usagi-company-lab’s blog

我が家の不登校日記です。最近は教育と社会問題に興味があります。どうぞよろしくおねがいします♪

心と体、マイナスからゼロへ

こんにちは。
うさカンです。

いつも楽しくお勉強させてもらっている、益田先生のユーチューブ動画ですが、今回は初めて涙ぐみました。


www.youtube.com


今までの、いろんな想いが溢れてきたので、感想を素直に書いていこうと思います。


私は長女の起立性調節障害という病気に付き合っています。
病院は小児科から児童精神科まで、いろいろ回りましたが、結局信頼できる先生に出逢えず、良くなることもなく、体も心も辛い状態です。

でも、家族の中で過ごしていて、稀にテンション高い日があったり、笑顔が見れたり、お出掛けできたり、好きなものを食べれたり、そんな瞬間もあります。

元気がない日は、死んだような目、もう嫌だ、死にたいと言っています。

だるくて体調が悪くて、何も出来ないことも多いです。そんな時には、おしゃべり相手と全身マッサージ、ツボ押し、ヘッドマッサージ、ヘッドスパなど、私が出来ることはそれくらい。一日に何度も娘の相手をしています。

また、食事や薬膳、漢方などの研究も日々しています。

それで治る訳ではないけれど、少しでも体か心が楽になれば…と念力込めてます😅


*****

家族としては、母親としては、
出来ることは頑張るけれど、
頑張り過ぎないことも頑張っています。

私が辛い時には、小さなお願いをすることもあります。きっとなんでもかんでもやってもらうばかりでは、自分が無能だと感じて辛いでしょう。

でも、出来ないことをお願いしたら、出来ない自分に落ち込むでしょう。

たまにこのラインを見誤ることもありますが、そこは家族だからご愛嬌💦
普段からの信頼関係があれば、その時は気まずくなっても、絶対にゆるしてくれて、また元のかわいい娘に戻ります。


そして、私は私のマイペースを崩さないことにも気をつけています。

特に娘は睡眠障害的な症状があって、本人もそれで辛いのですが、一晩中付き合うことは出来ません。

次女がいるから、長女にばかりは付き合えないのです。
また私が体調が悪くなれば、結局長女のお世話も出来なくなってしまうので、ここはきっちり線を引く必要があります。

死にたい死にたいと言ってる子を残して、自分が寝てしまうのは、相当葛藤はあります。
でも、娘は死なないと信じています。
本当は死にたいのではなく、死にたいほど辛いということだから。
死んで全てから開放されたくなるのでしょう。
そして、家族には甘えてそれを言える環境なんでしょう。

自殺というのは、希死念慮プラス衝動性がないと起こらないと思います。
だから逆に言えば、突然衝動的にそのようになってしまうかもしれないって覚悟は必要だと思います。

娘には、そのような覚悟は私にある、と伝えました。それでも、自殺しようと思ったけど、自殺しなくてよかったって思うらしいよ、益田先生がそう言ってたよ、と娘に伝えました。
絶対に自殺しなくてよかったと思う時が来るから…。

それから、私は以前、起立性調節障害の親の会に出た時に、相談させてもらったことがあります。ちょうど、起立性調節障害の時に、うちのように死にたい死にたいと言ってた娘さんを見て、お母さんは毎日陰で泣いていたと教えてくれました。

でも、その娘さんが大きくなって、今は死ななくてよかったと思うから、この活動のお手伝いをして、それを伝えている、と教えてくださいました。

本当に私の心の支えになっているお話です。

私達親子も、いつかそう思えるかな?


まあ、そんな訳で、娘は大丈夫、日にち薬だから、と思いながら、万が一のことがあっても後悔しないように、出来るだけ一日の中に小さな幸せを散りばめて、そして出来る限りの看護していこうと思っています。

子育ては、だいたいのゴールは見えやすいけど、
介護や障害などは、先が分からない、いつまで続くのか分かりません。

だからこそ、余計に自分を守るラインを作ることは大切だし、それで自分を責める必要もないと思います。

出来ることには限りがある、ということも受け入れていかないといけませんね。


*****

そして、私はひとつ忘れられない思い出があります。
こんな娘の為に、おうちで出来ることはなんでもやらせてあげたいと思う私。

だけど娘はそうは言ってもどんどん成長していて、

例えば絵を描くことひとつでも、最初はえんぴつだったのが、たくさんの色鉛筆になり、そしてデジタルツールになり、というように、お金がどんどんかかるのです。

子供の成長は嬉しいけど、家計を考えるとどこで満足してもらうのか、とても迷って悩んでいました。当時、娘はたしか中2で、起立性調節障害の診断が出た頃だったかな?

それで、私は中学の養護の先生とお話している時に相談してみました。

そしたら、今の状態で充分幸せだと思うから、そんなに買い与えなくてもいいのでは?というようなことを言われました。

でも、その時の私には理解がなかなか出来ませんでした。

体調が悪く、人との交流も出来なくて、おうちにいるだけの娘が、可哀想だったんです。

学校のいろんな道具も借りれないし、部活動も出来ないし、本当に可哀想だと思っていました。


そんなことがあってから、買ってあげたり、買ってあげれなかったりを繰り返し、数年経ちました。

今の私は、基本的な考え方は変わりません。
やっぱりおうちで出来ることや、やりたいことの為に挑戦させてあげたい!

でも、うちにお金がないからこそ、工夫する子供たちの姿を見ることも出来ました。
安易に課金などをするトラブルもなく、そういう意味ではまともに育ってきました。

今では、ほんの些細なことも幸せだな~と感じることが出来るのは、コロナのおかげだと思います。

みんなも同じような苦しみを体験したし、人と全く比べなくなった。

娘には娘の幸せがここにある、と心の底から素直に思うようになりました。

ハードルを下げて、それを受け入れるって、
すごく負けたような気がするし、
不幸なような気がします。

きっと当事者は、
自分が情けないとか、
甘えているんではないかとか、
生きてる価値があるんだろうか?と
本当に悩むことだと思います。
なかなか目標に辿り着けない焦りもあるでしょう。

でも、私は、ハードルを下げるというよりは、
自分に見合ったハードルを自分で設定すれば、
その自分のフィールドの中で、楽しいこと、幸せなことなどを見つけて、満喫していけばいいんじゃないかな?と思うようになりました。

だって、高いハードルを飛べる人のほうが幸せとは限らないんだから。

そこにはきっと、それなりの苦労や悩みもあるはず。


そういう意味では、ほんといろんな人の話を聴くことは、視野を広げるし、役に立つ。
一番のライフハックのような気もします。

でも、それは同時に、人とガチで比べる機会とも取れるので、一番危険とも言えるのかも知れません。

理想は、自分のちょうどいい居心地のよいコミュニティの中で、やりたいことや出来ることに少しずつ自分のペースで挑戦できること、

いつまでも歯を食いしばり、我慢と努力だけでは、きっと自分の心は満足しない。

自分の心に素直に正直に生きていける、それを社会みんながヨシとする、

それが、ひとつひとつの命を守ることじゃないかな~?

なんて、真面目に考えました。

みなさんはどう思いますか?

自分の人生を自由に生きていますか??