こんにちは!
うさカンです。
今日は私が考えている「お勉強」について、(たぶん)学校では教えてくれないことを書いてみたいと思います。
あくまでも私の考え方として読んでみてください。参考になるかもしれません😀
我が家の次女は、小学一年生の時から学校に登校するのが難しく、クラスに入ることが出来ませんでした。
その頃の様子は過去記事に山ほど書いてきました😅💦
それでね、今振り返ってみてよかったと思うことがあります。
それは、学校へ無理矢理登校することを頑張るよりも、おうちで「ひらがな」のプリントを頑張ったことが、とてもよかったなあ、と思っているんです。
これは当時は気付かずやったことなんですが、今となっては正解だったなあ、と思います。
我が家の場合は、学校が遠いので、登下校だけでも大変でした。もし学校まで5分、10分の距離だったら、また選択は違っていたかもしれません。
娘が落ち着いて学校のプリントをこなせる場所はどこなんだ?と考えた時、我が家の場合は「おうちで」だったんです。
娘は幼稚園の時に、読み書きは出来ていましたが、私が放置してたせいで、かなり自己流でした。娘が一生懸命書いた文が読めない!!
って感じだったので、ひらがなのプリントは頑張って取り組みました。
先生もとても細かい方だったので、たぶん私の字もキレイになりました😝
今では娘の字はとても読みやすくなりました。
そして今10才の娘は、かなり自我が芽生えていて、もう親子でマンツーマンは厳しくなっています。
これは成長の証だと思って、とても喜ばしいことだと思います。
とりあえず読み書きさえできれば、あとは自分で学んでいけるので、私に不安はありません。
親子で勉強できるのは、個人差もありつつも、低学年までかな〜?と思います。
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ところで、娘の場合はこのようにサポートしましたが、本当にこれがみんなに当てはまる話かというと、私は違うと思っています。
確かに、日本の識字率はとても高くて、日本の学校教育のおかげだと言われていますが、そもそも日本では日本語しか流通していないので、一律の言語習得がしやすい環境なのではないかと私は思います。
そんな中で、もちろん読み書きできるのはとても便利だし基本ですが、でも世の中には目が見えない人も、耳が聞こえない人も生きています。
読み書きが出来ないと生きていけない訳ではありません。
今は音声入力だとか、読み上げ機能だとか、デジタルに頼ればできることが増えています。
子供によっては、能力や知能やいろんな差があることも心得ておかなければいけないと思います。
勉強を嫌いにならないように、ツールを選ぶことも大切なんだと思います。
ほとんどの学校の学びはみんな同じ、横並び方式で、自分の能力に合わせて学ぶことはまだ出来ません。
それで苦手なことばかり押し付けられていたら、本来得意なことを見失う可能性があります。
みんなと同じように出来ないことを言われ続けると、自己肯定感が落ちてしまいます。
心も体も元気に育つ為に、本当に必要なことは何なのか、少し冷静に考えてみると、親の気持ちも楽になるかな?と思います。
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私は基本的に、解剖学者の養老孟司さんの言葉を信じています。
子供は小学生のうちは遊んでいればいい、ということをおっしゃっていました。
私も娘を見ていると、毎日遊んでいるようで、毎日ものすごく学んでいる。いきいきと生きてる。
教科書も先生もないから、ほんと自力で生きてるな~と感心します。
きっともし何かの災害があっても、自分なりに生きていく強さがあるんじゃないかな〜?と思います。
学校へ行けないと言うと、弱っちく感じるけど、見てると芯はとても強く成長しているように思います。
もし学校へ通っていたら、きっと生活に必要なことをまんべんなく教えてもらえるでしょう。
でも娘の場合は、生活の中から自然と理科も社会も触れている気がします。
先にスキルを身につけるか、必要になった時に知るのか、順番は違いますが、けっこう生活は成り立っています。
もちろん、全部を知ることはできないと思います。凸凹だと思います。
でも学校に行ってても凸凹な子はいるでしょうし、少なくとも勉強が嫌いにはなりません。
だから、娘には全く不安がありません。
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私は次の本を書こうと思っていて、ただいまのんびりと勉強中です。
次はもう少ししっかり勉強しようと思っています。
今読んでる本は、地政学と気象学😂
子供の時には興味なかったことが、やっとやる気になりました💦
人間って面白いですね。
何才になっても、やる気になれば学べるし、
やる気がなければいくらやってもダメだった過去の私…
そう考えると、適切な時に、学びたいことを生涯学習していけば、人生にその都度必要だと思う知恵はゲットできるし、能力の差があってもいいような気がします。
何かに取り組むことが楽しいって思えたら、楽しく幸せな人生なんじゃないかな。
きっとその先に、自分という存在が、誰かの苦手を助けたり、誰かの役に立つ経験につながっていくんじゃないかな、と思います。
勉強は学歴のためじゃない。
こんな風に考えているので、私は子供が不登校でも、学習の不安はありません。
社会の基準に合わせるのではなく、自分の能力でできることを見つけて生きていきたいと思っています。