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我が家の不登校日記です。最近は教育と社会問題に興味があります。どうぞよろしくおねがいします♪

脳の多様性

こんにちは!
うさカンです。

先日、私は心療内科に行ってきました。
私のドクターは女医さんで、いつも更年期世代の私の心身を診てくれています。

私は得体の知れない体の変化には不安になってしまうタイプで、きちんと理由を解説してもらえると落ち着くことが出来ます。

この先生のことはとても信頼しているので、出逢えてよかったです。

今回は、娘(次女)の話をしてきました。

娘は、緊急事態宣言が解除されても、どこへも行く様子がありません。相変わらずコロナウイルスが怖くて、人と会いたくないそうです。

私は、娘の気持ちに寄り添いたいと思っているし、家庭にいても充分成長が分かるし、この状態が永遠に続くわけはないと思っています。

ところが、緊急事態宣言が解除されるきっかけで、やっぱり学校とかカウンセラーさんは、何か変わるかな?一歩踏み出せそうかな?と思っていることを感じます。

そのように直接言われた訳ではなく、大きなプレッシャーをかけてくる感じは全くないけれど、私はどうしても、そういう空気を感じてしまうのです。これはHSPの特徴だと思います。

相手の返事のトーンや、細かい言葉遣いが、相手も何気なく言ってるだけだし、悪気もないのに、何故かテレパシーのように感じてしまいます。

きっと普通の人が聞いたら、考えすぎとか、被害妄想とか言われるかもしれません。

でも、知りたくもないこういう情報をキャッチしてしまう、それを気にしてしまう自分がいます。

それをそのままドクターに伝えたら、なんと全ての気持ちを分かってくれました。心療内科や精神科のドクターは、傾聴するのが当たり前だと思うかもしれませんが、ここでもHSPの人間は、そのドクターの裏側が見えてしまいます。ちょっとした相槌や、笑うタイミングなど、たぶん普通の人がスルーするようなことが、気になってしまいます。

でも、私の主治医には、そういった違和感を感じたことが一度もありません。もしかしたらこのドクターもHSPなのかもしれません。

そしてドクターは、娘はきっと本当に怖いんだと思いますよ、無理に動かしてトラウマになっても困るから、もう少しゆっくり見守ってあげてくださいね、とおっしゃいました。

学校の先生に、そんなにサービスしなくてもいいですよって😃💦

どうしても、先生が一生懸命なのが分かると、何か応えたいと思って、でも娘が期待に添えないと、板挟み感があるのです。

そういう親としての複雑な気持ちを分かってくださるので、ここに通う意味があるな〜と思っています。

私の場合は、自分がこれでイイと思ってやっていることでも、こうやって「それでいいよ」とはっきり言ってくれる人がいると、とても安心します。味方が一人いれば、とても安心だし自信を持って生きられます。

きっと我が家の娘たちも同じタイプだと思います。だから私は全力で、その味方の一人になりたい!と思っています。

たぶん、私もHSPだから、気持ちはよく分かるんだと思います。(だからといって、いつも共感ばかり出来ませんが💦)


*****

さて、最近、私はシンガーソングライターの祐日さんの17ライブをよく聴いています。家事をしながらとか、娘と話しながら聴いていることも多く、トークをゆっくり聴けないことも多いのですが、

でも祐日さんはトークも魅力的です。

すごく話題が豊富で、おしゃべりも上手だし、話し方もとても落ち着いていて心地よいです。

私は、祐日さんのいろんなエピソードを聴いていると、なんとなく娘の将来が大丈夫って思えます。祐日さんは立派な大人だけど、年齢で言えば私と娘の間。

そういう人の話を聴く機会って、子育て中にはなかなかないと思うので、出逢えてラッキーだったな、と思います🎶

祐日さんが大人になっても頑張っている姿を見ると、とても安心出来ます。娘の将来もゆっくり見てあげようと思えます。


祐日さんは、不登校起立性調節障害を経験されて大人になりました。そういう方が、こうして人を感動させる音楽を作り、人を励ましている、こんな素敵な社会貢献をされている事実があります。

不登校というと、学校に通うことが嫌だからドロップアウトした、というイメージがあると思います。子供が嫌だと言うから、親が子供の言うことを聴く、というと、親が甘やかしているという感覚になるかもしれません。

やりたくないことは、全部子供の言いなりでやらせなくてもいいのか?と言われてしまうと思います。

結局、不登校を経験したことがない人には分からないのですね。

不登校は、学校から逃げて、楽で簡単で、楽しい人生だと思いますか?

