usagi-company-lab’s blog

我が家の不登校日記です。最近は教育と社会問題に興味があります。どうぞよろしくおねがいします♪

職員室の入り方

こんにちは!
うさカンです。

こちらの動画を見て、突然思い出したことがありました。


www.youtube.com


数年前、娘が中学生だった頃、私はカウンセラーの先生と面談する為に、たまに中学に通っていました。

お約束の時間に、カウンセラー室に誰もいなくて、職員室に先生を探しに行った時の話です。


現在の職員室には、生徒が中まで入室することはできないと思います。

職員室には個人情報が溢れているので、情報流出を防ぐ為だと聞いたことがあります。

それで、子供たちが先生に用事がある場合、

「失礼します。何年何組の○○ですが、○○先生いらっしゃいますか」

みたいなことを入口で言って、対応してもらわなければなりません。

私がその職員室に行った時には、先生は数人しかいらっしゃらなくて、入口付近には誰もいない。
しかもみなさん入口に背中を向けて仕事されていました。

しばらく入口に立っていても、誰も気付いてくれないので、しょうがなく私は、「すいませーん」と大声で言いました。
そしたら気付いてくださった先生が入口のほうに歩いて来て、対応してくださいました。


*****

この時、私はいろんな事を思ったのですが、
とにかく職員室に人が来たことに誰も気付かないなんて、そんなシステムおかしくない?と思いました。(もし泥棒が侵入してたらどうすんの!)

先生の部屋なんだから、訪ねる側はお客さんなのに、それに気付かずいるなんて、少し失礼ではないか、と思いました。

昔は先生が上級の人間だったから、こちら側がへりくだる必要があったのでしょうか。

私の考えとしては、先生も生徒も同じ人間で対等だと思うので、先生と話すために来てくれた子供たちに、ウェルカムの思いが通じる場所であってほしいな、と思いました。

大袈裟かもしれないけど、もしかしたら子供がこれから自殺しようか迷うくらいに悩んでいたとして、最後に先生に相談してみようかな、と思った時、入口に自分が立っていることを誰にも気付かれずにいたら、無視されているように思わないかなあ、やっぱり相談するのやめよう、って思わないかなあ?

そんな心配をしてしまいました。

ルールよりも、子供たちの存在をもっと大切に扱ったらどうだろう?
先生ってそんなに偉いの?

そう感じました。

もちろん先生方はそんな余裕もないくらいに忙しいのかもしれないけれど、

でも先生の一番の仕事は、子供たちを支えることだと思っている私にとっては、けっこう衝撃的な出来事でした。


*****

そもそも、入口で大きな声を出さなきゃいけないシステムは、人間の多様性を無視していると思います。

声が小さい人、大声を張り上げるのが苦手な人は、職員室に入れないんじゃないかなあ。

私も正直言って、大声出すのは得意じゃないです。うちの子供たちだったら永遠に職員室行けないんじゃない?って思いました💦


でも、例えば芸能人とかでも、囁くように話す人、ボソボソとした感じで歌う人など、

そういう個性がある人も売れていたりカッコイイと言われたりすることありますよねえ。

別にみんながみんな、明るく楽しく元気よく!みたいな、よくあるスローガンのように育たなくてもいいじゃないの?と私は思うんです。

職員室に大きな声ではっきりと話すのが「いいこと」とされたら、

そうじゃないタイプの人の人格を傷つけませんか?

そうじゃなくて、どんな人にも入りやすい職員室、学校を目指したほうが良くないですか?

そんな風に私は思いました。


*****


しかも、この中学のルールには、
保健室に行く際には、まず職員室で許可を得ること、というのもありました。

私はこれにもビックリしたのですが、
具合が悪い人が、わざわざそんなことをするなんて、手順が多すぎ、いじわるじゃないの?と思いました。

本当に生徒を思って作った決まりとは思えません。

私から見ると、変なルールだなあ、と思いました。


私はまさか、大人になってから、こんなに学校に行くとは思いませんでした。
それは参観日じゃなくて、学校の日常を見ることになったので、けっこう「?」なこともありました。

きっと現場の先生は、ずっとその中にいるから、それが普通、当たり前だと思っているでしょうし、子供たちは前に習ってルールを守っていくのが常識なんでしょう。

でも、外から見たら、学校の姿って、とても画一的で、なんか合理的でない、誰のため?みたいなルールが存在していたりします。

もちろん先生方を尊敬するのはいいのですが、ルールで押さえつけるとか、先生の格付けがはじめから高いとかっていうことは、なにか同じ人間として違和感があります。
(年上の人を敬うのは、自然発生であるべきだと思います)

