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うさぎさんのいる生活、HSCの子育てや日常について綴っています。どうぞよろしくお願いいたします。

「診断」ってなんだろう

こんにちは!
うさカンです。

今日はこちらの記事の感想です。

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私の長女は、小学校5年生の時から具合が悪くなってきて、近所の小児科に通いました。

原因が分からない不調が続きましたが、普通ではなかったので、しょっちゅうクリニックに通っていました。

そして、県の施設の児童精神科を紹介されて、そちらに通うことになりました。

そこでドクターストップとなり、完全不登校になりました。

結局、そこのドクターの診断に不信感を持つようになり、通うのをやめました。
8ヶ月くらいは我慢して通いました。

いくら親が「この先生は嫌だ」と思っても、娘の為の通院を放棄したらいけないだろう、と当時は思っていました。

ところが、スクールカウンセラーさんに相談したら、相性が合わない病院に通っても効果はないから、やめていいんじゃない?と言われて、初めて「そうなんだ〜」と思いました。

アドバイスや相談って大事だなあ、と思いました。
私が頑なに頑張っていた考えを、柔軟にしてもらえた出来事でした。


*****

そして、私はその後、病院に頼らず、自力で調べ続けて、情報を集めたり、対応を学んできました。

3年経って、ようやく市民病院で起立性調節障害の診断をお願いしました。
市民病院は、基本的にはクリニックなどからの紹介が必要で、クリニックでは手に負えない治療や検査のためにある病院ですが、

我が家の場合は、市民病院につなげてくれるクリニックが見つからなかったので、直接お願いしました。たまたま小児科だけは紹介状無しでも受け付けてもらえたので、助かりました。


市民病院のドクターは、起立性調節障害と診断されても、治る訳じゃないし、診断が必要?というスタンスでした。

起立性調節障害の診断をする為には、大きな他の病気を否定する為の、大掛かりな様々な検査が必要で、具合が悪い娘に出来るのか?という心配もありました。

でも、「診断がなければ、原因が分からないし、周りの偏見の目から娘のメンタルが駄目になってしまう」という危機感が私にはいっぱいあって、療養生活が長くなると、

そろそろ元気になったら?という周りの圧力も感じたりして、

「いやいや、病気だから無理なんだよ、ワガママや怠けではないんだよ」と証明したくてしょうがありませんでした。


私の気持ちで、具合の悪い娘に検査をさせて、申し訳なかったなあと思います。

でも、娘を温かく見守ってもらう為に私が出来ることが、これくらいしかなかったんです。


*****

さて、診断を受けて、私はこの病気のお母さん方と繋がることが出来ました。
いろいろと教えてもらい、とても勉強になりました。
それでも、やっぱり娘がすぐに良くなることはなく、その後も何度か病院を変えてみたりしたけれど、効果はありませんでした。

娘の希望で、とにかくお家でゆっくり、ストレスなく療養するのが一番ということになり、今に至ります。

お家で体調に合わせてのんびりできるのはいいのですが、他の居場所がなく、友達を新しく作ったり、人間関係に満たされる経験がなくて、別の苦しみの中にいるようです。


娘の今の体調は、
起立性調節障害に由来するものなのか、
女性ホルモンのバランスなどによるものなのか、
睡眠障害的なものなのか、
自律神経の乱れも続いていると思うし、

要因をはっきり区別することが出来ないと思います。

たぶん不定愁訴というのは、いろんな原因が絡まっているのだと思います。

もちろん、HSCをはじめとする本人のもともとの特性とか性格とか、好みとか、、、

同じ病気の人でも、安心すること、考え方、治療方法、など、いろいろあると思います。

症状も全く同じではないと思います。

そういう意味で、

昔は早く診断が欲しい!それが偏見から守ること!だと思っていましたが、

今は、診断そのものよりも、全てのその人の成り立ち、あるがままの姿を受け入れることが大事だと思うようになりました。

もちろん、まだ今の社会では、診断がないと受け入れてもらえない、理解されないいろんなことがあると思います。

でも、その先には、
病気や障害があってもなくても、
出来ない自分も受け入れられる温かい社会が重要なんだと思います。

そうすれば、診断だけに頼らなくても、
無理強いさせて生きにくい世の中にならないのだと思います。

私は娘のことも、ひとつの診断だけに頼らず、
今日のそのままの娘と付き合っていくことが目標です。

そして、病気や障害があっても、幸せだと思える生活になるように目指しています。

全て満たされるのは難しいので、一歩ずつの積み重ねです。

病気や障害がなくても、自分なりの幸せを目指しましょう。
自分が満たされていれば、自然と他者にも優しくなれますよね。



今年も#つながる朝顔プロジェクトに参加しています。
今朝は今年初開花でした✨
待つ時間が長かった…
仲間の朝顔達は、とっくに咲いていた。

まあ、我が家はゆっくりのんびり、我が家のペースでいいかあ。
楽しいことには違いない!!


