こんにちは!
うさカンです。
今朝はこちらのブログを読みました。
ameblo.jp
なんか先生も大変だな~と思うし、子供だって素直な気持ちでしょうし。日本の教育システムの限界を感じました。どうして自分のレベルを選択出来ないんだろう?みんながやりにくいじゃないですか?分かるのに簡単すぎても、空気を読んで我慢して黙ってろ!って教育訓練?それも時間がもったいないし、何か違うと思います。
*****私は昨日書いたように、運動と食べることが苦手だったのですが、勉強も得意ではありませんでした。別に嫌いってほどでもなく、そこそこだったけど、何が面白いのか分からなくて、興味が持てないことが多かったです。好きだったのは、英語。そして、数学の証明とか、物理もスパッと答えが出るところが好きでした。
たまたま高校2年生の時に、アメリカにホームスティしたのですが、1年間現地の公立高校に通ってみて、いろいろとびっくりしました。
特に数学や物理の授業は、内容が日本よりかなり簡単で(英語だけど💦)、テストに計算機とカードに公式を書いて持ち込むことが当たり前だったんです。日本で言ったらカンニングですよね😅こんな環境にとてもびっくりするとともに、人間ってこれだけ出来れば生きていけるんだ〜って知りました!
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もちろん、日本の教育があるからこそ、社会全体の知識レベルが上がるという側面はあると思います。識字率、計算能力など、生きていくために必要なことを国民がみんな知ってて不自由しない、そういうことが役に立って日本は復興してきたんだと思います。
でも、今の日本の問題を考えると、投票率の低さだったり、貧困や格差だったり、何か社会として行き詰まってる気がするし、高い勉強能力がここまで誰にでも必要なのか?この教育システムがうまくいっているのか?と思ってしまいます。
もうひとつ、私の体験としては、
私が一年間アメリカで生活してきて帰国して、そして知ったのは、
海外生活の経験がなくても、英語がペラペラな人に会ったことです😂
一年なんてたいした経験ではないですが、
好きなことを一生懸命やってる人には敵わないなって思った瞬間でした💦
なので、そこから私は「英語」を勉強するのではなく、翻訳されたもので学べばいいや~なんて思ったんですね。
英語の能力は得意な人に任せよう、今なら翻訳機も高度になっていますよね。
もちろん、それでも言語が得意な人が活躍できる場面は沢山あるでしょうし、好きならとことん学べばいいし、伸ばしたらいいと思います。
でも、全員が同じ能力を同じレベルで出来なくても、ひとりひとりが好きな学び、楽しいと思う学びを深めていくほうが、社会の為、自分の為ではないか、
そう思う経験でした。
きっとなんでも出来る優秀な人は、そうじゃないと生きていけないよって思っていると思うけど、
いやいや、別に生きていけるわよって私なら思いますね。
だから、子供が不登校という事実も、すんなり受け入れられるんでしょう。
アメリカのような教育レベルでも、突飛なすごい人、世界の質を変えるような発明や経営をする人は生まれてくるんですよね。
好きなことに没頭することや、偏りがあることも、悪いことではないと私は思います。
自分の人生にプライドを持てるように、周りがサポートしてあげられたら、きっと好きな方向に伸びていくんだろうと感じています。