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我が家の不登校日記です。最近は教育と社会問題に興味があります。どうぞよろしくおねがいします♪

【引きこもり】支援とは、HSPの視点から

こんにちは。
うさカンです☺️

先日、たまたま寝る前にこの動画が出てきて、つい見てしまったら、いろんな思いが溢れてきて眠れなくなってしまいました💦

寝る前に見るなんて、タイミングが悪かった。

youtu.be


でも、私はこれが今の社会や学校のリアルな姿だなあ〜と思って、ひとこと意見を書きたくなりました。


引きこもりの人は、好きで引きこもっているんだから、支援は必要じゃないのでしょうか?

それは、死にたいと自ら言ってるんだから、思う通りにしな、とか、
学校に行きたくない子は不登校してればいいでしょう、というのと同じで、全ては自己責任という言葉につながるのだと思います。

でも、私は、その言葉をそのまま受け止めるのは不十分で、実は裏の気持ちがあると思います。

よくマンガとかで、偏屈な頑固じいさんが、実は裏で優しかったり、人の役に立って喜んだりして、実はあのひとも寂しかったんだな、なんてキャラクターが出てきたりすると思うのですが、

人間は社会的行動をしていく動物で、集団の中で人と関わり合い、助け合いながら生きていきます。

稀に自給自足の出来る方もいますが、それにしても、全てをひとりで賄うことは大変です。

昔から私たちは物々交換や貨幣経済を使って、得意不得意を交換しあいながら生きてきました。

ひとりで生きているように見える人でも、誰かが作った物を購入して食べたり、生活しています。

その交流がストレスではなく喜びに感じることができる社会であれば、社会全体が安全になるでしょう。

世の中はストレスや逆恨み、トラウマなどからくる悲惨な事件が多すぎます。

もっと安全な社会を作る為には、自己責任論ではなく、社会全体で様々な人をサポートしあえるシステムが必要であると私は思います。


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ポリヴェーガル理論では、安全な環境が大切で、それは私たちが無意識に音で安全性を判断したりしている、と学びました。

それは、繊細な耳を持つ人は、説明されなくても直感的に分かることです。

不登校や引きこもりになる人は、過去のトラウマがある人が多くて、聴覚がとても敏感になっていると思います。

HSCであれば、きっと生まれつきの繊細さがあると思います。

そうすると、相手のしゃべる音域やテンポ、声の雰囲気から安心したり脅威を感じたりします。

ここで、先程の動画に戻ると、

引きこもり支援者(引きこもり経験あり)は、一生懸命に引きこもりの現状や裏の気持ちを説明しようとしているのに、周りの人たちはそれをシャットアウトするような聴き方をしていると思います。

これは無意識な行動だと思いますが、相手の話をうまく引き出すことは、非HSPの方には難しいのでしょう。

学校や社会では、こういうところにデリカシーが無いほうが普通で大多数なので、私なんかこの場にいたら逃走反応になりそう💧

せっかくの引きこもり支援者がゲストとして出ているのに、きちんと(思いやりを持って優しく)話を聞き取ろうという姿勢がないのは残念だと思いました。

人間には、話すことが得意な人もいれば、表現方法として、書くこと、描くこと、歌うことなど、手法はいろいろ、得意もいろいろだと思います。

けっしてテンポよく話すことが偉い訳ではないのに、今の社会は言語に頼りすぎだと思います。

また正義感から意見を押し付ける傾向があり、相手の本心を聴かず、分からないまま判断するのは、話す側の話す能力もありますが、聴く側の聴く能力が足りないとも言えると思います。

そういう点で言えば、HSPの人は空気を読むのも得意だし、人の気持ちに敏感で、話しやすい環境を作ることが得意だと思います。

世の中はHSPの人のほうが少ないので、この能力はとても貴重ですよね。


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さて、このようにHSPから見ると責めるように話す人、私は実はこういう人が表の顔を作っている可能性もあると思っています。

ズバズバ物を言える人がカッコイイと思う価値観がひとつあったら、それに乗っかって自分をキャラクタライズすることもできると思うのです。

本当は裏の気持ち、裏の顔があるかもしれなくて、
私は人間はみな、表の顔、裏の顔、得意なこと、不得意なことがあり、

今見えていることだけが真実ではない可能性を常に考えてしまいます。

だからこそ、相手がどんなふうに見える人でも、責めることはできないし、争うこともできないと思うのです。

もちろん、私にも意見や気持ちがあるので、
「ここで言っておかないと」と思うこともあります。そんな時には、相手を否定しないように伝えるにはどうしたらよいのか考えます。

でも、大抵は、言えないことのほうが多いです。
言う前に、「相手に聴く耳がなさそう」だと感じてしまうからです。


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このように考えてくると、引きこもりの支援はとても繊細だし、丁寧に時間をかけることが大事だと思います。

中には本当に余計なお世話をしてほしくない人もいると思うので、本人の気持ちに寄り添うことも必要です。

しかし人間は産まれた時には何も出来ず、自然と周りの人を頼って生きてきたはずです。

そういう喜びを、再び感じるような環境を作ってあげることも大事だと思います。

親が、自分の子供を恥ずかしいとか隠したい存在だと思っていたら、絶対にうまく解決出来ないと思います。そんな親を信用しようとは思えないからです。

でも、親も社会的評価を気にして生きているのは、この社会にいれば仕方がないところはあるかもしれません。

是非、いろんな事を知って、人間の仕組みを知ってほしいと思います。

同時に、そんな親に育てられても、別の支援者とつながることができて、親の代わりにトラウマから脱却できるような関わりがあることも大切だと思います。

子供は親を選んで産まれてくることは出来ませんから。

子供が、自分の親が子供を恥ずかしい存在だと思うことは許せないですが、そこを飛び越えて生き直すことは出来ると思います。

そういった支援が足りないのだと思います。


トラウマっていろいろあります。
信じていた人に裏切られるとか、環境が自分に合わないとか、大切な人をなくすとか、自然災害とか…

自分の弱さなんかとは関係なく、突然やってくるかもしれません。

不登校が誰でも起こること、と言われるようになったように、トラウマだって誰がなってもおかしくないかもしれません。

そしてそこからの行動(闘争、逃走、不動)は、人間が身を守るために当然の反応であったりします。

そこからのリハビリ、セラピー、支援のようなものは、必要でしょうか?それとも放置でしょうか?

私はそのような繊細な人は、またトラウマからの脱却により、社会で活躍できる人材だと思っています。きっと本人もそのことに気付いていなくて、それで「人と関わりたくない」という気持ちで生活しているのだと思います。

人間は「変わる」し、「変われる」脳を持っています。

だから、周りの人間は、その人の今の言葉を鵜呑みにせず、本当の人間の幸せってなんだろうな?と考えながら、少しずつ関わっていきたいと私は思います。

ひとりひとりの支援が、またいい循環を作り、バトンをつなげながら、平和な社会を作ることにつながると思っています。

みんなが幸せだと感じていて満足していたら、争いは起こるでしょうか?