不登校の子供はデメリットがなにもない中で好きなように生きて勝手きままだと思いますか?

実はそんなことはないんですよ。

それは祐日さんを見ればよく分かります。

いろいろと葛藤してきた中で、自分の人生の目標を決めて、「好きな道」で行こう!としても、それは平坦で楽チンではありません!!

好きなことだからこそ、必死に頑張ることも沢山あるし、トントン拍子ではなかったと思います。

好きなことしかしない人生に、努力も我慢もない、なんて、知らない人が言うことです。

不登校という道を選んでも、登校という道を選んでも、人生にはいろいろあって、甘いだけの道なんてありません。

それを大抵の大人は知りません。


体が不自由な人は、見た目で分かりやすいですが、脳の多様性は全く見ることが出来ません。

ですから、ただ努力や我慢が足りないと言われてしまいます。

でも、体が不自由な方の為に配慮や支援があるように、脳の多様性にも対応が出来ればいいのに…と思います。

大多数の人が考えること、感じることが当たり前、普通だから、と社会や学校のシステムは出来ています。

当たり前、普通と違う考え方、感じ方をする人は、切り捨てられていいのかなあ?

手足が不自由な方を切り捨てて、または自助努力のみに頼っていいのかなあ。

みんな同じ人間だし、命の重さ。そして誰しもそんな不自由を経験する可能性はあります。

今の社会や学校には、そういう方を思う余裕はないかもしれないけれど、せめて否定はせず、見守ってほしいと思います。

いろんな事情がある人も、きっとそれなりに一生懸命頑張っていて、やっと生きているかもしれません。


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自律神経を整えるストレッチ

こんにちは!
うさカンです。

なーんか読んだことある本だなあ、と思ったら、やっぱり過去に記録がありました。

だけど、今読むと、なにかまた違う知識が入ってきて、なるほどね、と思いました。

特に今回の新しい発見は、(本当は過去に読んでるから新しくないけど忘れていた)

まず、脳脊髄液についてでした。脳脊髄液は、脊柱にある神経に作用するそうです。
脳脊髄液の流れが悪くなると、神経の働きも悪くなってしまうようです。そうすると、神経と繋がっている臓器の働きも悪くなるという悪影響になるそうです。

脳脊髄液の流れを良くするためには、深い呼吸、背中や肩の筋肉を柔らかく保つ、脊柱や仙骨に歪みがないようにバランスを整えておくことが大事なのだということです。

深く大きい呼吸は、脳脊髄液の流れを良くするとともに、神経や内臓の働きを活性化させ、心身のリラックス効果もあるそうです。

それができるようになると、「今、リラックスしているのだな」と脳が条件反射的に反応するそうです。

深い呼吸は、ヨガや瞑想、マインドフルネスなど、いろいろありますが、私は読書する時にはなるべく深呼吸しながら読むようにしています。

きっと、本を読むことはリラックスの時間だよ〜と暗示をかけることができているのかもしれません😃

*****

それから、セロトニンを増やすために、やっぱり朝散歩がいいと書いてありました。

私は朝は室内で日の光を浴びて、散歩は夕方に出る方式にしていますが、散歩の効果が整体の観点からみても、いいそうなんです。

人間は二足歩行の動物なので、歩くことにより体調が整うようにできているのだそうです。

歩くことは、体の歪みを整える効果や、筋力を衰えさせない効果、硬くなった筋肉を柔らかくする効果もあるそうです。

また、内臓が刺激されて働きがよくなるとも言われているそうです。

筋肉が硬くなると、中(内臓)の働きも悪くなるそうなので、ほぐすことが大切みたいだし、内臓が正常に働いている時は、副交感神経が優位な時なので、体がリラックスするために良いことばかりですね!

問題は、散歩に出るほどの元気があるかどうか…です。

私は散歩をする効果を実感できるから、ほそぼそと続いていますが、最初の外に出るきっかけがないと、なかなか難しいものです。

ほんと、頭痛やめまいなどの症状があっても、外を5分歩くことからはじめられると、だんだん効果が出てくると思うのですが。

*****

また本書には、メンタルについても書いてありました。この著者の方は、ご自分がうつ病を経験されて、そして自律神経の整体を学び、開業されたそうなので、メンタルのこともすごく分かりやすく書いてありました。

そして、これを読んで私が思ったことは、
悩みはだいたいAパターンかBパターンになるんじゃないかな、ということです。
だいたいは、「やる」または「やらない」という間でどうしようか〜と悩むことが多いと思います。

