどうなんでしょう?

そして、当時の私は自分に苦手なことがある、人並みに出来ないのは、

「自分が悪い」と思っていました。

だから誰にも文句も言わなかったと思います。

人間はその環境の中にいると、それが当然と思っていて、改善なんて考えつかないと思います。

まして子供は他の世界を知らないから、声の発しようがありません。

いじめもきっとそうなんでしょうね。

でも、大人になって考えてみると、

初めて「誰にでも苦手はあるんだ」とか、「私が悪いわけじゃなかったんだ」ときづきました。

私は悪い子ではなかったし、大人になったらこんなに自由な選択肢があるんだ!

どうして子供には選択肢がなくて我慢を強要されるんだろう?

 

大抵は、喉元過ぎれば熱さを忘れるで、

そんな思い出は過去のものだと思いますが、私はたまたま子供も同じタイプで不登校になっているので、こうして代弁することができるわけです。

 

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学校を変えませんか?

せっかく新学期にドキドキワクワクしながら通う、頑張っている子供たち「みんな」が、楽しく心も体も安心安全で通えるように、通えば通うほど、もっと行きたくなる場所になりませんか?

きっと全国の親子がそう願っていると思います。

もしご意見がありましたら、是非聞かせてほしいです。

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