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脳の神秘と子育てを楽に楽しみたい、小さな違いについて

こんにちは!
うさカンです。

今日、ご紹介する本はこちらです。

最近、何故私が「脳」について興味があるのか、というと、子育てをしやすくする為に、脳の知識が欠かせないと思うからです。

難しいことは私にも分かりませんが、
ひとつの子供の行動に、

「なんでそんなことも出来ないの」

と、がっかりしたりイライラしながら子育てするのは、とても疲れるし、日々の子育てを楽しめないと思うのです。

どんなに試行錯誤してもうまくいかないとか、
子供が駄目な子なのかな、自分の子育てが下手なのかな、と悩む保護者の方に、

脳はみんな一緒じゃないんだよ、と伝えたいなあ、と思いました。

誰が悪い訳ではなく、ただ受精卵から進化する間に、何かが多かったり少なかったり、小さな理由があって、そして生まれてきたのかもしれません。

そんな理由が全く分からないと、努力が足りないのか、育て方が悪いのか、と考えて、いつまでも止まらなくなってしまいます。

子供の成長はずっと続くから、簡単には合格点に到達出来ないのです。

でも、それが感情ではなく、脳の状態で決まっているんだ、と思えば、無駄な努力をする時間より、もっと「今を楽しむ」ことに時間を使えます。
今の自分に出来る相応なことを探すことが出来ます。

私は、自分の脳に、刺激に敏感なセンサーが搭載されていることを知らなかった時には、自分的に大混乱していたし、自分が悪いと思っていました。

でも、こういう脳ミソなんだからしょうがないよね、と思えるようになって、人より沢山の休憩時間が必要なことに罪悪感を持たなくなりました。

きっと、人によって排気量が違うんだよね。

そういう自分の敏感さを、感じないように努力することは無理なので、感じた時にどう対応するのか、ということを研究するようになりました。

とても合理的でスッキリです。私なりの幸せを見つけて過ごすことが出来ました。


*****

例えば、動物なんかは、珍しいほうが稀少価値が上がって、高くなったり人気になったりするけれど、

人間界では、なかなかそういう感覚はないかもしれません。

でも、人と違うって、結局みんなそうで、
得意不得意もみんな違うし、見た目やコンプレックスもいろいろ。

たまたま脳の部分に違いがあっても、それを受け入れて生きていくしかありません。

脳の障害や病気は、先天的なものもあれば、後天的なものもあります。

誰でもなる可能性があります。

世の中はマイノリティ仕様になっていないので、どうしても生きづらさを感じることはあります。

悲しい思いをすることもあります。

それでも、少しでも明るく受け止めて、楽しい人生を過ごせたらいいな、と思います。


*****

ところで、私はこの本を読んでいて、
途中で涙が出そうでした。
それは、マウスの実験について、詳細に頻繁に書かれていたので、悲しくなってしまったんです。

娘がハムスター好きになってから、
私もだんだんハムスターがカワイイと思うようになり、本当に小さな命も大切に思うようになりました。

逆に、虫の実験について書かれたページは、ちょっと気持ち悪いと思ってしまいました。

人間って勝手なもんです。

いったい誰の許可を得て、実験しているのでしょう。

そこはどうしても読むことが出来なくて、飛ばしてしまいました。

私達の医療に貢献していることは間違いなくて、もしかしたら私も脳の病気になって、その開発された新薬にお世話になるのかもしれないと思うと、とても複雑です。

こういう考えの人間ばかりでは発展しない、

だから人間にもいろんな人がいるんだということが納得出来ますね。

自然界は、保守的な種もいれば、前衛的な種もある。そうやって成り立っているのでしょう。

いい、悪いでは決して説明できない成り立ちなのかもしれません。


*****

さて、本書の最後には、脳研究に携わる方のインタビューがあります。

どういう子供時代だったのか、何がきっかけだったのか。

人の人生って面白いですね。

私が一番印象に残ったのは、
ノーベル賞をとった先生のお話に、

「栄誉を求めて研究したのではなく、何の役に立つか分からないけど、生命の不思議をこつこつと研究を重ねたことでノーベル賞につながった」というところがありました。

よく言われることですが、
親は目先のことばかり考えて、
「それが何の役に立つの!」と、もっと有意義な時間を過ごすように子供に言いがちです。

でも、大きな発見というのは、好きなことを追求した先に偶然待っているのかもしれません。
それが社会貢献につながったり、人類に大きな影響を与えることだってあるのかもしれません。

