こんにちは!
うさカンです。
先日、国連からインクルーシブ教育を推進するように勧告がありました。
学校というのは、勉強を学ぶ場所だとすると、みんなが効率よく学べる場にするためには、分けて学びの場を作る方が双方にとってよいと考えられてきたのかな、と思います。
ところが、私が子育てをしてみて知ったことは、
「人間は多様である」ということでした。
漠然とは知ってるつもりだったけど、その細かい意味は分かっていなかったと思います。
人間の権利とか、多様性とか、人々の価値などを学校で学ぶことができるのだろうか?と、ずっと疑問に思ってきました。
先日、眼科へ行きました。
次女の眼鏡検診のためです。
そしたら、そこにご高齢のご夫婦がいらっしゃいました。
どうやら旦那さんが緑内障の診断を受けて、手術を勧められているようです。
その方は、補聴器をつけていましたが、とても聞こえにくいようで、看護士さんが何度も大声で説明されてました。(だから全部事情がわかってしまった)
その男性は、きちんと説明を聞いて、納得する上で治療を進めたいようです。
そしてご家族の女性は、手術を受けるのかどうかも含めて検討したいようです。
なので、看護士さんからのいろんな情報が飛び交い、なかなか話が進みません。
大きな病院への紹介状を書くのか書かないのか、どうしますか?という話し合いが続いていました。
待合室にいた、少し若い男性は、とてもイライラしているように見えました。
その場の空気やうるさい感じなどが苦手なようで、外で待っては、「まだかなあ?」と様子を見に来ることを繰り返していました。
私も大きい声が続いて、少し疲れました。
看護士さんも、とても疲れたと思います。
でも、みんな我慢強く待ち、トラブルはありませんでした、
確かに疲れはしたものの、自分の体について真剣に何度も聞いて理解しようという態度に感心しました。自分の体ですもんね。
そして、敏感な娘も、特に違和感もなく、きちんと待っていましたし、全く疲れてもいないようで、その後のショッピングを楽しみました。
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うちの子は確かに敏感で、一年生のときは学校の校舎の中に入れませんでした。
学校の大きさや人の多さ、ざわざわした休み時間など、いろいろと恐怖を感じているようで、こそこそ隠れていました。
でも、成長とともに不安も少なくなり、できることも増えてきました。
学校は、授業中はみんなの邪魔にならないように静かにしなければなりません。
当時、心因性頻尿だった娘にとっては、自由にトイレへ行けないような静かな空気にも緊張感があったと思います。
多様性のある人間をひとつにまとめることってとっても大変だと思います。
先生一人にクラスの人数が30〜40人なんて、丁寧に面倒を見ることは不可能だと思います。
だから、インクルーシブにするには、もっと先生の人員が必要だと思います。
本当に先生を増やすお金がないのでしょうか?
そして、そもそもひとつにまとめるという発想は合っているのでしょうか?
大きな音や、ざわざわした感じが苦手なら、そういう子のための教室を作ったり、イヤーマフをする子がいてもいいし、情報のとり方にも見る、聞くなどの選択肢があればいいと思います。
静かな教室のほうが授業しやすいとは思いますが、世の中に出てみれば、いろんな人がいて、静かに座り続けることが出来ない人もいます。
それから、個別指導、療育的な指導もとても大事だと思いますが、全てみんな同じことを目指さなくても、出来ないところ、足りないところを補い合うことでも生きていけるかもしれません。
いろいろ考えてみても、私の子供のためにはインクルーシブ教育がいいと思います。
きっといろんな人が混ざって、みんなに得意不得意、能力差などがある環境なら、
みんなが自信を持って、「私はワタシ」と生きていく、人間力を学べるのではないでしょうか?
一定の基準からはみ出た人間の気持ちを知らないまま、頑張れば必ずどうにかなる、と信じて生きていくうちに、
もし自分が病気や障害、思いがけないアクシデントが起こった時、どうやって生きていけばいいのだろう…と悩んでしまうと思うのです。
だって自分が育つ過程で、いろんな多様性を見たことがないのですから。
でも、大抵の人は、年齢を重ねるにつれて、出来ないことが増えていきます。
小学生では、学年みんながほぼ同じで、同じ教科書を使っていたとしても、
人間70歳、80歳になれば、みんな同じではなくなります。
人間の多様性って、そう作られているのだから当たり前なんだって知らないで私たちは生きることになってしまいます。
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そういう意味では、不登校の子供たちは、人生の先輩かもしれませんね。
マイノリティの経験を持っているのですから。
きっとマイノリティの気持ちがわかる。
不登校が増えてきたとはいえ、確率、割合はまだマイノリティでしょう。
ところで、なんで不登校の親は大変なのか、ということにふと気がついたことがありました。
子供が不登校になると、学校の先生の役割やら、養護教諭やカウンセラーの役割、そして給食の仕事まで、なんだかひとりで背負うことになっています。
子育ては、よく好きで生んだんでしょ、とか、子供好きじゃないの、とか思われそうだけど、そういう問題なのでしょうか?
子供が好きでなった保育園や幼稚園の先生、学校の先生方も、待遇や働き方に問題とされているように、主婦には待遇が何もない!!
ってことに気が付きました。
なんにも外注できなくて、ワンオペで、収入もない主婦がいるとしたら、それは我慢し続けることが正解なのかなあ?そもそも、いつも職業欄に主婦って書くけど、
今の世の中は、共働きのひとばっかりで、ご近所さんと立ち話しようと思っても誰もいないし、公園に行く親子はかなりレアでマイノリティかもしれません。
だいたい少子化ということは、子育てしてるほうがマイノリティになってくるし…
もちろんワーママさんは超大変だと思います。
でも今は専業主婦の孤独感がすごいことになっているんですよね。しかも大抵は遊ぶお金もないし。
さてさて、そんな中でも楽しく生きていきましょうね。
人生は楽しんだもの勝ち💦