こんにちは!
うさカンです。
なんだか難しいことが書いてある、こちらの記事の感想を書いてみます。
不登校の子供たち、いろんな人が混ざっていたらいい説、これは確かにあると私も思います。
いろんな人がいるから、自分を知ることが出来るし、自分の役割が生まれてくる。
そして、いろんな人の環境を知ることで、自分自身にも納得できること、妥協出来ることもあると思います。
そんなことを知れば、生きやすくなることは間違いないって私は思います。
そして長女の時から、学校では一応縦割り交流の時間はありました。
でも、なんとなーく「やらせ感」があるような気がしてたんですよね💦
上辺だけ混ぜてみても、なんかあまり意味ない気がしていました。
(結局同じ価値観の人間しかいない?)
もっと潔く、大胆な方法じゃないと、あまり変わらない気が・・・
うちの子たちは、低身長さんなので、下の学年の子たちに見た目で負けてて、なんか可哀想でした。
混ぜても結局比べてたと思います。
でも、今は家庭(親族)内の安心できる環境の中で、上は17才、下は3才という交流ができていて、みんなのびのび^_^
誰と比べることもなく、自分がやりたいように、自然に下の子のめんどうをみたり。
こんな交流、昔はご近所さんとの遊びの中にもあったな~。
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ところで、我が家の娘を見ていると、そんなに生活の全てがIT一色になる気はしないんですよね。
うちはゲームもアイパッドも時間制限はしていませんが、自分なりにいい塩梅を見つけて、自然とも共存しています。
何故なのかしら?
やっぱり人間の本質として、
「人とリアルに会って楽しむ」
だとか、
「自然の中で安らぐ」
だとか、
「リアルに体を動かして作業する」
みたいなことが楽しいと思う本質みたいなことが、根本的にあるんじゃないかしら?
逆に自分の心や体の声を無視し続けるような生活をしていると、ストレスから逃げる為に、本当はやりたくもない世界にどっぷり依存してしまったり、
本当の自分がわけわからなくなってしまうのではないか?という仮説が私の中には浮上してきています。
みなさんは、どう思われますか?
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これからの時代は、バーチャルの世界とか、デジタル化は避けられないと思います。
それによって便利さも沢山あると思います。
だけど、それに流されない「自分」というものも、しっかり形成しておかないといけないのだと私は思っています。
自分はどう生きていきたいのか、考える時間も大切なのかな?
もちろん、知らないうちに人生が終わってた、という生き方もアリだと思います。