私は保護者も同じだと思っていて、
子供を養うから偉いのではなく、
ただ偶然先に生まれただけで、できることをやっているだけだと思います。

子育てで子供から学ぶことだって沢山あるのだから、やっぱり人間としては対等だと思うのです。


でも、戦後の日本は、経済発展に忙しくて、親が子供の権利とか教育について深く考えることは少なかったかもしれませんね。

それは私たち親の世代が、学校の在り方を鵜呑みにして育ってきたから、子供たちを学校に合うように育てるようになってしまったのかな、と思います。

私が変だな、と思うことを、他の保護者の方がおかしいと思わないことが不思議でした。

そんな学校の詳しいことは知らないかもしれないけど、私が話してみても、

「しょうがないんじゃない?」

って感じで、なかなか共感を得ることはありませんでした。

でも、これからの時代は、多様性が当たり前だと思うので、

どんなタイプの子でも受け入れて居心地の良い学校を税金で作ってほしいと思うし、

保護者も子供の個性に合わせて子育て出来るように学ばないといけないと思います。

いつまでも学校に都合のいい子供に仕立てるべく育てるのではなく、

子供が自分のままで活躍できるんだ、と自信を持って暮らせることが、沢山活躍して実力を発揮できる社会の宝を育てていくことにつながるのではないかな〜

そんな風に思いました。

(ってことを思い出しました。)

私も、子供が不登校にならなくて学校に通うことがなかったら、なかなか知らない世界、気付かなかったことなんですけどね💦

夫婦喧嘩、親子喧嘩にならない理由

こんにちは!
うさカンです。

私はほとんど喧嘩をすることがありません。
結婚当初や、長女の起立性調節障害のはじめの頃は、理解できずに相手を責めて、多少喧嘩になったこともありましたが、ここ何年も喧嘩はしていないと思います。

そのベースにあるのは、やっぱり相手を理解するとか、そのまま受け入れることだと思います。

昨日の記事にも書きましたが、全ては異文化コミュニケーションって感じなんだと思います。

例えば、外国の方に、自分と違う考え方とか、自分の期待している行動と違うことをされても、怒る人は少ないと思います。

そういう文化なんだな、と受け入れると思うんです。

でも、日本人同士になると、何故か同じ考え、同じ行動を期待してしまうことはないですか?

日本人は、という書き方をすると、ちょっとステレオタイプっぽいけれど、

でも私達が学んできた学校とか教育のシステムが、

「みんな同じ=平等」を目指していたのだから、仕方がないとも言えるのかな?と思うんです。

でも本当はみんなできるレベルは違っていて、努力すれば誰でも同じくらいにできるというわけではないと思います。

同じ日本人だからと言っても、考えること、行動の仕方は自分が期待していることと違うこともあると思います。


今の学校教育では、そういうところが少しずつ変わってきました。

自分の意見をハッキリ主張する、はみ出た人も排除しない、みんなひとりひとり違ってオッケーなんだ、そこをどう共同生活して過ごしていくのか話し合う…

そんな自分も相手も尊重する練習が、アクティブラーニングの中で始まってきたと思います。

でも、私達親世代は、そういうことを知らないので、難しいですね。


*****


本当は、人間ひとりひとりの個性は違うし、時間の感覚なども違います。心地よいと思う感じが、人により異なるのです。

夫婦でそういうところにズレがないと過ごしやすいとは思いますが、まあそういうことは稀かもしれません。

親子関係で言えば、親の感覚が正しいと思ってしまいがち。
もちろん社会性を教えることも親の仕事ですが、

まずは子供の個性を知り、
特に出来ないことを強制しないように気をつけなければなりません。

「どうしてできないの💢」
と言う前に、

「どうしてできないのかな🙂?」
と普通に相手に尋ねてみることが大切だと思います。

そこに明確な理由があるのかどうかは分かりませんが、でも行動には何らかの理由があるはずです。自分でそれを把握出来ているかどうかは分かりません。特に病気や障害の場合は。