迷った時には、両方のパターンのメリット、デメリットを考えて、書き出してみると整理できるかな、と思います。

そして、どちらか選んでも、やっぱり手続きが煩わしくて、違うパターンのほうがいいな、とか、

この部分はあまり気にしないようにして、もう少し頑張ってみよう、とか、一歩踏み出しても途中で変更は可能だと思います。

そんな中で、最終的な判断ができたら、「解決」につながるのかな、と思います。

もし動き出したいと思ったら、パターンを考えてみてください。何事にもメリットとデメリットがあるものですが、その中で自分が何を選ぶか、何を重要だと思うか、これだけは絶対嫌だと思うか、など、思考の整理ができたらいいですね。

完璧なことなんて、なかなかないから迷うけど、スルーできることはスルーして、そして自由に挑戦してみると、心がどんどん柔軟になってくると思います。

ちょっと抽象的な話になってしまいました☺️💦

そもそも、体が元気になってこないと、動けないし、選択することも難しいですね。

体(筋肉)が柔軟になると、体調が良くなってくるそうなので、ストレッチからやってみてください。

私も本を読みながら、背伸びしたりアキレス腱を伸ばしたり、くねくねしながら読む変な人やってます😅

気持ちいいですよ🎶


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9月に入り、なぜだか長女の吐き気がない日が出てきました。
考えてみたら、昨年も秋が一番調子がよかった気がする。喘息だけは秋は危険だけど。

娘の体は、秋が一番マシなのかな?

そうなってくると、途端に娘のケアをサボりたくなる私。

あんなに辛そうだった時には、私も頑張っていたのですが、最近は私のほうが疲れ気味なので、パスしたり短時間のマッサージになっています。

相変わらず怠い、疲れたと言ってるので、
自分でストレッチしてごらん、と話しましたが、
そんな元気ない〜!とのことです。

でも、母は右肩下がりで衰えていくので、自分で自分をケアする方法を身につけていかないとね😅

まあ、ゆっくり頑張って!!

逆に、私は衰えないように、マッサージしたり、散歩したりと、できることを頑張っています💦

↓昨日、私の最近の体調の原因が分かりました。

「親ガチャ」と儒教文化

こんにちは!
うさカンです。

昨日も書きました。「親ガチャ」という言葉。
いろんな意見がありますが、私は使っていい言葉だと思います。

だって若者がそう思っているのだから、それを若者言葉で表現しているだけだと思うのです。

その意味は、きっと「苦しい、助けて」の気持ちかもしれません。大人が子供に言わせている言葉かとも思うので、私は謙虚に受け止めたい。

「親ガチャ」という言葉を禁止したら、若者が「苦しい、助けて」という言葉を言えなくなってしまうかもしれない。そのほうが怖いと思います。


*****

日本には、古来から儒教文化が根付いています。

年長者を敬うことが大切、親を大切にしよう、

だから、その観点から見れば、「親ガチャ」なんて言葉はとんでもない、という話になると思います。

でも、よく考えてみたら、この思想は危険だと思いませんか?下手したらパワハラです。

とにかくどんな年長者も親も、無条件に逆らってはいけない、と勘違いしてしまいます。

本当は、社会的に体の弱ったお年寄りは大切にしようね、ということなら分かります。そこの理解が難しいと思います。

私は、子育てで○○しなさい、というのが嫌いです。

それは、とても短絡的な子育てだと思うのです。

私は子育ては、充分に時間をかけて、子供が意味を理解して自発的にやるように育てることが大事だと思っています。

勉強してほしいから、「勉強しなさい」では、大人のほうに芸がないと思います💦

勉強が楽しいと知って、勉強が自分のためになると感じて、それでやっと勉強しだした、なんていったら、めっちゃ時間がかかる子育てです。

でも、○○しなさい、と言って子供を動かすのは、コマンドを入力してコンピューターを動かしたり、リモコンのスイッチでロボットを動かすようで、人間育てではないと思います。

