こんにちは!
うさカンです。
昨夜はこちらの動画を見ました。
ほんと、同感。
そして、社会の仕組みは経済やビジネスと切っても切れない関係だし、教育はまた社会の仕組みそのものであると思います。
DX(デジタル トランスフォーメーション)は、全てのものをデジタル化すればいいものではなく、
「なんのために」それをやるのか、考えないとツールとして、うまく使いこなせないな~と思います。
ビジネスはどんな社会を作りたいのか、
教育はどんな子供を育てたいのか、
そこがズレてしまったら、子供たちに一人一台パソコンを配る意味がないような気がしています。もちろん、ただタイピングが出来るとか、パソコンアレルギーにならないようにってことも大事なんでしょうけど。
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さて、我が家にも学校からパソコンがきました。
詳しくはこちら。
それで思ったことは、
たぶん先生や学校は、パソコンが来たことによる「学習的な効果」を上に報告しなくてはいけないんだと思いました。
予算を大量にかけてやっているGIGAスクール構想だから、当然いい結果を出さなければ!となるのは分かります。
だから、「パソコンは遊びではなく学習なんだよ」という方向に進めたいのではないか?と感じました。理由はなく。ただなんとなく、そういう空気を感じただけですが。
日本には昔から「遊び心」という言葉があり、それが粋だったはずなのに、今は学習を遊びのように楽しんでいると、なんとなく、
「遊んでないで勉強しなさい」って世の中ではないでしょうか?
そして、我が家の娘の場合は、
まずは先生と遊びながらコミュニケーションを取り、信頼関係を築くことが目的だと私は考えています。
正直言って、パソコンを使った結果が学校に行けるようになった、とならなくても、
今の娘にとって必要なことは、多くの人とのコミュニケーションができること、世界や視野を広げることだと思っています。
その結果、学校が安心で楽しそうと感じたら、学校に行ってみたい、挑戦してみよう、となるかもしれません。
でも、それをレールとして、学校に導く道が初めから見えていたら、きっと引いてしまうでしょう。先生や学校に対して、信頼できないと思うのです。
ところが、どんなに先生のほうにそういう気持ちを理解されていても、きっと上からの指示があり、ゆっくりこの子のペースでいいけれど、方向性は見えてないと教育にならないと思われていると、敏感な子はそれを読み取ってしまい、うまくいかなくなってしまいます。
そこが心配だな~と思いました。
個別最適化というのは、イレギュラーを認めていくことだし、その効果も人それぞれでいいのが本質だと思います。
私の娘は、学校で先生の大きな声にビクビクしたり、大人数に心臓がバクバクしたり、コロナに怯えていたりして、落ち着けない環境の中では集中して勉強出来ません。
でも、恩師と呼べるような先生に出逢わせてあげたいし、楽しい思い出も作ってあげたい。
もしかしたら少しずつ慣れていくかもしれない、と期待してもいいと思うけど、そこを目的にしたくない、
そんな親だからこそ、学校としては牽制したくもなるでしょう。
ってことを、学校の中から勝手に感じ取ったワタシです。
きっと娘も、こうした社会の仕組みや矛盾を無意識に、肌で感じるタイプだからこそ、
とても慎重に様子を見て進むのでしょう。
でも、内弁慶とか暗い静かな子でもないのですよ、本当は。
パソコンというツールを使って、先生に娘の本当の姿や、気持ちが伝わるといいな〜と思います。
そして、なにかうまくいかないことや、思い通りにならないこと、いろいろ感じ取ってしまうことは、「ブログのネタが出来た」と思って、笑い飛ばそうと思っています。