usagi-company-lab’s blog

我が家の不登校日記です。最近は教育と社会問題に興味があります。どうぞよろしくおねがいします♪

障害とはなんだろう

こんにちは。
うさカンです。

久しぶりに本を読んで考えたことを書きたいと思います。

こちらは、「こんな夜更けにバナナかよ」を書いた方の著書です。

みなさんは、もし今一番大切な人、パートナーや子供、家族や友人などが、突然病気や障害で起き上がれなくなったらどうしますか?

お世話をしてあげないと日常生活が出来なくなったら、そのへんに捨ててきますか?

もちろん、そんなことはないでしょう。

そして、その起き上がれなくなってしまった人が、遊園地に遊びに行きたいって言ったらワガママだと思いますか?

毎日不自由な生活の中で、少しでも楽しい時間を過ごさせてあげたいと思いませんか?

心からの笑顔を見たら、本当にこちらも嬉しくなると思います。


私たちはいつ病気や障害になるか分からないし、老化していくことで自分がどうなるかも分かりません。

そういう身体が不自由な方のことを考えようと思っても、なかなか思いを馳せることは難しいし、自分のこととして考えたら、もう死にたいとか、迷惑かけないように大人しくしよう、とか想像するかもしれません。

でも、自分ではなく、自分が一番大切だと思っている人がこうなってしまったことを考えた場合は、できる限りのことをしてあげたいと思うと思います。


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私の娘は、起立性調節障害
障害という名前だけど、たぶん病気です。
更年期障害とか、適応障害とか、病気と障害の区別について詳しいことは私には分かりません。
障害が起きる病気ってことでしょうか?

娘は、だんだん調子が悪くなりましたが、一時期はほぼ寝たきりでした。

食事もほとんど取れなくて、外出も難しかったです。

そんな時に、相模原の障害者殺人事件がありました。

私は目の前の娘が何も出来なくても、生産性がなくても、存在に癒やされたりしていたし、家族にとってはとても心配だったけど、欠かせない存在でした。

だから、人間の価値ってなんなのかしら…とよく考えました。

別に何かが出来ること、上手なことが、愛する条件ではないことを知りました。

娘のお世話をすることで、私にもまだまだ生き甲斐があると思えたり、娘が喜んでくれたら私も嬉しいし、たぶん家族みんながいろんな感情を学んできました。

とにかく何も出来なくなってしまうと、ほんの些細なことがとても嬉しく感じます。小さなことに幸せを感じることができるようになったことは、すごい収穫だったと思います。

今の世の中は、生産性や成績が評価の中心で、人々がなかなか幸せを感じにくい世の中だと思います。
頑張っても、もっと上を目指さなければならなくて、きりがない。
もちろん向上心は素晴らしいのですが、目の前のことに感謝する、満足することもとても大切だと思います。

今の私が思うのは、そういうことを感じる能力がない人のほうが可哀想だし、人間として欠如してる気がするし、障害なんじゃないかと思っちゃいます。


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さて、本に戻りますが、
この本には、障害者の方々が、自分たちの人権とやりたい自由のある生活の為に、闘ってきた歴史が書かれていました。

正直言って、私は障害者の為の環境や制度を作ってきたのは、障害者の周りの人だと思ってきました。
でも、実は重度障害者と言われる方々が、勝ち取ってきた進歩の積み重ねで、自立の道が出来たのだそうです。

これには本当に驚きました。本当にすごいんです。考え方ややり方がすごい。

これを読んだらもう、重度障害者の方が、何も出来ない人、生産性がない人なんて、言えないと思います。


また、障害者の漢字表記についての議論も書かれていました。

私自身も、あまりいい言葉じゃないとは思いますが、通用されてる言葉をそのまま使っています。世の中には、当てはめるのに適切ではないような言葉って実はいろいろあるのかもしれません。私は不登校という言葉にも、すごい嫌な気持ちがします。けど、一般的に一番分かりやすい言葉だと思うから、この言葉をそのまま使っています。

障害者の方も、字に対するうんぬんよりも、その存在の本質について、しっかり考えてほしいと思っている方が多いようです。


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それから、ある障害者のお母さんの話も印象的でした。普通学校に入れる為に、少しずつ環境を整えていった話、ちょっとずつ自分の手を抜いて、周りの人の助けを頼っていった話。

親が出来ることは、自分ひとりでどうにかしよう、ということではなく、いろんな人を頼ることだと思います。
そうすることで、子供自身が人に頼る力を伸ばしていくことが出来て、それがその子の将来の生活の質に大きく影響することです。

だから、あえて周囲の方を巻き込んでいくことは大切なんだと思います。

また、その小さなひとつの事例が前例となり、それに慣れてくると、その環境の中では当たり前になり、そしてそれがだんだんと広がっていく。

そうやって学校の常識が変わり、教育の常識が変わり、社会が変化していくのだと思います。

また、そういう情報を親同士で共有することで、あっちでもこっちでも小さな変化が出てきて、それがつながっていくことで、いろんな変化が加速していくのでしょう。

そう考えると、たったひとりのただの専業主婦であっても、政治家と同じくらいの力があり、責任があるような気がします。

何が正しいのかは分かりませんが、たぶん全国の不登校の子供たちの親は、学校との交渉をひとつずつ積み重ねて、何かのムーブメントを作っているのかもしれないと思います。

障害者の方々の見習うべきところが、いろいろありそうな気がします。

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そういえば、私はすごい昔に、障害者の方の講演会を聴いて、直接お話させてもらったことがあります。

それぞれの抱える問題や、困りごとは違っても、マイノリティとしてお互いに学びあえることはあると思います。

だから私は自分の枠からはみ出して、いろんな事を見聞きすることを大切にしています。

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あれ?そんなに昔じゃなかったわ。