こんにちは!
うさカンです。
今日はこちらの動画から感じたことを書いていきます。
私たちは、このコロナ禍で、自分たちには何が大切なのかが分かりました。なくなってみて、出来なくなってみて初めて気が付いた価値観があったと思います。
これは生活の中の断捨離みたいな感じで、これまでは選別してこなかったいろんな事を、考え直す機会になりました。
そういう自分が大切だと思うことを大事に生きる感覚を得ると、もう以前の「なあなあ」な漠然とした暮らしには戻れないでしょうね。
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この動画で話されていることは、ビジネスを基にしたライフスタイルにつながる話だと思います。でも聴いてるうちに、おやおや、これは不登校娘の話だなあ、と思いました。
きっと娘は、今の学校の雰囲気が、時代に合っていないと感覚的に感じて、そこに価値を見出だせなくて、それで行こうと思えないのかな?と思いました。表面的にはコロナが怖いということで学校にも行けませんし、外に出ることすら怖いようですが、だからといってコロナが落ち着いても、学校に行けるかどうかは分かりません。
感覚がとても鋭いHSCの子供たちは、学校に行けない理由は口で説明出来ないかもしれないけれど、きっと肌感覚で、なんか違う、と感じるのかもしれません。
それは私も同じで、なんとなーくこれまで思ってきたことを、この動画で言語化されていて、
「そうそう、そうだよね〜」と思いました。
私はけっこう感覚的に察知する人間なのかもしれない、とはじめて思いました。
そういった感覚的な部分って、これまでの教育では「しっかり説明できること」が偉いとなっていたから、私も子供たちがしっかりしゃべれるように、と思ってきました。
でも最近は、人間が言語に頼りすぎていて、自分の大切な勘や感覚を無視して生きていると感じるようになり、なんか違うな〜と思うようになりました。
論理的に説明すること、論破することも大事だけど、口先だけではイノベーションは起きないのかもしれない、と気付きました。
ビジネスというのは、もともと問題解決と社会貢献があってこそ、支持されて儲かるわけだから、感覚的にそういう需要をキャッチできる能力も必要なんだな〜と思いました。
そう考えると、マイノリティは生活の中に問題だらけ💦
ニッチなニーズもよく気づくでしょうし、そういう人間はアフターコロナでビジネスチャンスかもしれませんね。
そんな話を娘にもしました。
ビジネスで活躍してね!
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今、学校が楽しいと思って通えている子供たちは、羨ましいです。
きっと学校に通って楽しいと思うことは「当たり前」だと感じているかもしれません。
なかなか思うように学校に通えない子供がいるなんて、考えたこともないかもしれません。
でも、本当は、学校が楽しいって思えることは、とてもラッキーで恵まれていることです。
お友達がいたり、好きな先生がいたら、本当に楽しい場所だと思います。
そういう感謝の気持ちって、なかなか気付かないけど、もし毎日そう思えたら、とても幸せなことだと思います。
同時に、感謝の押し付けはしては駄目で、そう思えない中で頑張りすぎるとメンタルの病気になるから、気をつけてね。
やっぱり自分の気持ちと感覚は大事にする時代だと思います。
私は我が家の子供たちには、いろんな事に感謝できて、幸せを感じてほしいな〜と思っています。きっと理解ある両親がいるというのも、ラッキーなことなんじゃないかな😃
そういう気持ちさえあれば、勉強も学歴も仕事も全部自由でいいと思います。
幸せを感じることができれば、充分だと思います。
アフターコロナは多様性の社会になるかな〜と思うと、楽しみです!!