理由は分からなくても、相手の気持ちを知ることはできます。

「なぜだか分からないけど、やろうと思っても出来ないんだよね」とか、

「それはやる気になれないんだよね」とか、

「後回しにしたいんだよね、だって○○○」など。


人は必ずしも自分と同じペースで動ける訳ではないんだな、と分かってきます。


*****

そうしたら、
「どうしてそういう気持ちになるのかな?」とか、
「じゃあどうしたいのかな?」とか、

だんだん相手の心が理解できるとともに、解決方法が見えてくるかもしれません。


この作業をいちいちするのは、忙しい現代人には難しいでしょう。

時間がかかりますよね。

でも、そうしているうちに、
相手の考えるパターン、快適だと思うこと、行動の癖など、根本的に「できること」「できないこと」が分かってきて、話し合っていないことでも、

「これは嫌がるだろうな」

「これは出来ないだろうな」

ということが見えてくるようになります。

それが相手の個性を知り、受け入れることになって、こちら側の対応や感情の持っていき方なども、とても楽になってきます。

結局は、急がば回れってことですね^_^

この人と長く一緒に過ごしたい、いい時間と思い出を増やしたいと思うなら、是非おすすめします。


*****

とは言っても、
喧嘩するほど仲がいい、とも言いますし、

喧嘩全てを否定する訳じゃありません。

本人同士が「それでいい」と思っていれば、何も問題はありません。それがその家のやり方ですから😄

でも、もしどちらかにストレスを感じるようなら、一度考えてみてほしいと思います。

自分の人生をどう生きたいのか、相手の人生をどうしたいのか。

もし、外国人の方が黒髪じゃなかったら、
「なんで黒髪じゃないの」なんて怒らないように、相手の特性を責めたり怒ったりイライラしても、変わらないこと、変われないこともあると思います。そこを学ぶことは大切だと思います。


それと同時に、自分が我慢しすぎる必要もない、ということを忘れないようにしたいと思います。

相手のことを分かった上で、その特性ならしょうがないか、とスッキリ受け入れられるならいいのですが、

とても理不尽で我慢ばっかりという場合は、負担が大きすぎると思います。

相手にいくら理由があっても、納得できないことを我慢していたら、自分が病気になってしまうかもしれません。

相手が自分と違うことは、自分が悪い訳ではないのです。

だから、そういう時には、専門家に相談したり、頼ったり、場合によっては距離を置いたり離れたりする勇気も必要だと思います。


自分のことを大切にする為に、

まずは相手の考え、気持ち、行動がどこから来るのか知り、そしてそれを受け入れることができれば、

北風と太陽、

結局は相手の心地よさにつながり、自分に返ってくるのだと思います。

相手のことを変えようと一生懸命になればなるほど、自分が苦しくなってしまうので気をつけてね。

(それじゃあ社会の規範に入らない!と思うかもしれないけど、特性上無理なんだ、と思うと、自然と優しく生きることが出来るようになります)

子育てに役立つ、語学学習

こんにちは!
うさカンです。

私、最近ハマっているのが、英語学習のYou Tubeです。
学習といっても、私が気に入ってるのは、ネイティヴの方が、アメリカ英語とその文化的な背景とか考え方などを解説してくれる動画です。


www.youtube.com


www.youtube.com


もともと若者達のグループが、ノリよく何かする動画が、パーティーみたいに楽しくて好きだったのですが、この英語の動画も、まさにそんな感じ。
テンポもいいし面白いし、思わず声出して笑ってしまいます😅

夢中になって聴いてると、コロナのことも、憂鬱なことも全て忘れてしまって、とてもいい気持ちです♪

なかなか大人数でワイワイ出来ないからこそ、こうやって疑似体験させてもらえて、とても嬉しいです💕

(油断してるとずっと見ちゃう😅)