そして、それでは思い通りに子供が動かないと、そんなはずはない、と何度も命令するだけで、子育てがちっとも面白くないと思います。

時間をかけて、ゆっくり育てる余裕が、なかなか社会にはないのでしょうが、それでは子育ての試行錯誤を楽しむことが出来ません。

子育てが煩わしいものになってしまって残念です。


*****

私は、年長者や親を敬いなさい、と育てなくても、子供が自然と親に感謝するように育てればいいと思います。そうしなければいけないと思っています。

「まごころ」込めて、子供を大切に育てていけば、子供たちには自然と伝わり、親孝行したいと思うのではないでしょうか。

それが世代交代となり、子供たちが大人になった時に頑張る力になっていくのだと思います。

私は、そういう子育てを目指したいです。

もちろん、親も人間ですから、失敗もあるし悩むし、間違えることもあるでしょうが、「まごころ」を伝えていくことが大事だと思います。

日本人は愛情表現が苦手だと言われています。
お見合いばっかりだった結婚が、ほとんど恋愛結婚になってきたら、日本人の考え方も少しずつ変わってきていると思います。

男女の愛情表現が変われば、親子の愛情表現もそれなりに変わっていくでしょう。子育てだけが価値観が追いつかないのはおかしいですよね。

子供が求めていることが、時代とともに少し変わっていくのは、当たり前だと思うんです。


*****

今の時代は、みんなとても忙しいですよね。
親は共働きで、子供は学校、学童、塾、習い事。そして宿題、ごはん、お風呂、早寝早起き…

息つく暇もないくらい。

昔だって、家業があるお家はたくさんあったし、母親だって仕事をしていた人はたくさんいたと思うのです。

でも、そういう時に、子供はいい塩梅でほっとかれてたんでしょうね^_^
丁寧に子供を見る余裕はなかったと思います。

でも、現代は、核家族な上に、親が働いていても、子供もしっかり教育しなきゃいけない。

めちゃめちゃ忙しくて、親子共々ストレス社会ですね。

今の社会はそういう感じが普通だと思って生きてると思うけど、あなたの幸せはそれでオッケーですか?子供は満足していますか?

まずはそこから話し合い、子供の気持ちに傾聴し、子供が嫌だと思っていることを忖度なしに言える、自分の好きなように人生を生きる、そういうお手伝いを大人ができるといいと思います。

それはもちろん、親だけの仕事ではなく、「親ガチャ」も関係なく、社会みんなで子育てしていけたらいいのではないかなあ。

もう少し、子供に優しく、生きやすい社会になると、親も子もハッピーになると言われ続けていますが、実際にそうなるのは時間がかかりますね。

子育てと一緒だ!!

不登校から引きこもりにしない方法

こんにちは!
うさカンです。

最近、「親ガチャ」という言葉をよく聞きますが、我が家の若者代表の長女に、この言葉について聞いてみました。

娘は、自分は親ガチャにハズレなかったと言うので、お金がなくてもいいの?と聞いたら、

「毎日3食食べれるだけでありがたい」と言いました。

お寿司じゃなくても?と聞くと、「うん」だそうです。(お寿司大好きちゃん)

親ガチャというのは、もっと虐待とかに対して言う言葉だよ、と言っていました。


我が家の子供たちの親ガチャな部分と言えば、
長女はいろんなツールを買ってあげられないこと。
今の時代は、ハイスペックなツールがあれば、いろんな事に挑戦できる時代。

娘は自分の体調に合わせて作業をして、そこから金銭的に自立できる方法を模索してるようなので、せめてツールを買ってあげたいとは思います。

でも我が家では、お小遣いもあげてなくて、欲しいものは全てお年玉で工面してもらっています。金銭的な自由がないと、なるべくお金を使わないように過ごすので、引きこもりになりがち😓

そんなところは可哀想だなあ、と思います。


次女に関しては、ゲームの相手がいないこと。
私がゲーム苦手で嫌いなので、ゲーム好きな親だったらもっと楽しかったのにね、と思います。


*****

でも、結局は、本当の親ガチャというのは、経済格差、金銭的な問題、親の能力ではないような気がします。

お金があっても、なかなか細かいことに感謝できなくなれば、それは幸せとは言えないでしょうし、お金があれば、たくさん課金してゲーム依存になる、というようなことも聞いたことがあります。満足とは際限ないのかもしれません。
親が駄目なら乗り越えようとモチベーションになるかもしれません。

我が家の子供たちは、お金の使い方を子供のうちから身につけることができていて、きっと将来に役に立つと思うし、お金がないからこその工夫もよくできていて、発想が豊かになっていると思います。

教育にはお金がかかる世の中ですが、別に塾に行けなくても勉強方法はあるし、

例えば一度社会に出て、お金を貯めてから学校に行く人だっています。働きながら学ぶ人もいます。

やろうと思えば出来ることはたくさんあると思います。

(そういう世の中でないといけないと思います)

