usagi-company-lab’s blog

我が家の不登校日記です。最近は教育と社会問題に興味があります。どうぞよろしくおねがいします♪

不登校とギフテッド

今週のお題「ラジオ」

 

こんにちは!

うさカンです。

 

今日はギフテッドについての本を読んで思ったことを

書きたいと思います😊

 

 

私は娘が不登校になってから、様々な本を読んできました。

最初の頃(9年くらい前)は、こんなに不登校の子どもは多くなくて

情報も溢れていませんでした。

学校での面談、病院の受診、カウンセラーとの対話…

いったい何が正しいのか、どう考えて子育てしていけばいいのか

全然わかりませんでした。

なので紐解くように、関心のあることをひとつひとつ潰していったような感じです。

 

しばらくはこのブログに読んだ本を記録していました。

今のメインはインスタグラムのほうになっています。

 

ラジオ配信もしています。

よかったら聴きに来てね♪

 

stand.fm

 

*****

さて、それはいいとして

今回感じたことは、

「障害は障害者にあるのではなく社会にある」

と聞いたことがあったと思うのですが、

まさにそんな風に思いました。

 

我が家の次女は小学6年生になりましたが、

1年生から学校のクラスには行っていません。

母子登校はしたものの、慣れなかったのでやめました。

コロナのこともあり、ずっとおうちでアクティブラーニング(ホームスクール)

しています。

 

そんな次女なのですが、

もしかしたらこの子ギフテッド?と思ったことが何度かあります。

天才ではないんだけど、なんというかちょっと変わった不思議ちゃん?

と思うことがあって…。

 

それで夫とも、もしかしたらこの子は大学行くかもね?

なんて話したこともあるんですよね。

小学校には通ってないけど、なんとなく学問が好きそうなんです。

 

と言っても、学習のようなことは全くしてなくて、

ただ毎日遊んで暮らしてるだけ。

だいたいYouTubeとかゲーム、ぬいぐるみとか積み木💦

気ままにしてるだけなのですが、

私は本人の意欲を大切にしたいので、あえて見守っているだけです。

それでも娘は字も読めるし、計算もなんとなく分かる。

 

むしろ小さい頃、コツコツと計算問題をやることをとても嫌がったんです。

なんで分かることを何度もやらなきゃいけないの?めんどくさい!!

という感じ。

普通だったらドリルも宿題もきちんとやらせるものだと思いますが、

私は娘が算数嫌いになったらもったいないと思ったので

一切やめました。

別にやらせてみても全問正解ではないし、数字が好きでずっとやってるってこともなかったけど、

一生懸命やらなくても八割くらいはできるので、それでいいと思ったんです。

なんというか…

教えなくても算数の原理を脳が自然に理解している。生活から勝手に習得している。

 

それが、天才ではなくアクティブラーニングの成果なんだと思います。

人間って必要なことは遊びながら身につけていくのよね。

(逆に生活に使わないことは知らない凸凹さはあります)

 

*****

娘の学習を放置して好きなようにYouTubeを見せていたら

小3くらいで相対性理論とかハマりはじめました。

なんじゃそりゃ?と親が知らないことを

「面白い」と思ったみたい🤣

でも長くは続かず、興味は変わっていきました。

娘にとっては「難しい」という尺度ではなく、

「興味あること」が知りたいことなんだと思います。

主体性しかありません。

 

私はきっと本人が知りたいことを続けていって、

もっと知りたいと思えば、足りない勉強を自分で補っていくんじゃないかと

思っています。

こんなに毎日、退屈せずに生きられるなんて、

学校へ行かずに暇つぶしできるなんて、

そこは天才なのかもしれません💦

 

*****

 

ところで最初の話に戻りますが、

我が家の娘は何者なのか分かりません。

いわゆるHSCだと思っていますが、

なにか検査をした訳ではなく、学校という枠で他の子と比較もしてないので

障害なのか特性なのかノーマルなのか分かりません。

そもそもノーマルとは?って感じですけど。

 

はじめから不登校ならば、

何故不登校なのか原因が分かりません。

IQの検査もしたことがないので、いいのか悪いのか普通なのか平均なのか

全く分かりません。

 

でも今のところ私の目には特に不自由さはなく、

困りごとを大きく抱えているようには思いません。

もちろん思春期だし、思考が深いタイプなので

いろいろありますが…。

 

こう考えると、

やっぱり人々の生きづらさや困難感は

社会の中で作られるんだな〜と思います。

自分が自分らしく自分のレベルで自由な環境でいられたら、

そして苦手なことは助けてもらえる環境にあれば

障害特性を診断するテストは必要ないのかも?なんて思いました。

 

自分の生きづらさを抱えて、自責や他責にならないように理由を知りたいとか、

適切な配慮が欲しい場合は、診断が役立つと思いますが、

 

普通の枠をコンパクトに効率良い社会を作るために

どんどん診断をするなんて、なんかヘンなのでは?

と思いました。

ギフテッドの方たちの本当の苦しみは

社会適合が難しいように出来ている社会システムなのではないか?

 

*****

また、例えば足が速い人が全員オリンピック選手にならなきゃいけないと

決められているわけではないように、

どんな能力を持っていても、生き方は自由に選べる必要があると思います。

 

ギフテッド、IQが高いからといって、国のため(国防のため)に生きなきゃいけない訳ではなく、そのための教育ならいらない!

 

本当にその人が学びたいことが、自由に選べることが大切だと思います。

 

そう、どんな人にとっても

主体性を認められて、自分で人生の選択ができるのなら、

障害や病気の有無にかかわらず

幸せを感じて生きられるのではないか?と思います。

 

学校も、このような視点で運営されていたら

もう少し不登校は減るだろうし、

娘にも居場所ができていいのにな〜

と思いました。