*****

さて、語学を学ぶということは、日本だと受験に必須だと思うのですが、

実は私は受験英語は全然分からないのに、なんとかアメリカで一年暮らすことが出来ました。

こんなに英語が出来ない人でも、なんとかなる!と知ってしまうと、あまり勉強しなくなっちゃいましたね💦

もちろん学術的な英語とか、ニュースなどの難しい単語は分からないけど、普段の会話なら、なんとなく通じるようになるもんです。

私は語学はたいして上達しなかったけど、文化や考え方の違いみたいなものは肌で感じたのだと思います。

この動画では、そういうことをとても分かりやすく解説してくれて、すごく勉強になります。

語学を学ぶ理由は人それぞれだと思うけど、

語学そのものが出来なくても、

「同じ人間でも考え方はいろいろなんだな」と知ることはとても大事なんだと思います。

例えば家族関係がうまくいかない時、

私たちは自分の考え通りに相手が動かないとか、違う考え方をしている、ということに対してイライラするのだと思います。

でも、人はみんな違う、ということが前提にあれば、相手の違いとか出来ないことを、まず受け入れて、そして最善策を相談すればいいのだと思うのです。

それは日本人同士でも、異文化間でも一緒だと思います。

お互いの常識が違うとか、出来ることが違うとか、それは当たり前なので、そこをどう理解し合うか、というのは語学の勉強から学べるところだな〜と思います。

そういう違うところを、面白がることが出来れば、親子関係も夫婦関係も良好になるんじゃないかな?と思います。


*****

それから、この動画の中では、
「教科書にはこう書いてあるけど、実は使わないんだよね」みたいな紹介もあったりします。

日本語も教科書通りにはしゃべらないように、ネイティヴの仲間同士の会話では、ニュアンスが変わってきたり、実用的ではなかったり、いろいろあります。

そういうことを知ると、
「あれ?教科書が絶対だと思ってきたのに、学校が全てと思ってきたのに…」という感じがしますよね。
なんの為の勉強なんだ〜!!みたいな。

言葉は生きているから、日本でも若者言葉はどんどん変わっていきますが、

そもそも「絶対」なんてものはないんだな〜、と気が付くことができました。


*****

私はもともと会話は得意ではありません。

普通の日本語の会話でも、反射神経が鈍いので、脳の回転も遅いのか、すぐに適切な言葉が浮かんでこなかったり、いい話題を切り出せなかったりします。

友達と別れてしばらくしてから、
「あの時こう言えばよかったなあ」なんて思うこともしょっちゅう。
だから、こうやって何度も見直せる文章を書くほうが、自分の言いたいことを存分に表現できます。(私の場合は書くほうが楽しいしラク♪)

それで、私がアメリカで一番困ったことは、この会話力のなさ💧

英語の能力はともかく、何を話したいのか、という中身を探すことが大変だったんです。

語学が伸びるのは、やっぱり話したい思いがあってこそ、なんですよね。


我が家の次女は小学3年生で、今年から英語学習が始まりました。

娘はマイクラでコマンドを打てたら嬉しいと言っていましたが、実際にはあんまり興味はなさそう。

私は自分の体験から、中学から英語学習をはじめても、高校で一年留学できたので、全然遅くないと思います。

だから、スタートはゆっくりでも大丈夫だと思っています。

それよりも、娘がどんどん雑学王的になってきていることの方が、いざ誰かと話す時のネタになって役立つんじゃないかな?と思っています。

外国人が日本語を話す時でも、発音や語彙の使い方が多少違っていても、熱意があれば理解しあえるもんね。


*****

という訳で、語学に対する私の個人的な考えを書いてきました。

語学がペラペラになりたければ、そういう勉強が必要だと思います。

でも、そこまで習得しなくても、きっと翻訳機でもどうにかなるかもしれないし、それよりも機械では分からない文化とかその国のスタンダードとか、そういう背景みたいなものを知ることが役立つんじゃないかな、と思います。

人間同士を理解するとか、細かい感情を学ぶとか、けっこう子育てするのに役立つような気がします。

子供に勉強しろと言うばかりではなく、親が自ら学ぶことは、何才になっても視野が広がって生きやすくなると思います。

好きな言語、好きな国のことに少し触れてみるのがいいと思います。

【不登校】横じゃなくて縦に学ぶ

こんにちは!
うさカンです。

月曜日、週末の疲れ?で、ゆっくり寝ていた娘。

「今日はのんびりするの?」と聞いたら、

「いつものんびりじゃん」との答え。

おもわず笑ってしまいました😅

そういえば、急ぐことも焦ることも、「早くしなさい」と言うこともないか。


そんな娘は、朝からカラオケの練習をしていました。ボカロ曲です。だんだん昔のお姉ちゃんみたいになってきました。

コロナが落ち着いたら、誰か呼んでカラオケパーティーしたいと言ってました。

学校の音楽は嫌いという娘。(音楽の授業に出席したことないけど💦)