お金に余裕があって、いろんなツールや教育費用に困らなくても、使い方によっては宝の持ち腐れということもあるし、学歴があれば幸せになるとも限らない。

逆にいろんな物が手に入らないからこその工夫が、売れるものを産んだり、価値を想像するかもしれない。

環境にひねくれずに頑張ってほしいと思います。

もちろん最低限の3食の補償と安心して暮らせる住まいだけは確保できるような制度は必要ですが。


*****

それよりも深刻なのは、親の理解がない子供だと思います。

親の虐待、ネグレクトなど、家庭環境が普通じゃない場合、親ガチャに外れても救えるようなシステムは絶対必要だと思います。

また、そうでなくても、子供が親の所有物だと考えているような環境で育てられれば、やっぱり子供は苦しいと思います。

昔のような学歴だけの社会ではない今でも、子供の為を思って親の価値観を押し付けることは、教育虐待と言われたりします。

親に愛情がたっぷりあっても、子供が思う通りにならないことを受け入れられないのは、毒親とか言いますが、とても残念な結果になると思います。

これまでとは時代も常識も価値観も変わってきているのに、子育てのやり方だけがアップデートされないのは、本当に不幸だと思います。

この親の元に生まれてよかったと思ってもらえるように、親は子育てについて学ばなければいけない、と私は思っています。


こちらの本は、「起立性調節障害」について書かれた本なのですが、心療内科医の目線で、思春期の子供の身体の仕組みについて、とても分かりやすく書いてあります。

親が自分の価値観を押し付けないこと、
子供を信じていること、そしてそれを伝え続けること、
子供に生きがいを与えること、

これは、全ての子供に当てはまるし、引きこもりを防ぐ方法だと思います。

*****

ところで、引きこもりの定義は六ヶ月以上自宅にいること、コンビニくらいは出掛けるけど社会的なかかわりがないこと、ということだそうです。

だけど私は思春期の一時的な引きこもりは、全然問題ではないと思っています。

子供が赤ちゃんだった時を思い出すと、一人でできることはなく、後追いをしてきて、一緒に遊ぼうと言ってきて、可愛くも大変な毎日でした。

それが思春期になって、不登校になったり、自室に引きこもるということは、一人で時間を過ごせるようになったんだから、立派な成長の証だと思います。

そこで、子供なりに人生哲学を考えたり、社会で受けた傷や、身体の調子が悪いこと、自分の気持ちに向き合うことなど、それはその人の人生にとって必要な時間なのだと思います。

誰だって、一度立ち止まって、ゆっくり考えごとをすることもあるでしょう。

そんな時に、親は、「いいんだよ」と理解してあげないといけません。

子供が不登校になって親が一番心配することは、
「一生引きこもりになったらどうしよう」ということだと思います。

でも、親が子供の気持ちを理解していたら、一生引きこもりなんてありえません。

逆に、子供の今の気持ちを理解せず、ゆっくり考えることも立ち止まることも許さなければ、

親が理解してくれるまで一生引きこもりです。

トラウマや発達やいろんな問題があったら、適切なサポートは必要ですが、絶対に焦らずに、その子のタイミングが来るまで見守ってほしいと思います。

そこがこじれると、何十年も解決出来なくなってしまいます。

大丈夫、人間にはレジリエンスがあるから。
真の味方がいれば、また元気になるよ!!

*****

私は物理的には引きこもりでもいいと思います。

このコロナ禍では、みんな引きこもりですし、障害や病気など、様々な理由で引きこもりを余儀なくされる方もいると思います。

ご本人が、自宅にいても、少しでも社会的な交流があって、生きていく力があり、そして幸せを感じているならば、他人にとやかく言われる筋合いはありません。全然オッケーだと思います。

でも、そうではなくて、親の仇とでも言うように、引きこもることに全エネルギーを注ぐような生き方は、社会的な問題だと思いますし、サポートが必要だと思います。

親は、自分のプライドや状況(めんどくさいとか)などに左右されて、子供を放置してはいけないと思います。

子供を中心に考えて、子供を救うために全力にならなければいけないと思います。

そして、親も知識を身につけるためにサポートしてもらう必要があると思います。

金銭的に苦しくても、子供は親を見ているし、理解してくれると思います。完璧な家庭環境なんて滅多にないから。

子供の気持ちに寄り添おう。
子供のことを理解しよう!

それと同時に、親も完璧な人間なんていないので、もし親に理解がなかったとしても、それは愛情がないとか、性格に問題があるとかいうことではないかもしれません。

ただ情報不足、勉強不足だったとしたら、その部分は諦めて、スルーして生きていくことを子供たちに身につけてほしいと思います。

大丈夫、あなたを理解してくれる人は必ずいる。

歴史から学べることってなんだ?