そう思うと、子供が興味を持つどんなことも、大切に育まなくてはいけないと思うし、独特な感性も大事にしたいな、と思いました。


そんな、人生のヒント、子育てにつながるような視点も書かれていて、とても参考になりました。

脳の神秘はまだまだ解明されていないことのほうが多いのだと思います。

昔は全て精神論で語られていたことが、ひとつひとつ解明されていくことでしょう。

私達親は、子供が自由に、様々な分野に多彩に育っていくように、見守る姿勢が大切なんじゃないかな。
人間って偏らずにいろんな方向に興味がいくから不思議です。


*****

ところで、話は少し変わりますが、
先日、勝間和代さんのブログ記事がとても面白いと思ったので、ご紹介させていただきます。

katsumakazuyo.hatenablog.com


私の指の長さも見てみると、

私は随分と人差し指のほうが長かったです。

私、人間の手は、中指が一番長くて、
親指が短くて太くて、小指が短くて細くて…

そんな感じでみんな同じなんだろうって、
ずーっと先入観のまま生きてきました。

高校の時の先生は、指の本数が少なかったけど、
たいていの人は、みんな同じだと思っていました。

こんなところにも、個性があったんですね!

脳の違いも、もしかしたらこういう風に、ほんのわずかな違いなのかもしれませんね。

それでも精密機器のように、少しの違いが大きなこととして表れるのかもしれません。

それでも淘汰されずにきている意味は、必ずあると思います。

偶然だけど必然だと思いながら、
自分なりのペースで、自分の幸せを追求しながら生きていこうって思いました♪

【HSP】一難去ってまた一難 

こんにちは!
うさカンです。

今週は終業式がありました。


私は暑さに弱く、緊張にも弱い人間です。
学校に行く約束の時間は13時半だったのですが、何故か食欲がなくてお昼ごはんが食べられませんでした。

でも倒れてしまうと困るので、お菓子と漢方薬をつまんで出掛けました。

娘も一緒に行けるかな?と思っていたのですが、行けませんでした。
理由は説明出来ないと言うので、分かりません。

言葉に出来ない気持ちだったようです。


*****

今年度は、娘も勉強しなくなっちゃったし、学校に提出するようなものも少なくて、あまり連絡を取っていませんでした。

先生から連絡がないのをいいことに、のんびり気楽に過ごしました。

どうやら、先生のほうも気を使ってくださっていて、どんなタイミングで連絡したらよいのか考えているうちに、時間が経ってしまったのだそうです😃

わりと熱心に、娘の為に「こんなこともあんなこともやってあげたい」と思ってくださっている割には、娘が動き出すまで待ってあげたい、というなんとも素敵な先生で、安心しました。

私も、娘が動き出すのをを待っているところです、とお伝えしてきました。


*****

さて、帰宅して、やっと安心して食事をして、お昼寝をしました。

自分でもよく分からないけれど、私は何かと敏感に緊張して、そうすると食事が喉を通らなくなる体質(?)のようです。

これが続いていくと、前のようにバテてしまいます😢

私がこういうタイプなので、子供が学校に行けない気持ちもよく分かります。

別に学校や先生が嫌いな訳じゃない、ただ些細なことが気になり、緊張感があり、疲れるのです。

それが出来そうな日もあれば、めんどくさい(重たすぎる)日もある…

私も親でなければ投げ出したい仕事です💦

でも、先生とのお話は、とても楽しいんですけどね。


*****

私は、若い頃には自分のことを知らなすぎて、
何故自分はこんなに疲れやすいんだろう??
と思っていました。
体力がないほうなので、とにかく自分が悪いと思っていたし、自分が不運なんだと思っていました。
今まで何度も体調不良を経験してきて、元気なほうが少ないくらい💧

そんな自分にうんざりでした。
(そして普通の人がとても羨ましかった)

それでも、いろんな事に興味はあるし、別に嫌な訳ではないんです。
だから、首を突っ込んでは疲れる、頑張ると体調が悪くなる…そんな根性のない人だと思ってきました。


ところが、娘がHSCだと知り、
その概念を知るうちに、自分も敏感なのだ!と気が付きました。

心もすごく些細なことに反応するし、それで体にも悪い反応が出てしまう。

そんな人なんだと気が付きました。

(別に私が悪い訳ではなかったんだ、)

これまでの経験で、
素の自分を出すと、周りがウザく感じる、
細かいことを気にしすぎると、めんどくさい人だと思われる、
常に具合が悪いと心配もされなくなる、

と感じてきたので、無意識に自分を出さないようにしていました。

全然大丈夫なふりをする、
不安でもあまり口に出さない、

そうすれば、人と普通に付き合える、

そう思っていました。

だから、こんな私が出来上がったし、
子供達もよく似ていて、気持ちがよくわかる😅


*****

さて、昨日の朝は、ニュースでコロナ対策&熱中症対策のことをやっていました。

コロナだけでも怖い私が、熱中症対策まで受け止めきれません。
マスクをすると熱中症リスクがあるとか、ステイホームで筋力が落ちると脱水症状になりやすいとか、もう怖いと思うことばかりで、聞いているだけで具合が悪くなってきました😖

