usagi-company-lab’s blog

最近は教育や社会の問題に興味があります。どうぞよろしくお願いいたします。

頑固ちゃんの育て方

こんにちは!
うさカンです。
だんだん寒くなってきましたね。
昨日は公園で木にぶら下がる紅葉した葉っぱが、風に揺れて踊っているようで可愛かったと思いました😃✨

今夜は空の観察しようと思います。
皆既月食?)

今朝、インスタを書きながら、ふと思ったことがありました。我が家の頑固ちゃん(下の娘)についてです。

そもそも癇癪持ちだった娘は、最近随分と落ち着きました。それで、これまでのいろんな事を思い出していました。


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我が家の娘は不登校3年目。入学してからまともにクラスに入れていない、小学校3年生です。

赤ちゃんの時から、頑固で癇癪持ちだった娘は、不登校になり、子育てが随分楽になりました。こういうタイプの子を集団に入れるのは難しかったのかも、なんて最近思います。

個性的な子は、自分のペースで生きるほうが楽なような気がするのです。

頑固というと、なんかマイナスイメージですが、言い換えれば、自分がしっかりある芯の強い子。人に流されず、自分の考えがしっかりある。正しいと思うことは曲げたくない、じっくりと自分が納得できるように仕上げたい…

そんな個性なのかな?と思います。


ちなみに、我が家の長女は全く頑固ではありませんでした。生まれた時から、みんなが感心するほどのイイコちゃん。なんでも「は〜い」と言うことを聞くタイプ。
みんなに羨ましがられました。

なんでも素直に受け入れることができるタイプですが、そこは八方美人とも言えます。

なんでも受け入れることができるということは、しっかりした自分がある訳ではない。いろんな子と仲良くして楽しそうだったけど、もしかしたら少しずつ疲れが蓄積してたのかもしれません。

自分がないということは、逆にいうと人に振り回されてしまうということでもあると思います。

いい時はとてもいいけど、悪いことにも振り回されてしまうから、一度つまずくと大変なのかもしれません。

そして、こういう時に跳ね返すようなことがなく、なんでも自分が悪いんだ、と解釈したり吸収してしまい、とても辛くなって自分を責めすぎてしまうのかもしれません。


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その点、次女はテコでも動かないようなところがあります。そこは自分を守ってくれるところなのかもしれません。

学校へ行くかどうかの選択も、本人の意思が強くて、親がどうにかしようと思っても無理です💦

そういうじっくりタイプの子は、型にはめ込むのが難しいのかもしれません。


さて、こんな正反対の娘たちですが、HSCの部分は共通していると思うし、分かり合える部分も多ようです。

私が感じているのは、HSC特有の、
①深い人間関係を好む
②空気を読む

この2つは特に共通しているかな、と思います。

まず、娘たちはたぶん簡単には人を信用出来ません。人間関係において、とても石橋を叩いて確認したいのだと思います。
だから、担任の先生に信頼を置くのに、とても時間がかかると思います。

でも、一度信頼出来たら、すごくいい人間関係を保てるのだと思います。

また、空気を読む点においては、ほんとに天才的だと思います。
1を聞いて10を知るのが得意で、

「そこまで読まなくても…」と思うことも多いです。たまに読み間違えることもあるし💦
とにかく周りに気を遣いすぎなのです。

だから、頑固娘は、頑固さを外では出しません。涙ひとつ見せないし、癇癪も本当に信頼できる相手にしか出ません。

外では自分の思いは全く出さず我慢しているんだと思います。

よく学校では、自分の思いを抑えきれずに、クラスからはみ出す存在になってしまう子もいると思うのですが、そういうことをするとはた迷惑だという認識が、娘の中にはあるんだと思います。

だから、自分の頑固な気持ちは抑えて、常に正しいと言われる行動を極限までして、疲れてしまうんだと思います。
そしてそのストレスが体にも出てしまうのでしょう。


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そんなわけで、娘たちのことを勝手に分析してみました。親から見た目線なので、本人的には「違うんですけど〜」ってこともあるかもしれません😅

ところで、こういう頑固ちゃんや敏感さんは、たぶん昔からいたでしょうに、何故今、不登校が増えているんだろう?
昔はこういう子供たちはどうしてたんだろう?と考えました。

これは勝手な想像ですが、
昔は子供の数が多かったから、そこまできちんと管理されていなかったのかな〜?なんて思いました。
きっと昔は教育熱心な親は少なくて、子供たちも自由があって、そんな中で自分らしくのびのびと暮らせていたのかもしれません。

全体的な数が多ければ、きっとマイノリティもそこまでマイノリティではなかったかもしれないし、マジョリティの管理もゆるければ、みんながスペクトラム的に生きていたのかもしれません。

でも今は、子供の人数が減ってきて、家庭の中でもしっかり躾された子供が集まれば、集団は上品に、綺麗になりますよね。
鼻水垂らしている子なんて、めっちゃレアになるでしょう。

そんな体裁良いのが「普通」になってしまうと、いろんな子供の特性が目立ってしまい、そこを注意されたり、もっと変わるように指導されたり、自分の違いに自身を失う子供もいるかもしれない、

そんな風に思いました。

どうして、子供が減っているのに、先生の仕事が忙しくなっているんだろう?

私が子供の頃は、先生のお手伝いをしたり、先生のお家に遊びに行ったり、先生との信頼関係を作る機会、余裕がありました。

今は情報管理の規制や、先生方の報告事務など、何かと手続き関係などに手間がかかると思います。

昔のように、なあなあでやっていると、責任問題になってしまうんでしょう。

不登校として先生とお付き合いしていると、
「管理職に確認します」という言葉をやたらと聞きます。

先生が判断できる範囲が少ないことは、仕事しにくいだろうな~なんて思ったり。

その仕事を増やしているのが我が家なので、申し訳ないのですが…。

少し話がずれてしまいましたが、

受験する子供が増えて、塾に行く子供ばかりになって、昔とは社会の感じ、子供たちの在り方が変化したんでしょうね。

価値観の「勉強の割合」がとても大きくて、いろんな個性を持つ子供が、学校で生きにくい感じが分かるような気がしました。

でも、そんな子供たちの個性も、良く捉えることも、マイナス面として見ることもできる訳で、それが「悪い」訳じゃないような気がします。

そして何故か、我が家の長女は「独自の意見を主張」するようになり、次女は「癇癪を起こさなく」なり、二人が中和されてきたような?!

自分のもともとの感性を大切にすることも大事だけど、そうやって自然に変化できることも、生きやすさにつながると思います。

いろんな視点で考えられるようになれば、最強かな。