学校だったら、好きな曲を選ぶことは出来ないし、上手くなるまでずっと練習することも出来ませんから、うちの子の学びは「縦」なんだな〜と思いました。

時間割のように、横向きに区切れていない…。


*****

算数のお勉強、こちらはお姉ちゃんが使わなかったドリルをくれました。昔、私が長女に買ったものが新品のまま残っていました。

この本のいいところは、「計算」「図形」「文章題」が学年の垣根を越えて分野別、系統的に学べることです。

普通だと、何年生はこれを習う、と決まっているのですが、娘は同じことばかり繰り返すのが退屈で、もっと深く知りたいタイプ。

なので、この本はとてもいいと思いました。

計算の一番最初には、

(48+16)÷8-2×3

みたいな問題があります。

これ、実際には何年生で習うのか分からないのですが、3年生の娘でも解説しながら解けました。

そして、普通に簡単な計算問題をやるよりも、こんな複雑な問題が出来た!という方が、娘にとっては嬉しいのです。

日本では、計算ミスをしなくなるまで基礎から鍛えると思うのですが、どんどん進んだほうが、娘の「楽しい」という気持ちがなくならないかな、と思って、今度は少数と分数の足し算を教えました。

これも、最初は理解が曖昧で間違えるけど、解説すると「なるほど〜」と面白いみたい。ポイントは、先に解説しないで、まずはどこまで解けるか挑戦してみることみたい。
子供にもよるけど、うちの子は「習うより自分で考える」ほうが面白いようです。

こんな感じで計算が少しずつ難しくなっていっても、結局は根本の足し算とか引き算を何度もやることになる訳だから、本人は知らないうちに繰り返して練習しているのだと発見しました!

学校では、基礎が完璧になったら次に進む、という感じのやり方で、それが大半の人の安心するペースなのかもしれないけど、

娘の場合は、それだと嫌いになっちゃうな、と思いました。

例えば、単位の勉強なども、少しずつ増えていくのが、娘にとってはじれったい。もっともっと難しい単位もいっぺんに教えてよ!って感じなんですよね。

だから教科書の進み方、3年生レベルの計算、図形、文章題などがごちゃまぜに出てくるのは苦手なんだと気付きました。

横割りではなく、縦に深堀していくタイプなのかな。
深掘りと言っても、理解が早いので、一日5〜10分の勉強で充分です。

どちらがいいのかは人によるのかもしれないけど、最終的に帳尻が合えばいいかあ〜と思っています。


*****

昨日、インスタグラムを投稿しようと思ったら、なかなかなかなか出来ませんでした。

何故か分からなくて、娘に聞きに行きました。
娘は体調が悪くて寝るところでしたが、

ちょっと失礼しました。

そしたら、そのスマホでググってみなよ、

と言われました💦

なるほど、お邪魔しました〜と言って退散。

調べてみたら、ちょうどインスタの不具合がおきていたことが分かりました。


最近の子ってすごいな〜。

私なんて、こんな立派な道具=スマホ持ってても、宝の持ち腐れ。

ほんとに頭が回転していません。

娘の場合は、起立性調節障害で途中から学校に行けなくなりましたが、

その分、今まで自分でいろんな課題を解決してきたんでしょうね。(親に聞いても分からないし😅)

そうやって、自分の持っているツールをどう使うか考えて、サバイバルしてきたわけね。。。

不登校」というと、なんかマイナスのイメージもするけど、

「学校に頼らないで生きる」という道を過ごしてきたと考えれば、なんかカッコイイじゃない。

自分でしっかり考えて、そして生きてきたなんて、今の時代にピッタリの感覚が、自然に身についちゃったんだね。

そんな風に思いました。
(一方の私は、分からなかったらすぐに人に頼る、かなり昭和的な人間で…)