こんにちは!
うさカンです。

私は歴史も社会も全く興味がなく、苦手な人間です。

でも考えてみたら、中高の授業、特に歴史は政治史ばかりで、人々の生活や文化などはあまりやらなかった気がするな。そういうのは、古典の授業だったのかな。

私が昔の人に興味なかったのは、今の自分に精一杯で、他のことを考える余裕がなかったのかもしれないなんて思います。

さて、歴史から学ぶことっていろいろあると思うのですが、私はざっくりと、

「正しいことは分からないよね」

ってことだと思います。

歴史の中で、政権が変わったり、価値観が変わったり、流行が変わったり、その都度「いい」と言われるものが変わってきたから今があるのだと思います。

(変わり過ぎで私にはちっとも覚えられませんが😅)

人々が、今の「これ」が駄目だから、より良く変えていこう!という気持ちが繋がって、ここまで来たのだと思います。

これが駄目だからこっちにして、やっぱりあっちがいいから変えてみて、

結局、普遍的ないいところは無いのかもしれません。もし見つかれば、一生このままの社会が続くはずです。

そう考えると、時の移ろいとともに、常識が変わっていくのも当たり前で、周りの意見に流される必要は全くなく、自由に自分の人生を生きることに夢中になればいいのではないか、と思います。


*****

私は新しいものには飛びつけないタイプです。

疑い深いのだと思います。

医療現場でのワクチンや新薬など、本当に大丈夫なの〜?と思ってしまうタイプです。

でも、今の自分に必要ならば、先の不安があっても選択するしかないこともあると思います。

結果は数十年経ってみないと分からないこともあると思います。

例えばこの先に、理論上では予想もつかなかった副作用があるかもしれない。それを覚悟で自分の選択をしていくしかないのかな、と思います。

その選択を、イエスの人もいれば、ノーの人もいる。正しいと思うことが違う、それにより、極端な話、どちらかが生き残るということもあるのかもしれません。

きっと歴史の中で、そうやって人類が違う選択をしたり、違うタイプの人がいたからこそ、ここまで命が繋がってきた、ということもあるかもしれませんね。

高台に住む人も、低地に住む人も、マンションに住む人も、一軒家に住む人もいるから、何があっても命が助かる人がいるのかもしれません。

人間の特性も同じではないでしょうか?

こういう人間は駄目、ああいう人間はいい、と線引きする必要はないと思うのです。

目指しているのは、どんな人も住みやすい、過ごしやすい社会なのかな、と思います。

歴史はずっとそこを目指してきたんじゃないかな?

きっと、その時代には、「これが最高」と思う選択をしてきたんじゃないのかな?

でも結局絶対なんてないのかな。


*****

そういう意味で、私は漢方薬が好きで安心だと思います。

長い歴史の中で、淘汰されずに残ってきたものは、信頼できるんじゃないかと思うんです。

そして、人類にいろんなタイプの人間がいることも、多数派も少数派も大事だったのではないでしょうか。

そうでなければ、きっととっくに淘汰されていたのではないでしょうか。

きっと人間みんなに生きてる意味がある、生まれてきた価値がある、

そういうことなんじゃないかな〜。

*****

先日、次女と話していたことなんですが、
もしワクチンや治療薬、あとは例えば家電(空気清浄機)とか、コロナに対するいろんな物が充実してきたら、もしかしたらステイホームの真逆になるかもしれないね、と話しました。

例えば子供がワクチンを打てなくても、無症状や軽症(風邪レベル)なら、なるべく集団免疫を得たほうがいい、となるかもしれない。

そうなったら、学校もかなり魅力的で、それ以外にも外での楽しいイベントが盛りだくさんになって、なるべく外出してください、人と積極的に交流してください、なんてなったりして?!

これは私が勝手に考えたことですが、子供たちの将来なんて、ほんとどうなるか分からないと思うんです。

歴史から学ぶことも沢山あるけれど、これからはもっと短いスパンで世の中は変化していくでしょう。

そうすると、「みんな一緒」なんて不可能で、価値観もごちゃまぜになり、もうなんでもアリだよね、なんてことになるかもしれないね〜。

それもまた面白いんじゃないかな、と私は思います。

ただ、堂々と生きればいいんだよ、

そう娘には伝えておきました。

【引きこもり】支援とは、HSPの視点から

こんにちは。
うさカンです☺️

先日、たまたま寝る前にこの動画が出てきて、つい見てしまったら、いろんな思いが溢れてきて眠れなくなってしまいました💦

寝る前に見るなんて、タイミングが悪かった。

youtu.be


でも、私はこれが今の社会や学校のリアルな姿だなあ〜と思って、ひとこと意見を書きたくなりました。


引きこもりの人は、好きで引きこもっているんだから、支援は必要じゃないのでしょうか?