こんな時には、一度情報を受け止めてから、ゆっくり自分の頭で解釈して落ち着くしかありません。焦っているだけでは、具合はどんどん悪くなり、いいことはありません。


梅雨の体調が心配だった私は、次には熱中症が怖くなってきて、毎年夏バテで食欲がなくならないように最大限の努力をして…

本当に、一難去ってまた一難。

私は忙しいんです。

常に○○対策が、頭の中でぐるぐるしている。


昔、「お父さんは心配症」って漫画があったけど、うちは「お母さんは心配症」だな。

まあ、忙しいのは頭の中だけで、体はのんびりしてますから、誰にもそうは思われていないと思いますが😄


とにかく、いろいろと気をつけながら、
一日一日を楽しく過ごすことに全力をあげていきたいと思います♪

子供達も敏感で大変なところもあるけれど、
人に恵まれて、幸せになることは出来る!

そこだけは私は信じられるので、
目の前の一日を楽しく過ごすことに集中しよう!人生はその積み重ねだよね。

↓ 私が共感した、繊細さんエピソード

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いじめ問題と学校の先生

こんにちは!
うさカンです。

普段、学校の先生にはとても感謝しており、忙しい先生方に少しでも負担をかけないように、と思って過ごしています。

ブログなどの繋がりでも、素晴らしい先生の記事などを読むと、先生頑張れ〜!と思うし、こういう先生ばっかりだったら教育が変わるのに…と思ったりしながら、拝読させていただいております。

それでも、それとは別に、私はもう少し先生が変わってくれたら、と思うこともあるので、今日はそのことについて書きます。


*****

小中学校の先生の中には、学生時代から頭が良くて、運動も出来て、元気いっぱいの体育会系、食べることも大好き、声もハキハキ大きい!

そんな、「出来るタイプ」の先生が多いような気がします。

いわゆる「陰キャ」な人で先生になりたい!と思う人は少ないんじゃないかと思うんです。

教育現場が、元気な子供に負けない元気な先生に支えられて明るいのは、とてもいいことだと思います。

だけど、もしかしたらそういう先生の中には、「先生の世界」しか知らない、挫折も失敗も経験したことがない、視野が狭い場合があるんじゃないかと感じることがあります。

職員室にはたぶん大卒の先生しかいらっしゃらないと思いますし、有名な大学出身の先生も多いかもしれません。

そういう人生を過ごしてきて、成功している人は、自分の人生のように子供達を育てることが間違いなく素晴らしいと信じているかもしれません。

どの子にも、しっかり勉強を学ばせて、たくさん運動させて、いっぱい食べる元気な子、それが目標になっているかもしれません。


そして保護者のほうも、そういう教師像を求めている人が多いように感じます。

先生方は保護者に支持されて、ますます絶好調です。

きっと保護者の中には、自分より学歴が下の先生にとやかく言われたくない、みたいな見下すタイプの人も多いと思うんです。

昔から、先生は「上の人」って感覚だったのだと思います。

でも、よく考えてみて、

勉強が良くできて挫折知らずな人に、子供のいろいろな気持ちが分かるでしょうか。
人を育てるってすごく大変なことで、共感力がないと出来ないと思うんです。

人の痛みを想像したり寄り添うことは、自分にも辛い経験があるからこそ、それが生きてくるのだと思います。


*****

人をいじめる人、それを自慢するような人は、
きっとその人の人間力が育たなかった人なんだと思います。

残念ながら、いくら道徳で習ったとしても、理解するのは難しいと思います。

だって、道徳では、よりよい人になるにはどうしたらいいのでしょうってことを習うんですよね。

出来ない人間も存在するよ、それでもあなたには出来ることもあるし、存在自体に価値があるんですよ、と学校で教えてもらうことは、トントン拍子の人ほど難しいのではないでしょうか。

教師は正しい人間、よりよい人間を育てようとするし、子供はそれによって評価を受ける。

その構造の中で、知らず知らずのうちに、人を傷つけていることはないだろうか。

先生が気付かなければ、子供達だって気付かない。大抵の子供は、先生に好かれるように育ちます。

でも、あれ?なんか変じゃない?と思う子供もいます。
それは、弱い立場を経験することになった子。

勉強が苦手、運動が苦手、食べるのが苦手など、人間の苦手な部分を否定された子供達。
そしてもっと頑張ることを強要された子供達。

そんな子供達は、先生からいじめを受けたような感覚になると思います。

出来ない人を責める、努力が足りないと怒る、そんな先生を見て育つクラスの子供達は、
「そうやっていいんだな」と学んで、弱いものいじめをする。

上の立場の人が、下の立場の人に言いたいことを言って、やりたい放題すれば、自分の意志は通せて満足だし、気持ちもスッキリするかもしれない、けれど、相手の気持ちは分からない、気付けない人を育ててしまいます。