*****

次女の話に戻りますが、
彼女は、日中はYou Tubeばっかり見ています。

You Tubeは、手っ取り早くいろんな情報を知ることが出来るので、教科書よりも面白いようです。娘は、雑学王みたいになってきています💦

普通の家庭だったら、そんなにYou Tubeばっかり見てないで勉強しなさい、と言われそうです。

そんな雑学は、将来の何の役に立つのか、と。

でも、私はそういう見方はしていません。

きっとこの雑学的な知識が、どこかの何かにつながる時が来るんじゃないかな?と思うのです。

知ってて無駄なことなんてないと思うし、

こうやって自由に畑を耕すような脳ミソの使い方、ずっと教室の席に座って学ぶのとはまた別の何かが身につくのではないか?と思っています。

もちろん、You Tubeだけに偏らないように、

物語を読んだり、絵を描いたり、ゲームをしたり、漢字練習や算数の学びもまた再開しました。

最近ではお散歩もルーティンになってきました。

こうやって考えてみると、学校とは少し違うけれど、なんとなくいろんな学びが出来ているような気がします。

まだ小学生だし、そんなに完璧にまんべんなくやらなくても、いつか基礎に立ち返って学び直すこともいくらでもできるし、

自分にとって必要だと思った時に、必要なことを身につけていくのも、また手なのかもしれないと思って見守っています。

「モモ」から学んだ、本当の豊かさ

こんにちは!
うさカンです。

ミヒャエル・エンデの「モモ」を読みました。

前回読んだのは、確か娘が小学1年生になったばかりで、私も手術の前でした。

あれから、私たちの生活にいろんな事が起こりました。本当にいろいろあったし、いろいろ考えたな〜。

そして、今ふたたび、この本を読みたくなりました。


前回は、なかなか集中して読み進めることが難しかったみたいで、内容も覚えているようで、けっこう覚えていなくて驚きました。

私、一度読んだ本をもう一度読むことはあまりなく、できればどんどん新しい本を読んでいきたいタイプなのですが、

この本はいろいろと考えさせられる本で、今回また読んでみてよかったです。


*****

現在コロナ禍で、娘が学校に通っていない我が家。
こうして、ストレスなく、のんびりと暮らせることは本当に感謝だなあ、と感じています。

娘にとっては、本当は学校に通える子たちが羨ましいかもしれないけれど、

でも今ののんびりと贅沢な時間の使い方は、損ではないと思います。

人間にとって、時間とは何なんでしょう。

お金と時間、どちらが大切なんだろう。

まだ働かなくてもいい子供時代だからこそ、たっぷり時間を使って、自由にやりたいことに熱中したり、遊びたいことを自分で編み出したり、そういう経験が大切なんじゃないかな〜と思いました。

そういう育ち方をしてくると、真の豊かさを知り、大人になってからの生き方や働き方改革につながっていくのではないでしょうか。

24時間働けますか?と言って、ガツガツ働く時代はもう終わったはず。

せっかく便利なものが世の中に出てきても、その浮いた時間をまた忙しく使っていたら切りがない。でも、子供たちはどんどん忙しくなるし、学校が厳しくあり続ければ、このモモの物語で灰色の男たちがやっていることと同じ世界にしかなりません。


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先日、お散歩に出た時に、娘が撮影したものです。

明日の予定がないから、何時にでもお散歩できるし、好きなルートに行けるし、宿題の心配もない。

これがとても子供らしい暮らし方だと思って、私は気に入っています。
すごく幸せだな〜と思います。

HSCの子供たちは、感性が豊かで深く考える、いろんな刺激を受け取る分、ひとつのことにかかる時間が普通よりゆっくり、ゆったりかもしれません。

それだけ多くの情報を受け取り疲れることもあるけど、ゆっくりした時間の中では、

幸せをじっくりと噛みしめることができるのだと思います。

このモモの物語の最後のように、ゆっくりお花を眺めたり、人の話をゆっくり楽しんで聴いたり、心を込めて仕事をしたり…

そういう世界が似合っているような気がしました。

*****

我が家の夫は、現在は週に1〜2度の在宅ワーク、そしてフレックス勤務をしています。

長女は在宅で仕事を出来るように修行中。

私はできる限りの節約をして専業主婦。

そして次女は、学校へ通わず、自由に学んでいます。

コロナ禍で、余計に人付き合いが出来ない事は残念なところですが、

それ以外は自分に合った生き方をしているように思います。

学校で習うように、1分1秒の遅刻もアウト!とか、毎日びっしりのカリキュラムとか、将来の為に全ての時間を使うとか、

そういう生き方じゃなくても、大丈夫そうな気がします。

まずは全ての人に、この本を読んで、

「あなたの幸せってな〜に?」
「どんな生き方をしたいの?」
「自分の時間をどう使いたいの?」

ということについて、考えてみてほしいな。

私たちの理想の生活って、どんなことなのでしょうか。

深く深く考えました。

【不登校】コロナ禍の子育てに悩む

こんにちは!
うさカンです。

週末はまた、いとこの家に家族で行ってきました。

子供たちは、この家で遊ぶこと、小さな いとこ達との交流が楽しくてしょうがないようで、

「疲れるけど楽しい」と言っています。(癒やされる〜♪)