それは、死にたいと自ら言ってるんだから、思う通りにしな、とか、
学校に行きたくない子は不登校してればいいでしょう、というのと同じで、全ては自己責任という言葉につながるのだと思います。

でも、私は、その言葉をそのまま受け止めるのは不十分で、実は裏の気持ちがあると思います。

よくマンガとかで、偏屈な頑固じいさんが、実は裏で優しかったり、人の役に立って喜んだりして、実はあのひとも寂しかったんだな、なんてキャラクターが出てきたりすると思うのですが、

人間は社会的行動をしていく動物で、集団の中で人と関わり合い、助け合いながら生きていきます。

稀に自給自足の出来る方もいますが、それにしても、全てをひとりで賄うことは大変です。

昔から私たちは物々交換や貨幣経済を使って、得意不得意を交換しあいながら生きてきました。

ひとりで生きているように見える人でも、誰かが作った物を購入して食べたり、生活しています。

その交流がストレスではなく喜びに感じることができる社会であれば、社会全体が安全になるでしょう。

世の中はストレスや逆恨み、トラウマなどからくる悲惨な事件が多すぎます。

もっと安全な社会を作る為には、自己責任論ではなく、社会全体で様々な人をサポートしあえるシステムが必要であると私は思います。


*****

ポリヴェーガル理論では、安全な環境が大切で、それは私たちが無意識に音で安全性を判断したりしている、と学びました。

それは、繊細な耳を持つ人は、説明されなくても直感的に分かることです。

不登校や引きこもりになる人は、過去のトラウマがある人が多くて、聴覚がとても敏感になっていると思います。

HSCであれば、きっと生まれつきの繊細さがあると思います。

そうすると、相手のしゃべる音域やテンポ、声の雰囲気から安心したり脅威を感じたりします。

ここで、先程の動画に戻ると、

引きこもり支援者(引きこもり経験あり)は、一生懸命に引きこもりの現状や裏の気持ちを説明しようとしているのに、周りの人たちはそれをシャットアウトするような聴き方をしていると思います。

これは無意識な行動だと思いますが、相手の話をうまく引き出すことは、非HSPの方には難しいのでしょう。

学校や社会では、こういうところにデリカシーが無いほうが普通で大多数なので、私なんかこの場にいたら逃走反応になりそう💧

せっかくの引きこもり支援者がゲストとして出ているのに、きちんと(思いやりを持って優しく)話を聞き取ろうという姿勢がないのは残念だと思いました。

人間には、話すことが得意な人もいれば、表現方法として、書くこと、描くこと、歌うことなど、手法はいろいろ、得意もいろいろだと思います。

けっしてテンポよく話すことが偉い訳ではないのに、今の社会は言語に頼りすぎだと思います。

また正義感から意見を押し付ける傾向があり、相手の本心を聴かず、分からないまま判断するのは、話す側の話す能力もありますが、聴く側の聴く能力が足りないとも言えると思います。

そういう点で言えば、HSPの人は空気を読むのも得意だし、人の気持ちに敏感で、話しやすい環境を作ることが得意だと思います。

世の中はHSPの人のほうが少ないので、この能力はとても貴重ですよね。


*****

さて、このようにHSPから見ると責めるように話す人、私は実はこういう人が表の顔を作っている可能性もあると思っています。

ズバズバ物を言える人がカッコイイと思う価値観がひとつあったら、それに乗っかって自分をキャラクタライズすることもできると思うのです。

本当は裏の気持ち、裏の顔があるかもしれなくて、
私は人間はみな、表の顔、裏の顔、得意なこと、不得意なことがあり、

今見えていることだけが真実ではない可能性を常に考えてしまいます。

だからこそ、相手がどんなふうに見える人でも、責めることはできないし、争うこともできないと思うのです。

もちろん、私にも意見や気持ちがあるので、
「ここで言っておかないと」と思うこともあります。そんな時には、相手を否定しないように伝えるにはどうしたらよいのか考えます。