こういうことは、学校だけではなく、先生に限らず、いろんな所であることです。

いろんなハラスメント、いじめ、社会からなくならない理由は、そういう子供を育てていることに歯止めがかからないからではないでしょうか。

子供が大人になって、社会が作られていくから、教育が変わらなければ社会もそのままです。


*****

先生は公務員なのですから、
売り上げ(数字)にこだわるセールスマンのように、子供の成績を捉えないでほしいです。

自分のクラスの様々な数字は、先生の手柄ではないと思います。

子供個人個人の成長に目を向けてほしいと思います。

例えば不登校対応では、自分が頑張ってこの子をどうにかしてあげよう、と熱意のある先生はとてもありがたいのですが、その支援が自己満足になっていないか、考えてみてほしいと思います。

なんでも1位を取ることが偉いという価値観を考え直してみてほしいです。

先生方も子供達をよく見て、子供達は多様なんだな、と子供達から学んでほしいと思います。

そして保護者は、子供を育てるとはどういうことなのかをよく考えて、先生を育てていくような気持ちにならないといけないと思います。

人間は誰だって完璧ではないし、それが認められる学校や社会を作ることを、ひとりひとり出来ることを考えていかないと、

気持ちが学校から離れてしまう子がどんどん増えるだけだと思います。


きっと弱い立場の経験がない先生には、いじめがどんなに辛いことなのか分からないのかな。

いじめられると、自分が生きている意味が分からなくなるほど辛いのです。

人殺しと同じくらい罪深いのです。
人の心を殺しているのです。

どんな理由がそこにあったとしても。

もちろん先生だけではなく、子供に関わる全ての大人が気をつけなければいけませんよね。

子供の「休む権利」「遊ぶ権利」を最優先してみたら

こんにちは!
うさカンです。

そろそろ夏休みですね。
我が家は子供が不登校なので、毎日がお休みのようなもの。

今年の夏休みは、神奈川県独自の緊急事態宣言だそうです。またまた長いステイホームになりそうです。
昼間は暑くて公園も厳しいですよね💧

最近の我が家は、夕方にお散歩に出て、汗だくで帰ってきて、そのままシャワーって日が多いです。(まだ明るいうちに)

そうすると、夜の時間がとても長くてのんびり🍻
いい感じです。(私は呑めませんが💦)


*****

子供が小さいと、一日中お世話で大変です。

大きくなると、集団生活に合わせるのが大変です。

いったい子育てで楽な時っていつなんでしょうね😅


集団生活では、みんなとうまく生活出来るように、やるべきことが沢山。そしてお勉強もしっかり追いついていかないと、あとから大変になってしまう…と、子供はとても忙しいです。


ところで、ユニセフ子供の権利条約第31条に、「子供の休む権利」「子供の遊ぶ権利」というものがあります。

子供のこの権利は充分に守られているでしょうか?

この夏休みは不自由も多いですが、予定を詰め込み過ぎず、のんびり生活と思って過ごしてみるのもいいのかな?と思いました。

我が家はいつも、のんびり生活ですが、それでも子供はとてもいい感じに成長してきていますので、もし参考になるところがあれば挑戦してみてくださいね!


*****


さて、夏休みと言えば「宿題」。
うちの子は、3年生になってから、家庭での学習をほとんどしなくなりました。

学校にも行っていないので、一日中、机に向かうことはほとんどありませんでした。

親としてはもちろん焦るところもありつつも、いろいろ試行錯誤していました。

そしたら、先日、娘が、
「夏休みの宿題は早めに終わらせようかな」
「自由研究は何しようかな」
「夏休みの宿題の中では、楽しかったことを書く作文が好き」
「一学期のドリルも全然終わってないから、夏休みの宿題が来る前に終わらせちゃおうかな」

なんて言っていました。

「人間はみんなと同じくらい出来たいんだよね〜」

だって。


私はビックリしました💦
普段、勉強しなくなっちゃったのに、夏休みの宿題はやるつもりなんだ〜💦

娘が自分でしっかり考えて、方針を決めています。(その通りになるかどうかは分からないけど)


娘が、勉強する気になる為に、私が重要だと思っていることは、「休憩」と「遊び」の時間です。

普通だったら、「やることやってから休みなさい、遊びなさい」って言うと思います。

私も長女には、そう言っていました。

でも、私は自分自身が、
「休むこと」「遊ぶこと」など、楽しいことを優先してみたら、ものすごく「やる気」が出てくる経験をしました。

例えば、非常に楽しい一日を過ごしたら、
「よーし、明日も頑張るぞ!!」と、得体のしれないやる気が出てきたことってありませんか?