集団生活がない我が家の子供達にとっては、いろんな人間関係を学べたり、みんなで走り回って体力つけたり、楽しくてやる気が出る、といいことばかり。本当に感謝です。

子供本来の姿だなあ、と思って、なんだか私まで元気をもらう。

不登校の子供にとっても、どこかに練習できる居場所があることは大事だな〜と思っています。

不登校になると、外に出掛ける不安とか、人と交流する不安とか、いろんな不安を事前に感じて、見動きしにくくなることがあるので、ひとつひとつの行動から出来た体験が自信になるし、上手に慣れていくと思います。


*****

今回は、みんなでアイスクリームを買いに行ってきました。
みんなが好きなアイスを選んでいた時、うちの次女だけは、「お腹が痛くなりそうだからいらない」って言いました。

私は不安なのかな、と思って、食べなくてもいいから、とりあえず選んでテイクアウトしよう、と言いました。
娘はそれでも「いらない」と言っていましたが、
「じゃあとりあえず買って、食べれなかったら持って帰る」と言って、全員分買って帰ることが出来ました。

そして、私はそんなことも忘れていて、みんなにアイスを配って食べました。

気付いたら、娘も完食していて元気だったので、なんとなくみんなの雰囲気で食べれちゃってよかったな、と思いました。

少しずつ、いろんな事に慣れて、不安が減っていくといいな。

そのあとは、みんなで公園で走り回ったようで、汗だくでした。マスクも取っていました。


*****

子供の不登校対応としては、マニュアル通りというか、まあ順調だと思う我が子。

でも、私は今朝、久しぶりにワイドショーを見て、ハッとしました。

私も、子供達が元気なことが嬉しくて、半分忘れていましたが、今はまだコロナ禍です。

普段は自分が不安になるだけなので、あんまりワイドショーは見ないのですが、たまにはチェックしようかな、と思いました。

そしたら、やっぱり若者のストレス発散や遊びに出る人出の多さなどの情報をやっていました。

我が家も一年以上はほぼ完全に自粛していましたが、そろそろ子供達のメンタルが限界かな、と思って、週末は何度かいとこの家を訪ねていました。

でも、ワイドショーでは、
「家庭の中で、若者が自粛出来るように話し合うのが一番重要だ、ワクチン接種が終わるまで、あと少しの我慢だと説得しなければいけない」

そんな内容のことをコメンテーターが言っていました。

本当に、医療現場の皆さんの負担を考えれば、そんなことは当たり前だと私も思います。

これからオリパラもやるとしたら、一気に感染拡大したら怖いです。

また、万が一コロナウィルスにかかってしまった場合の後遺症の話も出ていましたが、うちは娘が起立性調節障害、私は更年期で、長い体調不良にはうんざりです。


そんなことを考えていたら、どうしたらよいのだろうか、と分からなくなってきました。


私はHSP、子供達はHSCなので、空気を読んだり状況を判断するタイプで、

正しいことをしていないと、後ろめたくて堂々と生きれないのだと思います。

罪悪感を感じやすくて、自分さえ良ければいい、しょうがない、とはなかなか思えないです。

不登校になる親子には多いと思うのですが、
なかなか自分たちの選んだ道に自信が持てなくて、だから堂々と生きれない、悩み落ち込む人がいるのです。

でも私は、そういったそれぞれの選択を尊重できることが重要だと思って、その思いを広げたくて、このブログにもいろいろ書いてきました。

ところが、コロナの場合は初めての経験なので、また話が変わってきてしまいます。

不登校でもいいとしても、不登校児のコロナ禍での過ごし方、これはまた手探り状態です。

これまでの不登校対応で学んだメソッドが、全然使えな〜い!!

という感じで、判断に困りました。

学校もコロナ対策で、ニュースタンダードなんだから、不登校も何か新しいことを考えていかないといけないのかな。

正直言って、学校やフリースクールなどでは感染対策バッチリやっていると思いますが、身内のほうが、あまり感染対策にシビアになれず、誰かが感染してたらあっという間にクラスターかな、と思います。アルコールはないけど、ホームパーティーのようなもんですから。それはやっぱりNGなのかな?

でも、子供達が確実に元気になっていることも事実なので、何かそれに変わるような対応ってあるのかしら…?