でも、大抵は、言えないことのほうが多いです。
言う前に、「相手に聴く耳がなさそう」だと感じてしまうからです。


*****

このように考えてくると、引きこもりの支援はとても繊細だし、丁寧に時間をかけることが大事だと思います。

中には本当に余計なお世話をしてほしくない人もいると思うので、本人の気持ちに寄り添うことも必要です。

しかし人間は産まれた時には何も出来ず、自然と周りの人を頼って生きてきたはずです。

そういう喜びを、再び感じるような環境を作ってあげることも大事だと思います。

親が、自分の子供を恥ずかしいとか隠したい存在だと思っていたら、絶対にうまく解決出来ないと思います。そんな親を信用しようとは思えないからです。

でも、親も社会的評価を気にして生きているのは、この社会にいれば仕方がないところはあるかもしれません。

是非、いろんな事を知って、人間の仕組みを知ってほしいと思います。

同時に、そんな親に育てられても、別の支援者とつながることができて、親の代わりにトラウマから脱却できるような関わりがあることも大切だと思います。

子供は親を選んで産まれてくることは出来ませんから。

子供が、自分の親が子供を恥ずかしい存在だと思うことは許せないですが、そこを飛び越えて生き直すことは出来ると思います。

そういった支援が足りないのだと思います。


トラウマっていろいろあります。
信じていた人に裏切られるとか、環境が自分に合わないとか、大切な人をなくすとか、自然災害とか…

自分の弱さなんかとは関係なく、突然やってくるかもしれません。

不登校が誰でも起こること、と言われるようになったように、トラウマだって誰がなってもおかしくないかもしれません。

そしてそこからの行動(闘争、逃走、不動)は、人間が身を守るために当然の反応であったりします。

そこからのリハビリ、セラピー、支援のようなものは、必要でしょうか?それとも放置でしょうか?

私はそのような繊細な人は、またトラウマからの脱却により、社会で活躍できる人材だと思っています。きっと本人もそのことに気付いていなくて、それで「人と関わりたくない」という気持ちで生活しているのだと思います。

人間は「変わる」し、「変われる」脳を持っています。

だから、周りの人間は、その人の今の言葉を鵜呑みにせず、本当の人間の幸せってなんだろうな?と考えながら、少しずつ関わっていきたいと私は思います。

ひとりひとりの支援が、またいい循環を作り、バトンをつなげながら、平和な社会を作ることにつながると思っています。

みんなが幸せだと感じていて満足していたら、争いは起こるでしょうか?

母が学ぶということ

こんにちは!
うさカンです。

連日、ポリヴェーガル理論について書いてきましたが、今日はその裏話です😃

私が「これを集中して学びたい」と思った時、子供たちにまず、そのことを伝えます。

家事などは手抜きになりますし、子供たちの相手も減ります。でも、たまには私がやりたい事を優先する日があってもいいかな、と思っています。

私はもともと読むのが遅いのですが、それに加えて、途中でいろんな疑問を解決しながら一冊の本を読み進めたので、何日もかかってしまいました。

でも、久しぶりに、早く読み終わりたいというよりも、「もっと読み続けたい」と思うほど興味深い本でした。

なので、いつもに比べても、付箋がたくさん!

それを数枚の紙にまとめて、自分の頭を整理しました。


*****

一通り私が学んだあと、子供たちに自分が学んだことを伝えました。

特に次女は興味を持っていたので、とても面白いと言っていました。

次女はまだ小学校三年生だけど、難しいことが好きで興味があります。

なので、そのまま話して伝えました。


さらに、私の勉強方法についても話しました。

勉強方法はいろいろあると思うけど、私のやり方もひとつの参考になるかもしれません。

もし娘にも何かを詳しく学びたいと思った時には、私のように時間を取って、好きなように追求してみたら面白いよ、と伝えました。


私は、勉強していくうちに、また大学とか大学院とか社会人から入れる学校に戻れたらいいな、と思っていた時期もありました。

いまさら勉強が楽しくなってしまいました。

子育てのことを追求するうちに、不登校とは?病気とは?体の仕組みとは?遺伝子や進化とは?天気とは?命とは?社会の仕組みとは?

もう数え切れないほどに興味が広がってしまいました😅

何故、学生の時には興味がなかったのかしら…
(もったいない💦)


それにしても、勉強は本来自由だし、誰にも迷惑をかけない趣味でいいな。

結局私が一番考えるのは、いかに自分にお金を使わずに学ぶか、という工夫です。

学校に行かなくても、学べることはたくさんあり、そして偶然ですが、自分の学ぶ姿を子供たちに見せることができることは、独学のいいところかも!

逆に、自宅で独学してる娘にパワーをもらって、私も頑張ってブログ書く日もあったり🎶

独学でも仲間がいると、さらに楽しいような気がします。

学ぶことが楽しいと思えることは、実に幸せなんだなあ、と気付いたので、子供たちにも伝えていこうと思っています。