こんにちは!
うさカンです。
今日は少人数の学校の日だったのですが、昨日の夜の次女はなんだか憂鬱そうでした。
一緒にお風呂に入りながら、
「日直面倒くさいんだよね…」
と言ってきました。
そうだよね〜、面倒くさいよね、
と同意しながら、私にはピンときました。
本来の娘の言いたいことは、
面倒くさいではなく、やりたくないのです。
面倒くさいからではなく、人前で話すことや目立つことが苦手なんです。
それを、面倒くさいって言葉にしてしまうと、誤解されてしまいます。
面倒くさいって言っても、みんなも面倒くさいけど頑張ってるじゃない、って言われそう。
本当は面倒くさいってことじゃないのに、何故かそういう言い方をする我が子たち。
外では、苦手とか、嫌だとか、出来ないとか、そういうことは言わないんですよね。
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夕飯のとき、
長女に、日直って好きだった?
って聞いてみました。
そしたら、大嫌いだったと言います。
初耳だ!
長女は、日直が嫌でズル休みしたことあるけど、そしたら次の日に順番が戻ってきて、結局やらされた、最悪だよって。
二人ペアで日直やるっていうから、
じゃなるべく相手の子に頼れば?
って言ったら、
一人ずつ等分にセリフを分けてくる先生がいた、最悪って。
そんなに嫌いだったのに、全然私は知りませんでした。
きっと、お友達とそういう話題を共有することで、気持ちが収まったり、または、嫌いなことより楽しいことが上回っていたりしたんでしょうね。
1つのことが苦手でも、それが原因で不登校になるわけではないんだな〜と思いました。
学校にいけなくなる理由は複合的で、環境によって感じ方も変わったりするんでしょうね。
振り返ってみれば、私は子供のころに日直が嫌いだったという記憶はありません。
私が何も考えないぼーっとしたタイプの子供だったのかもしれないし、ピアノやバレエの発表会が好きな子供だったから、ちょっとしたイベントとして日直で目立つことも楽しんでいたのかもしれません。
なにしろ私は放送委員会でしたから。
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お姉ちゃんのエピソードを聞いて、
日直が苦手なのは自分だけじゃないと知った次女。
少し心の負担が軽くなったようです。
私は、
せっかくいい居場所が見つかったんだから、明日先生に相談してみようね。嫌だと思って通うのは残念だもんね、と話して寝ました。
今朝はいやいや通うという感じでもなく行けました。
そして登校してから先生に話したら、
そんなふうに思わせちゃってごめんね、
ここはなんでも自分の気持ちをはっきり言っていいのよ、
先生が日直やることもあるのよ、
と教えてくれました。
特殊な学校でありがたいことです!
今日も楽しかったと言って帰宅することが出来ました☺️
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ところで、日直ってなんのためにあるのでしょうか?今回のことで、ふと考えてしまいました。
全員必ずやる必要があることなのかしら?
このシステムは、日本以外の国では、どんな感じですか?もしよかったら、教えてください。
大人になったら、プレゼンが得意ならそういう職業につけばいいし、司会が得意なら司会業。
苦手なことが全くない仕事ってないのかもしれないけれど、でも選択の自由はある。
子供の日直についても、やりたい子供、出来る子供だけやるんでもいいのでは?と思いました。
不公平だと言う人もいるかもしれないけど、別に得意を生かして生きることは悪いことじゃないと思います。
なんとなく、ルールに縛られる学校の姿が見えたような気がしました。