*****

きっと世の中の若者たちも、こんなフラストレーションの中にいるんでしょうね。

ここでなにか素晴らしい知恵があるといいのですが、奇想天外な新しいイノベーション、なにかないかなあ。


そういえば、みんなでアイスクリームを食べるのを怖かった娘の本当の理由は、もしかしたらコロナ感染の恐怖だったのかも…なんて、今ごろ気付きました。

みんなで会食できてよかったね〜!
という不安の乗り越え方は、もう古かったのかもしれません。娘が一番ニュースタンダードなのかもしれない。

娘がいろんな事を異常に怖がっていて、それを治さなきゃ、という見方の人もいるけれど、

私はそうとも言い切れないと思うから、なるべく娘の意志を尊重していたりします。


こういうジレンマの中、どう暮らせばいいのでしょうか。

家族で過ごすと言っても、家族と同居していない人もいるでしょうし、子供だって、ひとりっ子はもっと寂しいかもしれない。

集団生活に入っている子も、満足に楽しいかどうかは制限の中ではどうなんだろう?

コロナ禍の子育て、親のつながりも難しいし、子供達も発散するのが難しいし、

でも、医療その他には協力していきたいし、

長くなってくると、この生活にメンタルが耐えることが、だんだん苦しくなってきますね。

長女の起立性調節障害で籠もるしかなかった日々を思い出します。

生まれてはじめて!? 一人で散歩した

こんにちは!
うさカンです。

先日、娘の買い物があって、買い物ついでに散歩に行こうと話していたのに、

「やっぱり行きたくない〜、ママ買ってきて〜」という娘。

娘が行かないならママも行かないよ!と言ったけれど、動かない娘。

でも、どうしても今日じゅうにそれがないと困るので、私一人でも行くことにしました。
しょうがなく。


ところが少し歩いたら、なんだか風は気持ちいいし、夕空もとても素敵で、こんな時間に外に出られた私はラッキーだなあ、と思って、すっかりご機嫌になりました✨

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よく考えてみたら、我が家は姉妹の年齢が離れているので、一人目育児が一段落したら、また二人目のベビーカーからの生活がはじまりました。

最近は、一人で買い物に出る時は、自転車か車で、おもいっきり効率重視、娘と一緒の時だけ、娘の運動の為に歩いて出掛ける感じでした。

だから、もしかしたら今回、一人のんびり歩いてのお買い物(兼お散歩)は、はじめてのことかもしれない、と思いました。

ずっと、お散歩は体にいいけど、一人で行ってもつまらない、せめてワンちゃんでもいてくれたら…なんて思ってきました。


でもよく考えたら、そろそろ、私自身の健康と老化防止の為に、歩くことが必要な年齢です。

今までは、全て子供の為に、なんて思ってきたけど、もうそういうのは卒業の時期なのかもしれません。

これからは、自分にしっかり運動させて将来なるべく子供たちに迷惑をかけない生き方にしていかなければなりませんね。

自分の時間を充実させて、心も体もなるべく元気に過ごすことが、一番の「子供の為」なのかもしれないな〜なんて思いました。


私が出掛ける時には、なんだかプンプンしていたけれど、歩いているうちに気持ちが整理されました。意外と一人散歩も楽しいじゃないの。

帰宅して、娘に、外が気持ちよかったことを伝えました。私が歩く度に、娘も誘ってあげれば、ついて来る日もあるだろうな〜と思いました。


*****

娘はコロナが怖いという気持ちもあるし、
娘は娘の気持ちがあり、無理に動かそうと思っても簡単にはいかないこともあります。

もう1人でお留守番もできるから、心配もありません。
だから、私は私でお散歩を続けてみようかな、と思いました。

何事も、人の為と思うと、うまくいかない時にイライラするけれど、全部自分のためと思えば、とても気持ちが軽くなりますね。


ところで、そのあと何度か買い物がてらの散歩に出ましたが、娘も一緒に行こうかなって言うので、

結局一人散歩はまだ、あの1回だけです😅

私が楽しいと思うと、娘もついてきたくなるのかな??

運動はノルマではなく、楽しく出来たら良いですね。

少し前の私には、散歩する余裕がありませんでした。こうして、「ちょっと出掛けてこようかな」と思えるようになったことは、体が動けるようになってきた証拠だと思います。

そんな自分に幸せを感じています。

(そして娘もだんだん散歩が楽しくなってきたようです♪もう少し親子でウォーキングできるかな♪♪)

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