私は体調が悪かったので、そこに行き着くまでに時間がかかりましたが、短いターンを繰り返しながら、どんどん動ける時間が増えてきました。

頑張れる時間が増えてきたんです。


なので、子供にもそれを応用してみて、
しっかり休む、たっぷり遊ぶ!
ということで心を満たしてみたら、

なんだか、いろんなやる気が出てきたみたいです。

そんな風にしたら、だらしない方向にどんどん進むだけでは?と心配になりますが、

人間って向上心を持って生まれてくるものなんですね。

今までの空虚な心を埋めるために、最初は時間がかかるかもしれませんが、温かく見守ってあげる、そんな夏休みになるといいな〜と思います。


*****


そして、是非、お母さん自身も、「しっかり休む一日」「目一杯好きなことに専念する一日」を作ってみてください。

実際に自分が体験してみると、納得できると思うんです。

それもお母さんが子育てする上での、大事な仕事だと思います。

大きな子なら、お互いに「今日は自由に過ごそう!」と、干渉しない日を作ってみてください。

小さいお子さんの場合は、お父さんに協力してもらいましょう。(ご実家などでも可)

お父さんが5回自由な日をゲットしたら、
ママも一日ゲット!

くらいの感覚なら、快諾してもらえるのではないでしょうか??

もちろん、最初は不公平感もあると思いますが、そこはぐっと我慢して、まずは一日ゲットすることを目標にしてみましょ^_^

ママ自身が充実した一日を過ごすと、きっとリフレッシュできて、そしてパパの自由な時間の意味も尊重出来るようになってくると思います。

子供達がダラダラ過ごす夏休みも、必要なこと!と思えるようになってくると思います。


ストレスの多い世の中で、大人も子供も、誰にも干渉されない自由な時間は必要だと思います。

是非、夏休みに体験してみてください♪

養老孟司さんと考える これからの時代に必要な学びとは? を視聴しました

こんにちは!

うさカンです。

 


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この動画は少し長いのですが、特に後半の対談は興味深いお話だったので、学びについて考えたい方にはおすすめします。

 

この動画は2年前のものですが、ここで話されていた学校改革については、進んでいる感じがしません。

 

そう考えると、今、自分の子供が学校に通っていなくても、何も焦る必要がないように思えてきます。

 

むしろ、今の育て方のほうが、一番大切な学び続ける意欲を地で行ってるような気がします💦ほとんどほったらかしになっているのでね。

今の時代は、世の中が清潔になって、汚いものを排除して、どんどんオシャレにしていく、それは楽しく清々しく、私も少し前まで凝っていたことですが、人間の本質的なことを考えたら、どうでもよくなってきてしまいました😅

私が年齢を重ねた結果なのか、それとももっと楽しいこだわりたいことを見つけたからなのか、家事も育児もほどほどで満足できるようになりました。

いつまでも完璧を求めて、よりオシャレな空間を求めていたのに、なんだか不思議です。

 

でも養老先生の話を聞いて、もしかしたら雑多なものを受け入れられる自分に成長した証拠なのかもしれない、と思いました。

 

私にとっての近頃は、オシャレよりも学び続けるほうが、よっぽど楽しいです。

 

清潔で汚いものを排除していく社会が、人間の醜い部分も否定して排除して見えなくしていく…

そんな恐ろしいことに繋がっていたなんて、私には想像できていませんでした。

 

なんでこんなに窮屈な社会になったんだろう?

昔はなんでも名前や診断名がなくても、いろんな人を受け入れていたのは何故なんだろう?

それは、名前や診断名がないからこそ、いろんな人がいて当たり前、ちょっと変わった人なんて沢山いるし、という認識だったのでしょうか?

 

今は厳しい本人確認が必要な時代という話がありましたが、名前や診断名も確認事項として前提が必要で、それがないと優しさや配慮といったものが受けられない時代なんですね。

 

私たちは進化しているのか後退しているのか分からなくなってきました。

 

でも、現代の一番いいところは、こういう興味深い動画をいつでもYou Tubeで見られるところ♪

 

なんて便利なんだろう。

今は講演のオンライン化も増えて、もともと不自由で外出が困難だった人にも、平等に学ぶことが出来るのは、とても感謝です。

 

ただし、インプットが多すぎる!と養老先生に叱られそう😄💦

 

お散歩=小さな冒険も続けていこう!と思います。

なるべく自然へ・・・

 

*****

 

今、コロナ禍での日本では、学校をなるべく休校にしないように、と対策が進められています。学校で人と交流することが大事、学びを止めないことが大事、と言われて努力されている学校現場だと思います。

 

しかし、それを聞くと、我が子が学校に行っていない私は少し心配になったり焦ったりしています。

 

世間では、子供の時間や青春は「今しか出来ないことだから、奪ったら可哀想」と思われていると思います。

 

私も我が子が具合悪くなってから、ずっと可哀想だと思っていました。

だけど、その気持ちとは別に、

「取り返せないことなんてあるのだろうか?」とも考えます。

 

勉強だって人間関係だって、何才になっても学べるし、学び続けるべきことだと思います。

ずっと皆勤で学校に通えば、素晴らしい人間が出来上がるのか?というと、それだけではないと思うんです。

 

毎日頑張って学校に通うことも偉いけど、学校に通わずに「好き」を追求する時間を持つことも悪くない育て方なんじゃないかな、養老先生の話を聞いて、ますますそう思えるようになりました。

きっと娘はコロナが怖くて、ステイホームが一番安心な訳だし、

今、たくさんの時間と情報の中から、

「好きなこと」を見つけて、

何を勉強していこうかな、

どんな将来にしようかな、

と自然に、知らないうちに考えているのかもしれません。

道筋が決まったら、あとはそれに向かって進むようになるでしょう。

普通の子供達の育ち方とは順番が逆だけど、それが悪い訳ではないし、いつでもなんでも取り返すことは出来ると思います。

 

大人になってから、趣味が充実して、サークル活動のように第二の青春を楽しむことも出来るでしょう。

 

今が苦しい子供達も、きっと素敵な将来が待っている!!

そのことを信じて欲しいな、と思いました。

 

時代の変化が激しくて、ついついお年寄りの話がうざったく思われがちですが、

こうやって私達の知らない時代の話から、学べること、考えることは沢山あるな〜と思いました。

 

 

 

 

インクルーシブ教育は何がいいの?

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

こんにちは!
うさカンです。

私は1本の電話をきっかけに、インクルーシブってなんだろう?と考えはじめることになりました。

たぶんその頃は、インクルーシブって言葉は知らなかったと思います。
多様性という言葉を使ったこともなかったような気がします。


ある3月初旬の夕方、学校から電話がかかってきました。

私の長女は5年生で、とても体調が悪くなっていました。当時は病名は分からなかったけど、児童精神科のドクターから、ドクターストップがかかって、「完全不登校」をはじめたばかりでした。


娘は小学校4年生までは、楽しく学校に通っていました。(もちろん日によって、毎日楽しいだけじゃなかったとは思いますが💦)

5年生になり、給食の完食指導がきっかけで、体調が悪くなったり、良くなったりを繰り返していました。

元気な日は、1学年上のお友達と登校し、朝の時間に6年生のお友達と鬼ごっこをして遊んでいたと聞いていました。

娘には6年生の仲良しのお友達が数人いたので、「卒業式には出席したい!」と言いました。

娘の学校では、5年生が在校生代表として全員卒業式に出ることになっていて、娘はずっと楽しみにしていました。

それまで、学校に行けたり行けなかったりしていた娘が、自分で出席したいと決めたことに、私は驚いたけど、とても嬉しかったです。


*****

それで、その学校からの電話で、私は娘の意志を伝えました。

すると、学校からのお返事は、出席させられません、というものでした。

理由は、
5年生が笛の演奏で卒業式を飾るため、みんな必死で練習していて、笛を吹けない子は出席させられない、ということでした。

また、娘は卒業式での呼びかけを覚えていない為、マスクをして出席したいと言いました。(コロナ以前の話です)

すると、マスクは禁止です、マスクをするほど具合が悪い人は出席出来ません、ということでした。

小学校の卒業式は、幼稚園や保育園のレベルじゃないんですよ、来賓も来るし厳かなんです、と言われました。


私は、せっかくの機会なので、保護者席でもいいので出席出来ませんか?と聞いてみました。

保護者は、卒業生の弟妹を連れてきてはいけない決まりなので、子供の席は用意出来ませんと言われました。

じゃあ、ドアの影から覗いて見ることは出来ませんか?と聞いてみましたが駄目でした。


*****

私はもちろんふざけていたのではなく、
娘がお友達の卒業をお祝いしたいという気持ちを大切にしたかっただけです。

こうなったら、トップの校長先生に直談判するしかないかな、とも思ったのですが、

直接現場を指導する先生にウェルカムな雰囲気がないのなら、娘が行っても傷つくだけだろう、と思って諦める選択をしました。

その代わりに、6年生の仲良しのお友達をうちに呼んで、お祝いパーティーをしようよ、と娘に提案し、娘も喜んで部屋の飾り付けをしました。

結局10人くらいのお友達が集まって楽しんでくれましたが、私立に進学するお友達はどうしても都合がつかなくて、会えないまま終わったし、思い出の学校で写真を撮ったり、晴れ姿をみることが出来なかったので、残念だったと思います。


*****

私が、この電話をきっかけに思ったことは、

うちの娘は、学校に行くことを喜ばれていないんだな、ということでした。

卒業式は、来賓から見て、立派な式を作ることが重要なのでしょうか。

たったひとりの子供の思いなんて、どうでもいいことなのでしょうか。

誰の為の、何の為の卒業式なんだろう?と考えました。

そして、選抜ではないのに、出来ないからと言って排除していいのだろうか?と思いました。
学年全員が出席できる式に席を用意してもらえなかった子の絶望感を考えてみたことはあるのでしょうか。

自分の存在そのものを否定されたような気がしてしまうのが分からないでしょうか。

税金で作った、入学試験もない、公立の小学校です。


*****

きっと私は、はじめからこの地域の学校に入れてもらえなかったら、気付かなかったと思います。

でも、4年生までは楽しく通っていた学校に、子供の具合が悪くなって出来ないことが出たら、入れてもらえなくなってしまったという事実に、とてもショックを受けました。

そして、これをきっかけに、差別について考えはじめました。

いくら親でも、教師でも、出来る子と出来ない子に優劣をつけてもいいのだろうか。

同じ人間同士で、命の選別に繋がるようなことをしてもいいのだろうか?

これは、された側の人にしか、なかなか理解出来ないかもしれません。

この先生が、悪気があったとか、性格に問題があった、とかではなく、
学校全体が、地域全体が、こういうことが当たり前でここまで進んできた、ということです。

それは、この学校には支援級がなかったことも要因のひとつかもしれません。

たぶんこの地域で支援級を選びたいお子さんは、支援級のある近くの別の学校に通われているんだと思います。

娘の学校には、普通級の子供しかいません。

運動会でも様々な学校行事でも、はみ出す子はいません。
先生も子供も、頑張れば一定ラインまで出来るはずだと信じて、出来ない子は努力が足りないと言われる環境なわけです。

そんな訳で、出来る子しかいないのが当たり前だと、みんなが思っていますから、ママ友の反応も、うちの娘が卒業式に出られないのはしょうがないんじゃない?先生方が一生懸命作っている式なんだから…

そういう認識でした。
学校は地域のカラーを育てるんだなあ、と実感した出来事でした。


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もし、当時の主役の6年生の先生や子供達に、
「具合が悪くて練習出来なかった子がいるんだけど、卒業式に出席したら迷惑?」と聞いてみたら、みんな何と答えたのかしら。

私の娘ひとりの力で、式を台無しにすることなんて出来ないと思うし、そんなに重要なことだったのでしょうか?

私は、娘が主役として出席した、翌年の卒業式に出席して、よく観察してきました。

保護者は6年生の親しか出席していないので、みんな我が子に夢中です。

5年生をよく見ている親なんていませんでした。

去年、あそこまで娘を否定する必要があったのか?5年生は遠くてよく見えないし、全体的に笛の演奏は素晴らしかったけど、ひとりひとりの音色は分かりませんでした。


このことをきっかけに、娘のメンタルは大きく崩れました。体調もどん底になりました。
たぶんストレスから起立性調節障害の症状が悪化したのだと思います。

私にとっては、流産したあとに授かった大事な命の娘なので、とにかく存在を大事に大事に育てました。

社会から受けた傷は深かったけど、随分自己肯定感も育ってきました。本当に時間がかかりました。

こんなことは、もう誰にも経験させたくない!と思って、私は随分学んできました。

インクルーシブを全く知らなかった私が、インクルーシブの効果を訴えています。


もしあの時、子供達が
「自分の意志とは関係なく、出来ない人は排除されますよ」という教育を知っていたら、

社会って恐ろしいところだな、と思って卒業していったと思いませんか?

怪我も病気も障害も自己責任、出来ないんだから楽しめなくて当然でしょ、
みんな老人になって出来ないことが増えたら、誰にも認められないんだよ、

そういう社会を作っていきましょう、と小学校のメッセージがあったら、世の中は緊張感でいっぱいになるでしょう。


それよりも、困ったことは助け合う、出来ないことには手を貸す、全ての人間は完璧ではない、誰にでも得手不得手はあり、努力しても難しいことはあるんだよ、

それと同時に、何かが不自由な人にも魅力や特技があるんだよ、社会の大切な一員だよ、

と知っていたら、大人になるのも怖くないし、自分のやりたいこと、出来ることを出来る範囲で頑張って成長していく応援になると思いませんか?

いろんな人がいることが当たり前の社会と誰もが認識する為に、インクルーシブ教育はとても大事だ、と私は思っています。

平等な選択肢がある上で、あなたが何を選ぶのか、そういう自由も保証されていて欲しいと思っています。